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胆沢扇状地のある胆沢平野は、続日本紀で「水陸萬頃(すいりくばんけい)」と記されている。水と土地が豊かな大地という意味である。古来よりアテルイが活躍し、坂上田村麻呂が胆沢城を築いた地であり、藤原3代が栄えた平泉にも近く、文化的にも開けたところであった。 胆沢扇状地では、400〜500年前から用水開削の努力が続けられ、現在では岩手県内でも有数の穀倉地帯となっており、散居集落が美しい景観を形成している。
このような地域の歴史的、自然的条件に配慮して、ダム建設にあたっては、自然の保全に努め、自然との調和を目指している。
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続日本紀(日本書紀の続編として、文武天皇から桓武天皇までを記した編年体の史書) |
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散居集落 |
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