《このごろ》
まぼろしの千苅ダム再開発

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 兵庫県の千苅ダムは、2級河川武庫川水系羽束川に建設された上水道専用のダムです。このダムは、大正8(1919年)年に竣工、その後、昭和6(1931)年に嵩上げ工事が行われて現在の姿になっています。

1.千苅ダムの放水堰堤

 千苅ダムは、一般に千苅ダムとして知られている「主堰堤」と、大規模な「放水堰堤」(現地案内板の記載では「放水えん堤」)から構成されています。放水堰堤は「堰堤」と称されてはいるものの、役割は越流堤であってダムではありません。したがって、洪水吐(余水吐)ということになります。この放水堰堤は、主堰堤左岸側の立入禁止区域に位置しています。型式や条件は異なりますが、千苅ダムの全体像は、三島ダム(千葉県)の構造に近いイメージのダムということになります。
 千苅ダムの放水堰堤は裏方に徹していますので、トンネル吐口のほかは目立たない存在です。一般人の目から隔絶された放水堰堤ではありますが、大岩岳への登山ルートから、この越流部を遠望することができます。


武庫川流域委員会資料より。


三島ダムの越流部(撮影:柳二郎)。

 千苅ダム本体のスライドゲートは、全開時(EL=175.3m)はゲートをすべて引下げ、全閉時(EL=176.8m)には引き上げる方式です。また、全閉時であってもゲート上部を洪水が越流することを前提として設計されています。


武庫川流域委員会資料より。

 千苅ダムの放水堰堤は、上述の三島ダムなど多くのフィルダムおいて一般に採用される側水路式の自由越流堤です。この越流部の敷高は、本体ゲート全閉時の越流水位と同じ標高(EL=176.8m)となっています。すなわち放水堰堤から放流時には、引き上げられた本体ゲートの上を洪水が同時に越流しているということになります。
 放水堰堤を越流した洪水は、千苅ダム本体左岸にあるトンネルの吐口から滝のようになって流れ落ちます。そしてダム直下で本体から放流された水と合流して羽束川に復帰、さらに武庫川に合流して宝塚大劇場付近を静かに通過し、西宮市と尼崎市の市境を形成して瀬戸内海に注ぎます。流域は多くの住民の生活基盤となっているほか、河口部は大手金属メーカーをはじめとする大企業の生産拠点が存在し阪神工業地帯の一翼を担っています。


千苅ダム放水堰堤、大岩岳登山ルートからの遠望。

2.洪水期の千苅ダム

 かつて千苅ダムは、年間を通じてゲートを引上げたまま(EL=176.8m)の運用となっていました。しかし、平成18年頃から洪水期(6月1日〜9月30日)には、ゲートを全開する(引き下げる)ようになりました。これにより、洪水期の制限水位は、非洪水期より1.5mほど低下(EL=175.3m)したことになります。
 この結果、洪水期に放水堰堤から放流されることはほとんどなくなったと思われます。一方で、ゲートが全開されるようになったため、洪水期での本体からの放流は以前よりも頻繁に見られるようになりました。現在、放水堰堤からの放流が見られるのは、非洪水期(10月1日〜5月31日)において、水位が高いときに限られます。


ゲート全閉時の越流。


放水堰堤からの越流水。

 ダム管理者(神戸市水道局)に対して、洪水期にゲート全開を提言したのは、「武庫川流域委員会」です。
 元々、武庫川の河川管理者である兵庫県が、神戸市(千苅ダムの管理者)に対して洪水期にゲートを全開するように、再三指導を続けてきたという経緯がありました。これは、ダム検査規定第4条(建設省訓令)による指導ということです。ところが、神戸市がこの指導に従わず、洪水期でもゲート全閉運用が続けられてきました。地方自治制度においては、政令指定都市(神戸市)は、都道府県(兵庫県)とほぼ同格の行政権を有していますので、このようなことが起こり得たのかもしれません。
 実際は、神戸市が兵庫県の指導を無視したということではなく、千苅ダムのゲート操作に関する明確な規定が水道局において定められていなかったということが真相のようです。武庫川流域委員会は、神戸市が、兵庫県の指導内容に従っていない点を指摘しました。この結果、神戸市水道局側も洪水期にゲート全開運用することになりました。

3.武庫川流域委員会

 武庫川流域委員会は河川法に基づいて設置された流域委員会でした。委員会は、地域住民と学識経験者によって組織され、今後の武庫川の河川整備のあり方が多面的に議論されました。
 この委員会は、主として平日日中の開催ではありましたが、一般の傍聴も認められ公開の場で運営されていました。少なくとも、短絡的にダム建設の是非を問うような場ではなかったと思います。私も、一般の立場から委員会を傍聴させていただいたことがありました。一度傍聴に参加してアンケートを提出した後は、次回の委員会開催の案内や資料が送られてきました。広く一般の意見を求めようとする姿勢を感じとることができました。
 かつて、武庫川には、兵庫県によって武庫川ダム(目的FR)が計画されたことがあります。委員会は足掛け4年・総計68回に及ぶ審議の結果、武庫川ダムの建設中止が最善であるという結論を出しました。今後は、青野ダムの事前放流と武庫川の整備を進めることによって洪水から都市を守るということになりました。

4.千苅ダムの再開発

 武庫川流域員会において、新規ダム(武庫川ダム)建設中止の代替案として、千苅ダムに治水機能を持たせるという提案が真剣に検討されたことがありました。これは費用対効果のみならず環境・生態系などを考慮した一つの試案でした。千苅ダムに白羽の矢が立てられたのは、千苅ダムの流域が、武庫川流域の中で最大であったからです。
 すでに竣工から100年近い年月を経過しているダムに、阪神工業地帯の防災・減災を託そうという考えです。

 武庫川流域委員会では、
(A案)千苅ダム本体にコンジットゲートを新設する。
(B案)本体と放水堰堤の間の地山に、新たに洪水吐きトンネルを新設する。
(C案)放水堰堤の下流側に、新たに洪水吐きトンネルを新設する。
という3つの再開発案が検討され、C案が最も優位な案として採用されたようです。
 しかし、水利権者の同意が得られなかったこと、合意形成までに相当な時間がかかる見込みであること等から千苅ダムの再開発計画はまぼろしに終わりました。
 当面、千苅ダムは美しい石積堰堤の姿を保持して行くようです。

 これからの季節は、ゲート全開中のため放流シーンも多くみられると思います。JR道場駅からも徒歩圏内にあるダムです。是非、一度は訪れてみてください。


ゲート全開時の放流。

[関連ダム] 千苅ダム
(2013.6.21、安部塁)
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