with Dam☆Night 第一夜(10月25日)、「ダム歴史的構造物」で、プロローグとして川崎秀明山口大学教授が講演した。「ダム尻取り三尽くし」と題し、「第1問,With Dam Nightの3主役とは?」、「第2問,プロの名のついた3ダムとは?」、・・・と続く。
会場風景 その中で、「ダムエンジニア3大悲劇」という話がおもしろかった。現在の高度な技術を確立する過程で、悲劇が避けられなかったと言うことだろうか。悲劇の主人公は次の3人。いずれも高名なエンジニアだ。
■マルホランド(アメリカ人) 1913年、ロスアンゼルス導水路を完成させ、名声を得る。しかしその後、曲線重力式ダムのマルホランドダム(ハリウッド湖)を設計、1925年完成したが、このダムは問題があって1933-34年に下流面に大規模な盛土が実施された。独り立ちできなかったダム。ダム技術者としては、屈辱的?
■コイン(フランス人) 多数のダムの企画・設計に関係。驚異的なアーチダムやバットレスダムの設計で有名。天才エンジニアで、「アーチダムを芸術にした男」。しかし、世界一薄いダムとして設計したフランスのマルパッセダムは、1959年、初期貯水中に、数日前から続いた激しい雨により水位が急上昇、右岸の一部を残してダム本体が全面的に崩壊。
■セメンツァ(イタリア人) 水力ダム建設の責任者を多く務め、革新的な多くのダムを設計。「用強美の求道僧」。しかし、彼が設計したバイオントダムは1960年の完成時、堤高262mとアーチ式で世界最高の高さを誇ったが、1963年、ダムの左岸の山が長さ1.8 kmにわたって地すべりで崩壊、岩塊がダム湖に一気に流入、ダムの水が天端を100mの高さで越流し、下流で大被害が発生。
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