《このごろ》
ダム技術者が書いた日本史の本

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 先日、書店で平積みされている『日本史の謎は「地形」で解ける』(PHP文庫)という本を手に取りました。パラパラとめくり、著者紹介を見ると、

著者紹介
竹村公太郎(たけむら こうたろう)
1945年生まれ。横浜市出身。1970年、東北大学工学部土木学科修士課程修了。同年、建設省入省。以来、主にダム・河川事業を担当し…

と記載されていました。聞き覚えのあるお名前です。ダム便覧で確認すると、やはり、その方でした。詳細は、ダムインタビュー(26)竹村公太郎さんに聞く「未来を見通したインフラ整備が大事で、ダムの役目はまだまだ大きいですよ」をご覧ください。
 このインタビュー記事にもある通り、河川やダムのエキスパートでありながら、日本文明や忠臣蔵にも造詣の深い著者です。そこで、一緒に並べてあった『日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化編】』とともに迷わず購入することにしました。


『日本史の謎は「地形」で解ける』、『日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化編】』

 著者は、川治ダム(栃木県)・大川ダム(福島県)・宮ヶ瀬ダム(神奈川県)の建設現場で技術者としての職務に携われたほか、建設行政で、東京・新潟・名古屋・大阪・広島に勤務、20年間の転勤生活で全国各地の地形と気象の多様性に驚かされたということです。この知識と経験をベースに、2冊の本は誕生しました。

 ほんの一部を紹介すると、
■関ヶ原勝利後、なぜ家康はすぐ江戸に戻ったか
■なぜ信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしたか
■なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたか
■元寇が失敗に終わった本当の理由とは何か
■半蔵門は本当に裏門だったのか
■赤穂浪士の討ち入りはなぜ成功したか
■なぜ徳川幕府は吉良家を抹殺したか
等々盛り沢山な内容です。
 ダム技術者として地形の微妙な起伏などを根拠とし、定説に対して新しい解釈を示され、とても興味深く読むことができます。


■なぜ吉原遊郭は移転したのか

 一般にその理由は、江戸の風紀・秩序を維持するためと、明暦の大火後の区画整理を目的としたものであったとされています。
 しかし簡潔に筆者の見解を示すと、その理由は、次のようになっています。

・吉原遊郭は、元々日本橋人形町にあったものである。江戸幕府は、これを日本堤(現在の東京都台東区、当時は江戸の郊外)に移転させた。
・大川(現在の隅田川・当時の荒川)の洪水から江戸を防御するために日本堤という堤防が建設された。当地に吉原遊郭を移転させることで、遊郭を訪れる客が日本堤の土手を歩き踏み固め、堤防が強固なものになる。
・現代のような重機がなかった江戸時代、多くの人々が堤頂を歩くことで結果的に堤防を固めることになる。
・すなわち、幕府は吉原遊郭に移転を命じた真の理由は治水目的であった。


現在の東京都台東区日本堤付近

 本当に地形に精通し、河川と気象を熟知した人間であるからこそ、このような発見ができるものだと思います。
2冊の本の内容は、日本史の謎とされる部分について著者の知識を基に分析したものです。しかし、随所にダムについても言及されています。その部分を引用すると次のような記載となっています。

・21世紀、人々の生命の源の「水」を貯留するダムの役割は大きくなることはあっても、小さくなることはない。
・貯水量から見ると10mのダムの嵩上げは、新しい100mのダム建設に匹敵する価値がある。
・ダムの嵩上げの観点から見ると、20世紀に造った数多くのダムは、未来の子孫たちが行うダム嵩上げの基礎構造物であったといえる。


嵩上げ工事が進められている桂沢ダム(北海道)

 私は「正しい歴史」というものを確定させることは無理な作業だと思います。そもそも「歴史」には時の権力者が自身に都合が良いように改変し続けた部分が多いのではないかと思っています。この本は「地形」という動かない証拠によって、改変される前の事実を検証したものです。歴史の本ではありながら、単に過去を知るためだけのものではなく、ダムの活用による日本の未来を示唆している内容です。ぜひご一読ください。

(2014.3.18、安部塁)
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