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1.宮崎県のすがた

■日向諸藩の新田開発

 宮崎県はあふれる太陽、澄みきった海、険しい山々、そして大小河川が流れ、自然に恵まれ、古くから日向と呼ばれわが国の建国にまつわる神話も多く、ロマンに満ちている。西都原古墳群にみられるように古代豪族により土地が開発されてきた。江戸時代には、延岡藩、高鍋藩、佐土原藩、飫肥藩、椎葉山地方人吉藩領、鹿児島藩領、幕領に分かれ、各々藩は米の生産力をあげるためにかんがい用水の開発を進めた。

 延岡藩では藤江監物、江尻喜多右衛門による五ヶ瀬川に岩熊井堰を築き、出北用水を完成させ、 131haの新田が得られ、鹿児島藩では穆佐郷倉永の山田溜池の築造、都城の乙房、川崎一帯の関之尾隧道、真幸〜吉松の中津川用水路、高岡郷の木森井堰、高崎郷の田平・縄瀬用水路、加久藤郷の堂本井堰などにより1万8788haが開田され、一方、飫肥藩清武郷では、松井五郎兵衛らによって清武川に井堰が設けられ、恒久、赤江方面へ用水路が開かれ、 445haの水田が得られた。

 また、貞享3年木材等の物資輸送のため堀川運河が完成した。この運河は広渡川閘門から油津港出口まで約1450m、平均幅25m、水深最深 2.5mであった。(坂上康俊ほか著『宮崎県の歴史』 (山川出版社・平成11年) )

 なお、岩熊井堰築造にあたっては、普請総支配、家老藤江監物であったが、水門口を完成と同時に豪雨に見舞われ破損、莫大な費用を擁し難行を究めた。用水開削反対派の諫言により公金流用等の罪に問われ失脚、父子ともども捕らえられ獄死した。この悲劇を描いた小説、城雪穂の『藤江監物私譜/笛女覚え書』(鉱脈社・平成8年)は興味深い。

■宮崎の地勢、人口、気候、地質

(イ) 宮崎県の地勢 

 宮崎県は九州南東部に位置し、東は太平洋(日向灘)に面し、北に大分県、西に熊本県、南に鹿児島県の3県に接する。山地は北部に傾山、祖母山、三方山、西部には国見山、市房山、南北に至る九州山地と韓国岳、高千穂の峰を主峰とする霧島山がそびえる。これらの山々を水源として、五ヶ瀬川、耳川、小丸川、一ツ瀬川、大淀川など幹線流路延長80kmにわたる河川は、西から東へ流れ日向灘に注ぎ豊富な水源に恵まれ、県中央部には宮崎平野が広がり、その南に都城・小林盆地がある。

 海岸の延長は約 400kmあり、県北に細島、県央に宮崎、県南に油津の重要港湾が存在し、一方延岡、古江、内海、福島などの港湾や油津、目井津、島野浦などの漁港を有する。

(ロ)宮崎県の人口

 宮崎の人口は 115.2万人(平成17年10月現在)、面積 7.735km2(林野面積75.6%を占める)、人口密度 149.1人/km2、人口動態は平成15年からやや減少傾向にある。

 産業別就業者別をみると、第1次産業13.1%(農業11.7%、林業 0.6%、漁業 0.8%)、第2次産業25.3%(鉱業 0.1%、建設業11.6%、製造業13.7%)、第3次産業61.3%(サービス業27.7%、卸売、小売業21.2%、その他)となっている。

(ハ)宮崎県の気候

 気候は南海型気候区に属し、県東部の海岸地方では年平均気温が17℃であり、日本で最も温暖な地帯に属している。しかし、西部の山沿い地方では15℃以下で、関東地方の気候に等しく、このうち、霧島山系のえびの高原では、年平均気温が 9.7℃で、東北地方に等しい寒冷地である。このように宮崎県は地勢が複雑なため、気温の地域差が大きい。また、平野部の日照時間は、年平均2200時間以上と多く、日本でも最も恵まれた地域である。降水量は県全域で年間に2000mm以上の雨が降り、年間降水量2800mm以上の地域が総面積のおよそ3分の1を占める。全国平均の1718mmと比べてもかなり雨が多い。特に霧島山系・鰐塚山系では3000mmを越える。霧島山系のえびの高原は、年降水量の平均値が4804mmで、高知県上魚梁瀬の4831mmに次ぐもので6〜7月の合計降水量の平均値は1650mmで全国1位である。

