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■水陸萬頃の地

 胆沢ダムは、西の奥羽山脈から東に流れ出る胆沢川によって形成された胆沢扇状地の扇の要の位置に近いところにある。


 胆沢扇状地のある胆沢平野は、続日本紀で「水陸萬頃(すいりくばんけい)」と記されている。水と土地が豊かな大地という意味である。古来よりアテルイが活躍し、坂上田村麻呂が胆沢城を築いた地であり、藤原3代が栄えた平泉にも近く、文化的にも開けたところであった。
 胆沢扇状地では、400〜500年前から用水開削の努力が続けられ、現在では岩手県内でも有数の穀倉地帯となっており、散居集落が美しい景観を形成している。

 このような地域の歴史的、自然的条件に配慮して、ダム建設にあたっては、自然の保全に努め、自然との調和を目指している。

続日本紀(日本書紀の続編として、文武天皇から桓武天皇までを記した編年体の史書)

散居集落

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