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移転した人たちに感謝して

第29回全日本中学生水の作文コンクール
最優秀賞(国土交通大臣賞)

青森県弘前市立第三中学校
小山内 香純

 毎年、「水の週間」に合わせて「全日本中学生水の作文コンクール」が行われています。平成19年度には第29回が実施されましたが、ここにその最優秀賞(国土交通大臣賞)を紹介します。
 なお、「水の日」、「水の週間」に関する情報や過去の作文作品などは、国土交通省HPをご覧下さい。
 
 「水とば無駄使いすればだめだ。大切にしなさい。」私は祖父母の家に行ったとき、水の無駄な使い方について注意されたことがあります。祖母は水についてとても厳しく、そして誰よりも水を大切にしています。しかし私は、こんなに水があるんだから少しくらい無駄に使っても大丈夫なんじゃないかと思っていて、なぜ祖母がそこまで水を大切にするのかわかりませんでした。

 ある時、同窓会から帰ってきた祖母が教えてくれました。「私は昔、砂子瀬というところに住んでいたんだよ。」私の母が生まれる少し前、祖母は砂子瀬という、西目屋村の集落に住んでいたのだそうです。そしてその砂子瀬と川原平は、ダムの下に水没してしまった集落なのです。


 昭和三十五年、目屋ダムが建設されました。目的は、治水・利水・発電です。そのダムを建設しなければ、水不足や洪水で困る人がたくさん出てしまいます。しかし、それらのことで困るのは下流の人であり、砂子瀬の人たちはダムが造られても関係ありませんでした。

 そんなダムのために、住みなれた家や土地、砂子瀬の文化や歴史など、今まで大切にしてきたものをすべて失わなければいけないのです。皆移転に反対しました。祖母も、祖母の家族や親戚の人たちも、猛反対しました。しかし下流の人たちは、何としても水不足や洪水による被害をなくしたかったのです。



 そこで起こったのが「米一握り運動」でした。砂子瀬の人は我々のために移らなければならない。だからみんなで一握りの米を、砂子瀬の人に気持ちとして出そう。そう思った下流の人たちは、自分たちの食料も水不足の影響で少ないなか、米を一握り持ち、砂子瀬の人に差し出したのです。津軽平野に住む全住民を対象にした運動でした。

 その気持が砂子瀬の人に伝わり、皆移転を承知しました。目屋ダムは、そんなたくさんの人のいろいろな思いがつまり建設されたのだそうです。

 私はそんなことも知らずに、水の無駄使いをしていたことがとても恥ずかしくなりました。そして祖母が水を大切にする理由もこのようなことがあったからだったのです。
 しかしそんな目屋ダムも、今じゃ公然と容量不足が指摘されているのです。そして新しく、津軽ダムが建設されることになったのだと教えてくれました。祖母は一度の移転ですみましたが、祖母の親戚の人たちは、移転した田代地区からもまた移転しなければいけなかったのです。

 しかも今度の移転によって、今までの、山に目々接し自然に囲まれてきた生活は困難になり、生活スタイルは変わってしまうのです。それなのに、この津軽ダムは、津軽地方の安全で豊かな暮らしを実現するための、大きな役割が期待されているのです。

 二度も大切にしてきたものを失わなければならなくなった田代地区の人の気持ちを考えると、決して水を無駄にしてはいけないのだと反省しました。祖母の親戚の人たちも、移転はしたくなかった、ずっとあそこにいたかったと言っています。「水を無駄使いすればだめだ。大切にしなさい。」祖母のこの言葉が、たくさんの人に届いてくれたらいいな、そう思いました。

 ダムのおかげで、私たちは水に困ることがありません。しかし、そんなダムを建設するために、たくさんのものを失って移転した人たちがいるのです。洪水を防ぎ、水を使う私たちのために、移転せざるをえなかった人たちがいることを忘れてはならないと思います。

 水を大切にしよう。そんな心で、水を支えてくれた人たちに感謝して、これからも水を大切にしていきたいです。

[関連ダム]  津軽ダム(再)
(2007年10月作成)
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