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2.奈良県の水害と渇水

 奈良県の気候は前述してきたようにその地形と同様に南北の地域では大きく相違する。北部奈良盆地は内陸性気候、東部山地は内陸性気候と山岳性の気候を兼ね、南部は山岳性気候となっている。吉野川を境として北部奈良盆地は概ね雨が少なく、夏は蒸し暑い。奈良市の最近の年間平均降水量をみてみると1390.5mm(平成11年)、1319.5mm(12年)、1189mm(13年)、 990mm(14年)、1546mm(15年)と推移し、5ケ年の平均降水量は1287mmで、全国平均1800mmよりかなり少ない。奈良市以外の平成15年平均年降水量は、針1805mm、大宇陀1795mm、五条1540mm、上北山2811mm、風屋2440mmである。
 一方、南部山地では年平均降水量は2000mm〜4000mmとなっており、夏には極めて雨が多く、時には局地的に豪雨がおこりやすい。冬には積雪もかなり多い。

 一般的に奈良県は、台風のような大きな現象が起こりうるが、むしろ地形の複雑さによる大雨、河川の氾濫、山、崖崩れ等の災害と局地的な強風に因るものが目立つ。また、盆地、高原地域は夏の干ばつがおこりやすい。

十津川郷の水害

 奈良県で決して忘れてならない水害がおこった。それは明治22年8月十津川郷の大水害である。水害の実態は、死者 184人、流失家屋 267戸、流失耕地1208.5反で、その内訳は北十津川村(死者86人、流失家屋 134戸、流失耕地 509.8反)、十津川花園村(11人、74戸、 211.1反)、中十津川村(5人、9戸、88反)、南十津川村(21人、23戸、 110.2反)、西十津川村(42人、6戸、 239.6反)、東十津川村(3人、21戸、49.8反)と、この六ケ村において、大災害となった。瞬時に家や畑を失った約 600家族は、災害2ケ月後に北海道移住へ苦難の旅立ちとなった。そして、3年後に移住者たちによる新十津川村が建設された。
 いまでは、毎年7月30日は開村記念式と招魂が開催される。このとき「故郷の残夢」西村直一の作詩の長詞が朗読される。

噺し聞かせんや童
語り聞かせんやよ童
明治二十有二年
吾等祖先の住みなれし
吉野の里の十津川は
前代未聞の洪水に
家は更なり 田も畑も
押し流され 様を
頃は八月十九日
降り続きたる長雨は
………………………
水のあふるるその時に
岸辺の家はながされて
山の麓にすむひとも
川のほとりにすむひとも
声を限りに助けをば
声を限りに救いをば
救はん術もなかりけり
…………………………
古郷をあとに草まくら
旅路の空にたちにけり
渡る海路もさはりなく
此処に移りて村をたて
新十津川と名づけたり

 幾多の苦難をのり越えて北海道の新天地に新十津川村が建設された。奈良県十津川の大洪水については、川村たかし著『十津川出国記』(北海道新聞社・昭和62年)、十津川郷を旅立ち、北海道の新村の建設を記録した続木朝一編著『新十津川治水史』(北海道樺戸郡新十津川町役場・昭和54年)がある。この書によれば、皮肉にも移住先でもまた、石狩川の水害に悩まされた。なお、このような移住については、明治22年7月筑後川大水害によって、下流域の筑後農民たちは、ハワイと大分県九久重高原へ住み着いている。(古賀勝著『大河を遡る−九重高原開拓史』(西日本新聞社・平成12年))

奈良盆地の渇水

(イ) 平成2年の夏期渇水

 奈良盆地、大和高原は雨が少なく干ばつがおこりやすい地域であるが、近年の渇水は昭和52年、53年、59年、61年、平成2年、6年と発生した。
 淀川水系宇陀川の室生ダムは49年に完成し、ダム貯水池から初瀬水路を経て、大和高田市をはじめ各都市に奈良県水道用水として最大 1.6m3/s(計画給水人口77.8万人)が供給されている。
 平成2年7月下旬〜9月上旬までの降雨量70mm(平均値の26%)と極めて少雨のため渇水が生じた。さらにこの年は奈良市では連続70日余り真夏日を記録し、少雨と猛暑による流況の悪化をまねいた。
 奈良県では「渇水対策本部」を設け、県営水道の給水市町村に対し、節水PR、自己水源の有効活用を要請し、一部地域の水源を宇陀川系統(室生ダム)から吉野川系統に振り替えるなどの様々な対応を行っている。
 9月1日貯水容量 148万m3(貯水率23%)により10%給水制限開始、5日貯水率15%減少、30%に給水制限を変更した。9日室生ダムの湖底に民家、田跡が現れる。10日県営プール全面休業、奈良市で赤い水の苦情が出た。11日農業用水全量をカットした。13日室生ダムは60万m3( 9%)にまで低下した。ところが、14日〜15日前線による降雨があり、16日52%に貯水率が回復し、奈良県は給水制限を解除した。19日台風19号により80%まで回復、完全に渇水危機を脱した。

(ロ) 平成6年の渇水

 平成6年6月〜7月は全国的に少雨傾向が続き、各地で大渇水騒動がおこった。
 室生ダムは6月降水量 120mm(平均値の50%)、7月4日貯水率47.4%となった。9月より奈良県 水道10%取水制限、23日貯水率29.3%と減少し、28日取水制限58%に強化した。その後も雨は降らず8月21日は貯水率21.5%まで低下したが、22日以降断続的に降雨があり、28日貯水率51.2%まで回復し、取水制限30%に緩和。また、他の県営水道関連ダムの貯水率も回復し、これらのダム貯水率が50%を越えたことにより、29日、50日振りの取水制限を解除した。このときの渇水では、4年前の平成2年の渇水時より、節水意識の向上や早期の対応により、学校、公営プールが使用中止となった他は特に大きな被害は生じなかった。
 以上、奈良県における水害と渇水をみてきたが、今日までのダム開発史について次のように追ってみる。


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