3ヶ月ほど前だったろうか、ある人にTwitterを始めてみてはと勧められて、好奇心もあり試しに始めてみた。まだ初心者の域を出ないが、使ってみるとこれは面白いネット上のツールだと言うことを実感した。
Twitterとはどんなものか、ウィキペディアには、
『Twitter(ツイッター)は、 個々のユーザーが「ツイート」と呼称される短文を投稿し、閲覧できるコミュニケーション・サービスである。』 『Twitterは、ブログ・SNSとチャットの中間のようなシステムを持つ。各ユーザーは140文字以内で「つぶやき」を投稿し、投稿ごとに固有のURLが割り当てられる。自分専用のサイト「ホーム」には自分の投稿とあらかじめ「フォロー」したユーザーの投稿が時系列順に表示され、「タイムライン」と呼ばれる。メールやIMに比べて「ゆるい」コミュニケーションが、フォローを介して成立したグループ内に生まれる。』
と説明されている。この説明を読んでもどんなものかよく分からないに違いない。実際に使っている私でさえ、この説明が完全に理解できるとは言い難いので。
最近、ダム工学会が20周年記念事業の一環として、一般公開シンポジウム「ウイズダムナイト」(四夜構成)を開催したが、その様子は、最初から最後まで、ネット上の動画で実況中継された。中継は、ダムマニアとして知られるtakaneさんが担当、会場の東京大学の階段教室の最後列にカメラを据えて、そこからネットを通じて生中継。そのとき、初めての試みでもあり、当初、回線がうまく通じなかったりしたようだが、その際、Twitterが活躍した。
中継を見ている人が、Twitter上で状況を書き込む。たとえば、「今つながっていない」、「やっとつながって画面が表示されたが、音が小さい」、「雑音が入る」、「スクリーンが白く光って文字が読めない」と言ったようなことが書き込まれ、一方takaneさんは、携帯でだろうか、実況中継しながらTwitterを見ていて、中継がうまくユーザーまで届いているか、どこを改善したらいいかといったことが即座に把握できたようだ。takaneさんもTwitterに書き込んでいて、中継中にリアルタイムで、ユーザーとTwitter上の会話が出来ていた。
これも最近のことだが、あるダムの見学会があった。20名ほどの参加者が、バスでダムサイトまで行き、ダムと発電所を見学したのだが、家に帰ってきてTwitterを見ると、すでに見学会のことが多数書き込まれていた。よくよく見ると、最初にバスに乗った頃から、書き込みは始まっていた。参加者の誰かが、たぶん携帯からなのだろう、見学中に書き込んだことになる。そしてそれを見た人が、関連したことを書き込む、そんなことが自然に行われて、結局、遠く離れた人々が、リアルタイムで会話をしているようなものだった。
こんなことに興味を示しているのは、私がTwitter初心者だからなのではないかとも思える。頻繁に使っている人にとっては、ごく自然で、無意識で、当たり前のことかも知れない。しかしやはり、リアルタイムで、双方向的で、文字情報ではあるが誰もが見られるという意味で開放的な通信手段を安価に手に入れられるというのは、ある種の驚きだ。
Twitterに限らず、最近のネット技術の進展には目を見張るものがある。世間を騒がせた尖閣諸島のビデオ流出事件もネット上のことだった。動画投稿サイトがなければ起こらなかったはずだ。ホームページ、ブログ、メール、動画投稿、動画生放送など、様々なサービスがネット上で個人が簡単に利用可能となっている。
先ほどの「ウイズダムナイト」で実行されたような生中継は、知識さえあれば簡易な設備で、簡単に実施でき、画質はテレビに比べればだいぶ落ちるが、それもいずれテレビに近づくだろう。今でも、画質などは劣っても、個人が簡易に実況中継が出来るのだから、個人放送局が無数にあるようなものだ。ネットの変化は早い。テレビと変わらない個人放送局が誕生する日も近いのかも知れない。
ネット技術の進展は、当然、人々の価値感の形成に深く影響し、政治的判断や世論に影響することになるだろう。このような場面で、従来は、テレビ、新聞などのマスコミの影響が大きかったが、それとともに、あるいはそれ以上に、ネットの力が強く働くことになるだろう。その兆しは、すでに多くある。尖閣のビデオ問題はネット上の出来事だが、それが時の政権を揺るがしている。中国では、ネットを通じてデモが起こり、ナショナリズムが高揚し、それが国家の首脳部の判断に影響していると言われる。
ダム関係者の間で、次のような会話を聞くことがある。「何でダムはこんなに悪者になったんだろう」とある人が嘆く、そして、様々に話は進展するが結局、ある一人が「マスコミが悪いんだ、マスコミが真実を流さないからだ」と。この答えでみんなの意見が一致、参加者がこぞって、何となく丸く収まり、安堵の雰囲気が流れる。このような光景も近い将来、「マスコミが悪い」ではなく「ネットが悪い」に変わるのだろうか。
ネット社会の評価は様々にあり得ようが、好むと好まざるとにかかわらず、現代人はネット社会に身を置かざるを得ない。ネット社会で「悪者」に仕立て上げられないよう、日常的な努力が必要なことだけは確かなように思える。
(ダム協会内部資料に掲載したものを、転載しました。)
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(2010.12.10、Jny)
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