地下ダムは、沖縄や奄美群島に特有のものという印象がありますが、本土にも貴重な地下堰堤が残されていることがわかりました。その地下ダムは、愛知県春日井市の「神屋地下(かぎやちか)堰堤」です。このダムは昭和初期に築造されたもので、あふれ出る水は今日も農地を潤しています。
石碑「水利民生」(昭和37年建立)
1.神屋地区(愛知県春日井市)
当地区の地盤は砂礫層であるため、古くから水利に恵まれず、稲作を行うことができなかったということです。かつて、付近を流れる内津川は水量の多くが砂礫層に浸み込んでしまい河道に表れませんでした。もっとも、米を作ることができないからといって、あながち貧困生活を送っていたわけではありません。農家は桑を植えてカイコを育てました。そしてその繭を製糸会社に売り渡して現金収入を得ました。
明治時代の養蚕(「競進社模範蚕室見学のしおり」本庄市教育委員会作成より引用) 明治維新から大正末にかけて、生糸は国の重要な輸出品でした。日本の良質で低価格の絹は、アメリカをはじめとする諸外国に輸出され、外貨を稼いで富を蓄えました。当時の製糸業は、現代における自動車産業・半導体産業に相当する輸出産業であったのです。かつての桑畑は、基幹産業の部品製作拠点ともいうべき存在でした。
現在の内津川(一級河川庄内川水系) ところが第一次世界大戦後、世界恐慌によってアメリカの産業構造が大きく変化しました。さらに、その後の化学繊維の開発・普及により、生糸の輸出が全く振るわなくなりました。こうして、神屋地区の農民は広大な桑畑を目の前にして「集団転職」せざるを得ない局面に至りました。このような状況の下、坂下町(当時)町長稲垣新八郎氏らが中心となって耕地整理組合を組織、内津川の伏流水を地上に導流して桑畑を水田化する計画が立てられました。
神屋地下堰堤の位置(現地説明板より) 春日井市が設置した現地説明板には、以下のように記述されています。
神屋地区は、内津川の水が上流の明智付近で砂礫層にしみこみ伏流水となることから、水の無い地区でした。そこで、昭和初期になって村人たちは、内津川伏流水打上工事に着手しました。 工事は内津川を横切って幅約15m、長さ約360m、深さ約9mの地下を掘り下げ、この内に幅約1.8mの粘土の堰堤を溝に沿って築きました。そしてその底土沿いに深さ約91pの丸石層を置き、さらに上部数か所に蛇籠を敷き、地下水が蛇籠の間から噴出するようにして埋めました。こうして地下水を地上に導き、三筋の水路で耕地に導く設計をしました。 困難な工事も昭和9年3月に竣工し、その後、神屋地区において稲作が可能となりました。 現在の神屋地区の田園風景の起源ともいえる施設であり、地域の景観や雰囲気を特徴付ける貴重な施設です。
神屋地下堰堤模式図(現地説明板より)
春日井市立坂下中学校(校庭の下を地下堰堤が通る)
2.神屋地下堰堤
地下堰堤が竣工してから約30年後に建てられた記念碑には、 地下湧水の間断なきを以って昼夜兼行の急遽を要し従事者の苦心惨憺察するに余あり此の難工事断行の工事期間実に三ヶ年を費し・・・ と刻まれていました。(一部原文を常用漢字に変更) 何となく、映画『黒部の太陽』の出水シーンを連想してしまいました。
昭和37年に神屋耕地整理組合が建てた記念碑 農家の方に話を聞くことができました。 □お仕事中すみません。 ■はぁ、おたくは鉄道会社から来た人かい? □いいえ、私は鉄道会社とは何も関係ない者で…、ただ地下堰堤のことで教えていただければ…。
神屋地下堰堤
地下堰堤によって地上に導かれた地下水 ■ここいらの男達は丸石を運んで、女達は粘土を運んで地下堰堤をつくったんだ。 □おじいさんも、石を運ばれたのですか? ■いやいや、わしもまだ生まれていない。親からそういう話を聞かされただけだ。
ほぼ当時のままの石組み ■たぶん、このあたりは昔のままの石組みで、ここは少し前に崩れて修理した部分だ。
近年修復が行われた部分 昭和初期、3年に及ぶ難工事の末に、かつての桑畑は水田となりました。ところが、その年の初夏に田植えをしてみたものの、稲には花が付かず何も実らなかったということです。このように米が実らない状況が3年間も続き農民は不安になりました。
内津川を横切る地下堰堤 そこで、色々と調べた結果、新しく開拓した農地は、土壌の関係で3年間程度は米が実らないことが普通であることが判明。4年目以降は順調に収穫が得られるようになったということです。
神屋地下堰堤右岸部、前方は内津川の土手
3.これからの神屋地下堰堤
近い将来、中央新幹線がこの付近を地下トンネルで通ることが既に確定しています。この新線はリニアモーターカーで、時速500qで営業運転し、品川・名古屋間を最短40分で結ぶ計画です。事業主体は東海旅客鉄道(JR東海)となりますが、事実上の国家プロジェクトです。現在、中央新幹線のトンネル工事がこの地下堰堤に及ぼす影響について多角的な調査が行われている最中とのことでした。
中央新幹線工事の案内(名古屋駅) 神屋地下堰堤は、先人が血のにじむ思いをして残した貴重な土木施設です。可能な限り利水機能を損なわず未来に継承してほしいと思います。 神屋地区では、今年もこの地下堰堤の水で作られた稲が実りの季節を迎えていました。
神屋地区の水田
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(2016.9.27、ダムマイスター 01-024 安部塁)
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