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2.三重県の河川

 三重県の河川は、国土交通大臣所管の木曽川、鈴鹿川、雲出川、櫛田川、宮川の一級河川37河川、延長 250.7km、県知事所管の一級河川河川及び二級河川 548河川、延長2336km、この他市町村長所管の準用河川約 870河川、延長1040kmが流れている。

 主なる河川について5つの地域ごとに追ってみたい。
 北勢地域では木曽三川河口域には輪中をつくり、桑名市を貫流する員弁川は二級河川で県下最大の流域を持ち、四日市を流れる三滝川は工業地帯の中心地から伊勢湾に注ぐ。

 伊賀地域は布引山脈と笠置山脈とに挟まれた伊賀盆地で、木津川、名張川、久米川、矢谷川などが流れ、すべての河川は一級河川淀川水系に属し、大阪湾に注ぐ。このためこれらの河川は関西圏の影響を強く受けている。

 続いて、中勢地域の河川は、三重県のほぼ中央を流れる安濃川、雲出川、阪内川、櫛田川、などが伊勢湾に注ぐ。
 津市街地を貫流する安濃川は親水機能の整備が進められ、大内山川は車瀬工区において多孔質な構造の護岸により植生の復元と生息空間の確保を図っている。

 伊勢・志摩地域の代表的な河川は宮川である。この宮川は三重県最大の流域面積をもつ一級河川であり、上流域は我が国屈指の多雨地帯であることから早くから水資源開発がなされ宮川ダムが建設された。伊勢市を流れる五十鈴川は沿川に伊勢神宮もあることから、その周辺の環境と整合させた自然石張り、親水護岸の整備がされた。

 東紀州地域は3500mm〜4500mmの多雨地帯で、赤羽川、船津川、尾呂志川などの河川は紀伊山地が海岸まで迫り、水源から河口までの流路延長が短く、また古川、里川、相野谷川などは単独水系である。志原川は太平洋の荒波を直接受けて河口が閉塞し、流下阻害がおこり、その対策が急務である。

 以上、三重県の河川については、三重県県土整備部河川室・三重県河川協会編・発行『三重の河川』(平成17年)を参考とした。


 
 
3.三重県の水害

 このように、三重県は海と山と川、平野と盆地と多彩な自然環境に恵まれ、その恩恵を享受しているが、その反面たびたび水害に見舞われている。昭和34年の伊勢湾台風の惨事は、三重県の人たちにとって決して忘れることができない。この台風について小学館編・発行『日本大百科全書A』(平成7年)により、そのまま引用する。

伊勢湾台風 一九五九年(昭和三四)の一五号台風のこと。第二次世界大戦後最大の被害をもたらした。九月二一日にグアム島の北東海上で発生し、二二日九時から二三日九時までの二四時間で実に九一ヘクトパスカルも中心気圧が深まるなど、急速に発達した。最低気圧八九五ヘクトパスカルまで発達したこの超大型の強い台風は、その後もあまり衰えることなく北上し、二六日一八時過ぎに潮ノ岬付近に上陸したときでも、中心気圧九二五ヘクトパスカル、最大風速五0メートル、二五メートル以上の暴風半径は二五0キロという勢力を保っていた。このため紀伊半島や東海地方では、最大風速三0・以上の暴風となった。台風はその後、速い速度で本州を横断し、富山湾から日本海へ抜け、東北地方北部に再上陸した。東海道沿岸にあった前線は台風の影響を受けて活発化し、九州を除くほとんど全国で大雨となり、とくに紀伊半島では、総降水量が八00ミリを越えた。
 この台風は伊勢湾に高潮を引き起こし、名古屋港で三・四五メートルという気象高潮を観測している。全国の死者・行方不明五一0一人のうち、伊勢湾沿岸の愛知・三重両県で四六二四人を占めている。桑名市と名古屋市南部などは、全く泥海と化し、数日間は交通や通信網は完全に麻痺状態となった。海面すれすれの低地に都市が発達していった社会的条件が、被害を甚大なものにしていった典型的な例である。伊勢湾台風をきっかけとして、国土および国民の生命財産を災害から守るため、総合的、計画的な防災行政の整備と推進を目的とした災害対策基本法が一九六一年に制定された。   〔饒村 曜〕

 その後も昭和49年、低気圧に大雨、63年集中豪雨、平成6年台風26号、7年集中豪雨、9年台風9号、13年集中豪雨、16年台風21号により三重県各地に被害を及ぼした。
 伊勢湾台風襲来後、まもなく50年を迎えようとしている。


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