1.三重県のすがた
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津藩の新田開発
藤堂高虎を藩祖とする津藩は、伊賀の上野藩と伊勢の安濃津藩と合わせて誕生し、32万3950石の地行高である。深谷克己著『津藩』(吉川弘文館・平成14年)によると、津藩は石高をあげるために大河川から用水を引くだけでなく、新しい池を堀り、古い池は修築し、耕作化の可能性のある場所は水田化し、水田が無理なら畑地とする新田開発と五穀外作物の奨励の方針をとった。
二代藩主高次は西島八兵衛を重用し、慶安2年八兵衛は、一志郡で大規模な雲出井を完成させた。この雲出井は延長13kmの長大な用水路で、一志町高野で取水し、13ケ村の 595haに取水し、石高8885石となった。
また、山中為綱は、承応2年9年間を要し、雲出川の水を引いて 2.7kmの用水路を開削し、雲出川に流し返す新水路を設けた。これまでの高野井では 120haしか灌漑できなかったが、その4倍の 488haの灌漑面積に拡張した。この年久居市戸木町、野辺野、津市小森に新田をつくり、粟原池、半田池を掘っている。伊賀では高次の時代に溜池29基の築造と古池15基が修築さた。このように藩政の時代から治水、利水が重要視されてきた。
三重県の人口・地形・気候
三重県は近畿地方の東部に位置し、南北に細長く、西の岐阜県、滋賀県、奈良県の県境には1000m弱を越える産地が連なり、東には伊勢湾、南に熊野灘に面し、中央部には志摩半島が突き出している。伊勢湾沿いには桑名市、四日市市、津市、松阪市、伊勢市の主要都市がほとんど分布する。
人口 186.3万人(平成18年4月現在)、総面積5776.6km2、人口密度 323.5人(1km2当たり)である。人口動態は昭和30年〜35年にわずかに減少したが大正9年 106.9万人であった人口は、1.74倍と増えた。平成12年産業別就業者数をみると、製造業26.1%、サービス業24.8%、卸売・小売業・飲食店20.4%、建設業 9.7%、運輸・通信業 6.2%、農業・林業・漁業 5.2%、その他 7.5%となっている。
地形的には、三重県は、中央を流れる櫛田川に沿った中央構造線によって大きく北側の内陸地帯と南側の外帯地域に分けられる。内陸地帯は東に伊勢湾を望み、北西に養老、鈴鹿、笠置、布引等の 700〜 800m級の山地が連なる。一方、外帯地帯の東部はリアス式海岸の志摩半島から熊野灘に沿って南下し、紀伊半島東部を形成し、西部には最高峰日出ケ岳(標高1695m)を中心に紀伊山地を形成する。
気候をみてみると、内陸地帯の津市は年平均気温15.5℃、年平均湿度70%と比較的温暖で過ごしやすい。年降水量は平成16年2084.5mmと多雨年となったが、最近10年間では、 1637.6 mmである。これに対し、伊賀盆地にある伊賀市の年平均気温は13.8℃と低く、夏冬や朝夕の温度格差が大きい。内陸型の気候の特徴を示す。一方、外帯地域東側の海岸地帯は、黒潮の影響で温暖な地域が広がっている。とくに、尾鷲市は年平均気温15.9℃と四季を通じて暖かい海洋型の気候であるが、一方では平均降水量3922.4mmと、全国でも有数の多雨地帯である。
三重県・5つの地域
三重県は北勢地域、伊賀地域、中勢地域、南勢・志摩地域、東紀州地域の5つの地域に区分される。
・北勢地域は伊勢平野の北部に位置し、愛知県と接し、木曽川、長良川、揖斐川の木曽三川下流域で輪中と濃尾平野を形成し、東は伊勢湾に面し、西は鈴鹿山脈で滋賀県と接する。 昭和30年四日市の石油化学コンビナートとの完成により、桑名市の鋳物工業、鈴鹿市、亀山市のオートバイを主とする機械工業と併せて、三重県の工業出荷額の大半をしめる。 農業では、鈴鹿山脈の麓の台地の茶、輪中地帯のビニールハウスによる野菜作りは栄んである。また交通の面では名古屋市には至近距離にあり、JR関西線、近鉄名古屋線、国道1号線、23号線、東名阪自動車道路により、恵まれた地域である。
・伊賀地域は、上野盆地の全域であって、かって伊賀の国にあたる。盆地は肥沃な土地であることから良質の伊賀米の産地として知られる。各阪国道の開通により輸送の利便性に伴い、窯業、衣料、電気機器、機械などの工場がつくられ、大阪に近いため、大阪方面に通勤、通学する人が多い。上野市は、静かな城下町で、松尾芭蕉の生誕地である。
・中勢地域は伊賀平野の中央部を占め、古くから港町と発展した津市は、県庁所在地都市として、行政、文化の中心をなしている。農業では雲出川流域や低地で、主に稲作が行われ、また久居市などの台地では苗木や花の栽培が栄んである。また有名な松阪牛の飼育、伊勢湾沿岸の漁業、海苔などの養殖がある。 一方、工業では戦前から繊維、木材、食料品などの工場があり、戦後津市の南部伊倉津地区臨海工業地帯が開発され、マンモス造船所が誕生した。松坂市にはガラス、電機機器などの工場が進出し、北勢地域に次ぐ工業地帯を形成している。
・南勢・志摩地域は志摩半島全域が伊勢志摩国立公園に指定されている。JR参宮線、近鉄山田線、国道23号線によって、名古屋、大阪方面と結ばれ、伊勢神宮をはじめ、毎年1300万人近い観光客が訪れる。 農業は、宮川下流域の低地で米と大根の栽培が栄んであり、大根は「伊勢たくあん」として、全国に出荷されている。 漁業は、英虞湾、五ケ所湾などの内湾は真珠の養殖で全国的に有名である。真珠はアコヤ貝で養われるが、志摩半島の波静かな水温の変化が少ない湾内はアコヤ貝にとっては良い環境となっている。また南勢町は三重県最大の遠洋漁業の基地である。
・東紀州地域は昔の紀伊の国東部にあたる。この地域は、大部分は紀伊山地で占められ、低地は熊野灘沿岸のリアス式海岸の湾奥と熊野市から和歌山県に向けての海岸沿いわずかに分布する。この地形から林業が栄んで、冬は暖かく、雨が多い気候により尾鷲地方では杉、松の良質の木材がとれる。沿岸ではカツオ、サンマ、イカ漁が栄んである。
このように、三重県は、近畿地方と中部地方の中間地点に位置していることから、経済的に北勢、中勢地域は中京方面に、伊賀地域は関西方面に大きく影響を受けていることがわかる。
以上、三重県のすがたについて、旺文社編・発行『日本地理4近畿地方(三重県)』(平成2年)、三重県総合企画局編・発行『三重県勢要覧』(平成17年)に拠った。
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