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◇七ヶ宿町とダムの出現

《七ヶ宿町》 
 七ヶ宿町は、宮城県の最西南端に位置し「蔵王国定公園」の一部を擁して、西は山形県、南は福島県に接する、山地が90%以上という自然に恵まれた町です。
 南東北3県の県都、仙台市、山形市、福島市からそれぞれおよそ60分の位置にあり、丁度3県の中心都市を結ぶ三角形の重心を為す位置にあります。
 町を横断している国道113号は、太平洋側と日本海側を結ぶ大動脈ですが、藩政時代から“山中七ヶ宿街道”と称し、大変重要な役割を持った道路です。七つの宿場が置かれ、大名が参勤交代のために往来したほか、諸国の行商人や出羽三山詣りの人々など数多くの人馬が往来し、大変な賑わいを見せたところです。


 明治になってからも、東北本線が開通して白石駅が開業し、白石から七ヶ宿に通じる道路が開通して車の通行が可能になったため、山形方面への物資の移動が飛躍的に増加し、好景気の時代を迎えました。しかし、明治32年に国鉄奥羽線が開通したため、宿駅としての機能に終焉を告げ、生業としていた駄送や旅籠では生活が成り立たなくなり、人々は、養蚕や木炭生産など農林業に転向することになったのです。

 大正9年に4,490人であった人口は、増加傾向をたどり昭和25年には5,536人を数えたのですが、その後は減少に転じ、昭和55年には3千人を割って2,926人となり、七ヶ宿ダム建設に伴う水没者の町外移転などによって、平成12年には2,034人となり、宮城県では二番目に小さな自治体となっています。


《ダムの出現》

 七ヶ宿町に源流を持つ一級河川阿武隈川水系の白石川に、東北でも最大級の「七ヶ宿ダム」が建設されました。

 多くの効果をもたらすダムですが、このダムの建設により、かつて宿場であった渡瀬をはじめ、三つの集落の158世帯、640人の住民が移転を余儀なくされ、七ヶ宿の歴史にかつてない変貌をもたらしました。



ダム湖全景、上流上空から

 ダムの建設計画は、正式に昭和45年に明らかにされました。およそ10年の歳月を要して昭和55年に用地交渉が纏まり、翌56年から本格的に工事が進められ、平成3年に完成致しました。

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