(ニ)宮崎県の地質

 地質は、日本列島の地質構造上の区分では、西南日本外帯に位置し、県北西部は秩父帯に、他の広大な地域は四万十帯に属する。

 県内の地質を大別すると、県北西部の高千穂町、五ヶ瀬町付近に古生層が露出し、県北東部から県中部の大部分の広範囲を、中生層と古第三紀層に属する四万十累層が占めている。

 県南部は古第三紀層を主とした日南層群(四万十累層)からなり、県中部から南部にかけての宮崎平野と、その南側の鰐塚山地の海岸部には、宮崎層群が広く分布している。

 第四紀の火山活動により、県北西部の五ヶ瀬川上流には阿蘇火山の噴出物が、県西部には霧島火山の噴出物がこれらの地層を覆っている。また、都城盆地および川内川上流の西諸方盆地には、約 2.2〜 2.5万年前に姶良火山が大規模噴火した際の火山砕屑物が厚く降り積もったシラス台地が広がり、大雨が続くとたびだび崩壊し災害を及ぼしてきた。

■宮崎県・5つの地区

 宮崎県の地形の特色によって、人口や産業の分布から次の5つの地区に分けることができる。

日向・延岡地区

 県北の日向灘に面する地区で、延岡市、門川町、日向市と海岸地帯に工業都市を形成している。大正12年延岡市に日本窒素肥料(株)延岡工場がつくられ、わが国初のアンモニアが製造された。五ヶ瀬川に水カ崎発電所も完成し、この工場に電力エネルギーの供給を図った。その後この工場が基礎となって旭化成(株)の工場群が発展し、化学繊維部門を加えて工業地帯を形成、昭和39年新産業都市の指定により、日向市には細島に工業港ができ、工業団地も造成され、金属、繊維工場など進出した。一方日向市の北へ、北浦町の海岸一帯はリアス式海岸の漁場として、イワシ漁が盛んで、北浦港では静かな入江を利用してハマチ養殖が行われている。

宮崎地区

 県中央部の地区で、宮崎平野には宮崎市を中心に高鍋町、新富町、西都市、清武町がとりかこみ、県民の約4割の人口を占めている。

 宮崎地区の地形は、西から東へ山地、台地、平地と階段状に低くなり台地と低地の境に多くのため池が造られ、宮崎県を代表する農業地域である。

 二期作の米作りをはじめ、野菜、草花、果樹などの園芸栽培が盛んで、マンゴもつくられている。一方、近くには西都原古墳群、青島や日南海岸を擁し、多くの観光客を集め、宮崎市内の主なる道路にはフェニックスが植えられ南国ムードをかもし出す。

山間部地区

 北部から南部にわたる地域で、九州山地の東半分にあたる高千穂町、五ヶ瀬町、椎葉村、須木村(現・小林市)である。集落は山間の小盆地にあり、山地を利用して、シイタケ、茶、栗などが栽培されいている。この地域で伐り出された木材は、日向市、西都市、小林市、都城市に集められているが、木材業者は近年減少をたどっている。

南西部地区

 霧島火山群の麓に広がる都城盆地を形成し、都城市と小林市、えびの市を中心とする地域である。江戸時代までは薩摩藩に属していたため生活習慣に宮崎県の他の地域とは異なる。都城市は木材や農・畜産物を原料とする加工業がみられ、小林市は地方商業の中心地的役割を果してきた。これらの盆地一帯はシラス火山灰の台地が広がり、畑作や畜産が盛んである。一方、霧島スカイラインの東口で、霧島観光の基地の働きが目立つ。

南部地区

 日南市、串間市を中心とした地区で、気候は温暖で多雨の地域である。台風の災害を受けることが多いため農業は早生稲をつくり、早生ミカンの収穫が多い。

 山地は良質の飫肥杉の産地で木材加工は日南市が中心でパルプ工場があり、油津から積み出されている。一方、油津、大堂津、目井津、外之浦の漁港はカツオの一本釣り、沿岸延縄漁業の基地となっている。

 以上、宮崎県のすがたについて、宮崎県土木部編・発行『宮崎県における災害文化の伝承』(平成18年)、旺文社編・発行『日本の地理・九州地方(宮崎県)』(平成2年)、宮崎県総合政策本部編『宮崎県勢要覧2005』(宮崎県統計協会・平成18年)に拠った。余談だが、この「要覧」の表紙に鑑賞用イネの写真があり、ひむか5品種(ひむか赤のげ、黒のげ、白のげ、赤もみ、黒もみ)で、遊休水田の景観づくり、生け花、ドライフラワー等に活用できるとあり、イネが食用でなく、景観づくりに栽培されていることには驚いた。


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