JR水沢駅前の商業施設「メイプル」で『石淵ダムメモリアルパネル展』(8月10日−16日)が行われましたので、見学して来ました。
メイプル(岩手県奥州市水沢区)
石淵ダムメモリアルパネル展 〜石淵ダムから胆沢ダムにバトンタッチ!!〜 展示パネルは、石淵ダムが建設されるまでの胆沢扇状地の歴史、石淵ダムの役割、胆沢ダムの期待などです。このほか建設当時の石淵ダムの写真など一般の方は滅多に見ることができない写真などが展示され、見応えのある内容でした。
会場の様子
石淵ダム建設中の写真 今回のパネル展は、説明員は常駐していなかったようです。入場は無料ですから、買物客などが自由に見学することができます。アンケート用紙が置いてあり、見学者は自由に感想を書いて投函するという形式です。このような中で一人の老婦人が突然、私に質問をしてきました。私のことを説明係と勘違いしているようです。私も見学者の一人に過ぎないのですが、幸いなことに質問の内容が私の持っている知識でも十分回答できるものでした。
質問は、「なぜ石淵ダムは、無くなるのか?」ということでした。 婦人は石淵ダムのパンフレットを固く握りしめ至って真剣な表情です。 私は、石淵ダムの川下に新しく大きなダムが完成し、石淵ダムがそのダム湖に水没することを説明します。すると婦人の表情はますます険しくなり。「それでは、水を分け合うあの設備はどうなるのか?」と矢継ぎ早に尋ねてきました。徳水園(円筒分水工)のことを心配しているようです。円筒分水工については、水没せず今後も利用され続けることを話すと、とても安心したご様子になりました。
徳水園の円筒分水工 このご婦人は、中学を卒業後集団就職で都会に出てそのまま家庭を持ったということです。この世代の方にとって、ダムは、悲願であり、希望であり、光であったのです。石淵ダムの青く清らかな水を、徳水園の円筒分水工で公平に分かち合う。都会で自慢できることは、自分の故郷にはダムがあるということでした。都会の生活に忙殺され、胆沢ダム建設が進められていることは全く知らなかったということでした。
数年後には、道路標識や地図からも「石淵ダム」の文字は消えることになります。しかし、徳水園にある「石淵ダム」の石碑は、永遠に石淵ダムの記憶を残してくれることでしょう。
夜間工事中の胆沢ダム
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