世界のダム 全項目表
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バイオントダム
Vajont
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建設当時は世界一高いアーチダムだった。完成して間もなく、1963年に隣接の地山が地滑りを起こし、それが原因で貯水池の水が越流し、下流で2000人を超える犠牲者を出す大惨事が発生。その後ダムは放棄され、現在は機能を果たしていない。 イタリア北部、イタリア・アルプスにあるピアーブ(Piave)川の左支川バイオント川の深い渓谷に位置する。ピアーブ川総合開発計画の一環として計画された。当初は民間会社である「アドリア電力会社」により建設され、1960年秋に完成したが、電力国有化法により、1962年に「イタリア電力会社」に移管された。 ダムは1960年11月30日に竣工。堤高262m、堤頂長190m。 水位を徐々に上げ、130mとなった時点で最初の地滑りがあった。この地滑りで貯水池は当時の水位で2分された形になったため、将来の地滑りの拡大を想定して両方を結ぶバイパス水路を1960〜61年に建設した。また、ダムのアバットメントの下流沿いに補強を施した。1961年以降、本格的に水位を上げ始めた。 1963年9月15日には地滑り速度21mm/日、26には22mm/日。地滑り速度が大きくなったので、貯水池の水位を下げるため、左岸の3本のトンネルから放水。9月28日からは激しい降雨。10月8日には地滑りの動きが活発に。 10月9日22時39分、長さ2.0km、幅1.6kmの左岸の地山が地滑りを起こし、1分に満たない時間で、貯水池の中に突入。このときの水位は満水位の22m下であり、貯水量は1億1500万立方メートルであったが、滑落した土量は2億4000万立方メートルにもなると推定されている。貯水されていた水は対岸の右岸上方へ250m押し上げられ、次に左岸側に戻ってきて、同時にダムの頂部を100mの高さで跳び越え、下流に流れ出た。ダム工事関係者と下流の5地区で、2125人の死者が出る大惨事となった。 事故責任については、裁判があって、事故に先立つ3、4日前に集落から住民を避難させるべきであったとして、8人が有罪となった。 ダム自体は大きな損傷を受けることはなかったが、その後放棄され、現在は機能を果たしていない。 |
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このごろ |
wDNレポート(2)〜ダムエンジニア3大悲劇
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国/河川 |
Italy[イタリア]/Vajont
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完成年 |
1960
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ダムタイプ | アーチ
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| 堤高/堤頂長/堤体積 | 262m/190m/360千m3 | 貯水池容量 | 168百万m3 |
リンク |
Vajont
Structural Engineering Water Resources Engineering, Dams
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【注】
データは、「WORLD REGISTER OF DAMS 2003」を基礎として、「Water Power & Dam Construction Yearbook 2003」、これら書物の新しい年版、雑誌の記事、ネット上の情報などを元に修正・補充して作成したものですが、資料によって情報内容が異なることがしばしばあり、正確性には限界があります。なお、ダムタイプについては、日本の型式分類の概念と必ずしも一致しない点がありますので、注意が必要です。
機能の略号は次の通り。 C : Compensation F : Flood/River controll G : GroundWater recharge H : Hydro power I : Irrigation M : Multi-puroose N : Navigation O : Other P : Pollution controll R : Recreation T : Transfer TA : Tailings W : Water supply
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wDNレポート(2)〜ダムエンジニア3大悲劇
with Dam☆Night 第一夜(10月25日)、「ダム歴史的構造物」で、プロローグとして川崎秀明山口大学教授が講演した。「ダム尻取り三尽くし」と題し、「第1問,With Dam Nightの3主役とは?」、「第2問,プロの名のついた3ダムとは?」、・・・と続く。
会場風景 その中で、「ダムエンジニア3大悲劇」という話がおもしろかった。現在の高度な技術を確立する過程で、悲劇が避けられなかったと言うことだろうか。悲劇の主人公は次の3人。いずれも高名なエンジニアだ。
■マルホランド(アメリカ人) 1913年、ロスアンゼルス導水路を完成させ、名声を得る。しかしその後、曲線重力式ダムのマルホランドダム(ハリウッド湖)を設計、1925年完成したが、このダムは問題があって1933-34年に下流面に大規模な盛土が実施された。独り立ちできなかったダム。ダム技術者としては、屈辱的?
■コイン(フランス人) 多数のダムの企画・設計に関係。驚異的なアーチダムやバットレスダムの設計で有名。天才エンジニアで、「アーチダムを芸術にした男」。しかし、世界一薄いダムとして設計したフランスのマルパッセダムは、1959年、初期貯水中に、数日前から続いた激しい雨により水位が急上昇、右岸の一部を残してダム本体が全面的に崩壊。
■セメンツァ(イタリア人) 水力ダム建設の責任者を多く務め、革新的な多くのダムを設計。「用強美の求道僧」。しかし、彼が設計したバイオントダムは1960年の完成時、堤高262mとアーチ式で世界最高の高さを誇ったが、1963年、ダムの左岸の山が長さ1.8 kmにわたって地すべりで崩壊、岩塊がダム湖に一気に流入、ダムの水が天端を100mの高さで越流し、下流で大被害が発生。
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(2010.10.28、Jny)
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