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「フルブラン」導入と多目的ダム建設

 昭和36年(1961)、水資源開発促進法が制定された。広域的な用水対策を緊急に実施する必要がある場合には、@その地域の水系を水資源開発水系に指定し、A水系ごとに水需要の見通しと供給のために必要な施設の建設に関する事項を定めた水資源開発基本計画(「フルプラン」)を定め、B水資源の開発と利用のための事業を実施することが定められた。同時に、計画の実施組織として水資源開発公団(現水資源機構)が設立された。

 水資源開発水系は、大都市圏やその近くを流れる大河川が対象となるのはいわば必然であり、37年4月に利根川水系と淀川水系が最初に指定され、同年8月に「フルプラン」が決定された。次いで、39年に筑後川水系、40年に木曽川水系、41年に吉野川水系がそれぞれ指定され、水系ごとに独自の「フルプラン」が策定された。さらには、49年荒川水系が指定され、利根川水系と荒川水系の基本計画が一本化された。平成2年(1990)には豊川水系が7番目の水資源開発水系に指定された。

 関東一の大河・利根川水系の「フルプラン」を計画の代表例として見てみる。計画では緊急に用水確保を図る必要性から、新規利水量・毎秒30立方メートル(トン)の確保を目指すため、矢木沢ダム(水資源機構、42年完成)、下久保ダム(水資源機構、43年完成)の建設を最優先事業とした。利根川水系「フルプラン」は、その後38年に利根導水路はじめ印旛沼開発や群馬用水の追加を経て、39年に45年度を目標年次とする水需要計画を加えて、「第一次利根川フルプラン」が成立した。このうち利根川の河水を荒川を経由して都心に導く利根導水路事業は、水資源開発公団創設後最初の事業として38年に着工し、5年後に完成した。世紀の祭典東京オリンピックを直前に控えて首都圏は未曾有の大渇水に見舞われ、「東京砂漠」とまで言われた。そこで公団では工事中の導水施設を緊急活用することになり東京オリンピックの中止という最悪の事態は回避することが出来た。(拙書『砂漠に川流る』参考)。

 利根川水系では、その後の急増する水需要に対応するため、奈良俣ダム(水資源機構)、思川開発・南摩(なんま)ダム(同)、川治ダム(国土交通省)、八ツ場(やんば)ダム(同)などの建設・整備計画が追加された。荒川水系の水資源開発水系指定に伴い、荒川水系では滝沢ダム(水資源機構)、浦山ダム(同)が着工された。首都圏の住民は生活用水を北関東のダム群に依存し、その恩恵に浴していることを忘れてはなるまい。



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