《このごろ》
酷道険道記〜新冠ダム編〜

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1998年から始めたダム巡り、気づいてみれば500基以上のダムを訪れていた。それぞれに思い出があるが、この中にはダムというよりもダムに至るまでの道が特に印象に残ったものも多い。

車一台がやっと通れる程度の細い道、舗装もされていない悪路、路肩弱し、ガードレールなし、こんな道が結構日本には残っている。あれだけカネをつぎ込んでもまだまだ整備されていない道路はまだまだ多いものだと思う。道路特定財源も、高速道路よりこういった地域道路にまわすべきでは?などど最近のニュースを見て思うのだ。

話がそれてしまった、ダムの話だ。私も幾つかのダムでこのような「酷道」・「険道」に出くわしているので、それを振り返りながら思うまま乱筆乱文してみたい。まずは北海道・新冠ダムの例。

北海道の道路は、山の中であっても片側一車線の舗装道路であることが多い。しかも見通しのよい直線道路であることも多く、ドライブする身としてこれほど楽な走路はない。しかし、林道となると全くその様相を変える。新冠ダムへの道も、そんなものだった。初めは2003年の北海道ダム巡りで高見ダム(静内川)と共に行こうと思っていたのだが、折悪しく日高豪雨の影響でダムへの道は路肩崩落多発ということで通行止めになっており、無念の引き返しとなった。それから2年後に新冠ダムへのリベンジを果たさねば!との思いで再度この地に辿り着いたのだった。余談だが、2003年の断念後に高見ダムへ行ったのだが、その一週間後に十勝沖地震が発生。ダムへ行く道は静内調整池に崩落し今現在(2007年)に至るまで通行止めになっている。もし、あと一週間遅く行っていたら・・・今頃は堆砂の一部になっていたかも知れない。

さて、国道を曲がりサラブレットを横目にみながら牧場の中を快走、やがて新冠川が左側に見えてくると人家もほとんどなくなり、二年前に足止めを食らった地点へと辿り着いた。空は快晴、通行止めの看板もなし。もう行くしかないでしょ、大ロックフィルダムがおいでおいでしているよ、二年分の思いを込めてアクセルを踏み、まだ見ぬダムへと思いを馳せながら山中に突き進んでいった。程なく道は舗装から未舗装のダートへ変わった。だが踏み固められた道だったのでさほど気にはしていなかった。橋を渡る頃、「ダム放流中」の電光掲示板が光っていたので、心はさらに躍ったのだが、ここから地獄が始まるのであった。

突然ガタガタ車が言い出した。走るに連れてガタガタ度は更に高まる。一度車を停めるとものすごい土煙。礫ばかりの道路、これが延々と続く。とりあえず岩清水ダムに到着して車を降りる。足が痺れていた。正座していたわけではない。車の振動が激しくて痺れてしまったのだ。岩清水ダムは放流していたが金網で囲まれ様子を見ることができず、残念に思いながら下新冠ダムへ向かった。新冠ダムまでの道はまだ遠かった。

ひたすらカーブの続くガタガタ道、全身がいやなマッサージ器でむりやり振動させられているようなそんな気分で下新冠ダムへ。ここで全行程の半分。少し体操をして全身の血を巡らせたあと、いよいよ目的地の新冠ダムへと向かう。ガタガタ道とカーブはさらに激しさを増しながら約1時間、車に揺られた。大きなカーブを過ぎると新冠発電所入口の看板が、そして林の間からダムの堤体が。逸る心を抑えて車を走らすがフィナーレを飾るかのようにより激しくなったガタガタ道路と急勾配の坂、下をみれば断崖。ここで落ちては洒落にならないとハンドルを持つ手にも力が入る。肩が凝る。

坂を登りきると右手に二門の巨大なゲート、そして眼の前には広大な新冠湖。やっと着いた、車を降りた。またもや足が痺れていた。しかし二年間思いを募らせたダムに来た嬉しさは格別で、日高山脈から吹く風が気持ちよかった。だが、帰りを思うと気が滅入る。目的を果たしたあとの帰路というものは一番疲れるものだ。ましてや二時間あの悪路と格闘するのかと思うと・・・。

日は西に傾き、こんな山中で夜になっては敵わない、急がねばと思い下り道を走らせる。勢いガタガタ道の振動も激しくなり、全身がシェイクされるような感覚だった。先ほどの橋を渡り、舗装道路に出たときは日も沈みかけていた。何とか日没までに山道を抜け出て、休憩しようと車を降りたが、正座を解いた後の感覚というか、暫く歩くのが辛かった。ドライブで足が痺れたのは後にも先にもこのダムだけだと思う。

達成感と疲労感が一気に襲ってきたダムだったのが、この新冠ダムである。機会があったら、全身がシェイクさせられる感覚を、経験されてはいかがだろうか。

[関連ダム] 新冠ダム
(2007.12.14、河川一等兵)
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