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大規模開発の光と影

 第二次世界大戦後の日本経済は、朝鮮戦争を契機として復興の足がかりを確保した。昭和30年代に入って「経済自立五ヶ年計画」や「新長期経済計画」などの経済成長を目指した政策が展開された。政府資金を積極投入して社会資本を充実させるという政府主導の景気策だった。この結果、「神武景気」(昭和30年〜32年)、「岩戸景気」(同34年〜36年)と呼ばれる未曾有(みぞう)の好景気がもたらされた。池田内閣の「所得倍増計画」(35年)では、水資源開発が政府の経済政策として初めて組み込まれた。@水需要の増大に対する供給は貯水による流量の安定と利用率の向上によること、A先行的開発のための制度が必要であること、B治水・利水が有機的に連携を保つこと、が明示された。多目的ダム建設の理論化であった。(「ダムの役割」(ダムの役割調査分科会・平成十七年三月刊)参照)。

 昭和37年(1962)に策定された第一次全国総合開発計画(「全総」)では、地域間格差是正と均衡ある国土発展を図るため、全国に開発拠点を設けて、その地点からの波及効果による地域振興を目指した。しかしながら、その後の高度経済成長過程において過密と過疎の問題が一層深刻となった。東京を中核とする太平洋ベルト地帯(工業地帯)とそれ以外の地域(特に日本海側や東北・北海道地方)との生活格差が大きな社会問題となり、今日でも「東京一極集中」は未解決の政策課題として残されている。

 44年(1969)には新全国総合開発計画(「新全総」)が策定された。この計画では、@技術革新の推進、A全国規模での大規模開発プロジェクトの展開がうたわれた。一連の計画を実施するにあたって、将来の水需要予測がキーワードのひとつであった。@工業生産の飛躍的拡大による工業用水の増加、A農業経営の近代化に伴う農業用水の増大、B給水人口の増大と生活水準の向上に伴う上水道用水の増加が、かつてない量となると予測された。これは、広域的かつ計画的な水資源開発を進め、安定した水供給を確保することが大都市圏を中心にして緊急課題であることを喚起したものである。

 この時期、急増する水需要に対応するため、大都市圏の工場・ビル・水道事業体などは、水質が良く比較的安定して安価に供給できる地下水に水源を求めた。だがそこには大きな落とし穴があった。東京都江東区や大阪市西淀川区などで地盤沈下が急速に進んだ。海抜ゼロメートル地帯が出現し、高潮に飲みこまれる低地化した海岸線が広がった。地下水の汲み上げは中止に追い込まれ、水需要の増大に対する新たな河川水開発への期待が一挙に高まることになった。かつてない高度経済成長は、一方で環境破壊を深刻化させた事実も忘れてはなるまい。


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