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1.奈良県のすがた

 大和の国と呼ばれた奈良県は、紀伊半島のほぼ中央部に位置し、周囲を山々に囲まれた海のない県である。面積 3691.09・で、北部の奈良盆地を除くと県の面積の90%が山地となっている。奈良県の河川は宇陀川、布目川などの淀川水系(延長 287.0km)、大和川、曽我川などの大和川水系( 591.9km)、吉野川、丹生川などの紀の川水系( 355.6km)、新宮川、十津川などの新宮川水系( 415.6km)の4つの水系からなる。

 奈良県の地形は中央を東西に中央構造線が走り、これに沿って吉野川が流れている。この構造線を境として奈良県は、北部地域の奈良盆地、東北部の大和高原、南部に広がる近畿の屋根と呼ばれる吉野山地の三つの地域に分けられる。

 奈良盆地は南北30km東西 161km、面積約 300km2で標高40〜60mの非常に平坦な沖積地からなる。河川は盆地の東西隅より流れる初瀬川を主流として四周の河川を合して大和川となり生駒金剛山脈を横断して大阪平野に流出している。古代にはこの盆地が国の行政、経済、文化の中心となり条里制が施かれていた。その経済力として農業が発達してきたが、雨が少なく、多くのため池が造られた。近世では米の他に、菜種、タバコ、キュウリが盛んに栽培され、「田畑輪換」という水田畑作の営農形態が確立された。工業は、一般機械機具、電気機器機具、繊維などの生産が発展してきた。奈良県の人口は 142.5万人であるが、奈良盆地には奈良市をはじめ 100万人(人口の80%)が集中しており、諸交通の機関の発達に伴って京都、大阪と経済的に密接に結びついている。

 県の東北部大和高原地域は、奈良盆地と上野盆地の中間にある標高 400〜 500mの高原で「東山中」と呼ばれている。高原の平坦地、谷には水田が開かれ、奈良盆地より、一ケ月早く田植えや秋の収穫が行われる。高原の自然を利用したイチゴ、トマト、キュウリの抑制栽培がとられ、キク、バラ、シクラメンなどの収益性の高い施設園芸も盛んである。「大和茶」は斜面の畑で栽培されており、また、冬の寒さを利用した天然の凍り豆腐の生産地でも知られている。

 南部の吉野山地は、1000〜1900mの山々が連なり、高く険しい山と深い谷が続く。奈良県の総面積の60%余りを占める。この吉野山地は吉野川流域の「口吉野」と、十津川・北山川流域の「奥吉野」の二つの地域に分けることができる。
 「口吉野」は吉野川沿いに吉野町、大淀町、下市町、五条市などがあり、「奥吉野」の入り口として、木材の集散地として発達してきた。一方、この地域は、カキ、ナシ、ウメなど代表的な果樹栽培が盛んに行われている。
 「奥吉野」は高く険しい深い谷が続く山岳地帯である。この地域は年間降水量は2000mm〜4000mmに達する多雨地帯で、なかでも大台ケ原は5000mmも降る、日本一雨の多いところである。このため、最も重要な産業は林業で、日本三大人工美林、吉野杉の山地である。

 近年、十津川・紀ノ川(吉野川)総合開発事業に伴い、吉野川流域には、津風呂ダム、大迫ダムが建設され、また十津川流域では、猿谷ダム、風屋ダム、池原ダムが築造され、トンネルと導水路によって、水不足に悩む奈良盆地に農業用水、水道用水など送水されるようになり、併せて阪神方面に電力の供給など水資源開発が進んだ。この奈良盆地への導水は、徳川時代 300年以来ようやく悲願がみのった。

 また、昭和30年以降における水資源開発は国道の改修、林道の開発をも進捗させ、木材運送は水運からトラック運送に変わり、奥吉野山地は陸の孤島から脱却した。一方、「自然保護か開発」の大論争もおこり、開発計画がしばしば修正されている。

奈良県の人口の推移をみると、大正9年56.4万人(72.4%)、昭和5年59.6万人(76.5%)、昭和22年77.9万人( 100%)、昭和50年 107.7万人( 138.2%)、昭和60年 130.4万人( 167.3%)、平成11年 144.9万人( 186%)、平成17年10月現在 142.5万人( 182.9%)となっており、平成11年 144.9万人をピークに徐々に人口は減少している。
 なお、奈良県の花は「奈良八重桜」、木は「スギ」、鳥は「こまどり」と各々制定去れている。

 以上、奈良県のすがたについては、『奈良県勢要覧2005』(奈良県統計協会・平成17年)、旺文社編・発行『日本の地理 近畿地方』(平成2年)等に拠った。


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