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ダムインタビュー(26)
竹村公太郎さんに聞く
「未来を見通したインフラ整備が大事で、ダムの役目はまだまだ大きいですよ」

竹村公太郎さん(財団法人リバーフロント整備センター理事長)は、かつて旧建設省の河川局長時代に、新聞に掲載された記事に公開質問状を出し、その後のやりとりをインターネット上で全文公開、真実を公開の場で明らかにしようという果敢な行動は、当時の人々に大きなインパクトを与えました。

また、幅広い知見と活動はよく知られるところであり、最近では著書も多数、その議論はインフラから歴史、文明にも及びんでいます。

その竹村さんに、ダム造りの経験、マスコミとのやりとり、日本を支えるインフラのあり方など多方面の話題について、わかりやすくお話しをしていただきました。

(インタビュー・編集・文:中野、写真:廣池)




 
 
ダムとの関わりのきっかけは?

中野: 学生時代は、土木工学科で修士まで勉強されてから入省されたと伺っていますが、当初からダムというものに携わるおつもりだったのでしょうか?

竹村: それはまったくなかったですね。山の中でダムの仕事をやるとは思っていませんでした。

中野: 初めてのダム現場は、川治ダムだと伺いましたが、ダムをやりたいという希望がまったくなかったところから、いきなり川治ダムへ行かれたのですか?その辺りの経緯を…。

竹村: 人事のことはよくわかりませんが、結果的に見ると関東地方整備局へ三人入ったんです。一人が河川の利根川上流工事事務所に行って、もう一人が道路の首都国道工事事務所に行き、私がダムだということになったみたいですね。結果的に、川治ダムに行ってよかったです。当時の所長が堀和夫さんでした。堀さんはその後、北陸の局長をやって、熊谷組に行かれ、副社長にまでなられたと思います。

中野: 堀さんはうちの協会でも役員をされておられました。

竹村: 僕にとって、堀さんは生涯の所長さんです。最初の所長は大きな存在です。だから今でも会ったら所長と呼びたくなってしまいます。実際、会うと、いつも意見されています。ちゃんと竹村はやっているか、健康には気をつけろ、とか若い頃と同じような感じで言われてしまいます。

初仕事で成果の出せた四年間

中野: 現場でのご苦労はたいへんでしたか?今、楽しかったとおっしゃっていましたが。

竹村: 川治ダムではダムの地質調と140mのアーチダムの本体設計を任されました。当然、いきなり設計は出来ないので、配属されて二、三ヶ月したら土木研究所へ派遣され、土研で勉強してこいということでした。

当時、土研では、飯田隆一さんがダム構造室長で、柴田功さんが主任研究員、原田譲二さんがダム研究員というそうそうたるメンバーがダム構造室におられました。そこへ派遣されて、タイガー計算機を回したり、コンピュータは初期の段階でしたので、センチュリーリサーチというところへ行って、アーチダムの本体設計プログラムを動かして計算するのが私のテーマでした。

プログラム自体は、飯田さんが作ったものでした。それは立派に出来ていますから動くのですが、要はプログラムがブラックボックスになったらいけない。そのプロセスを勉強した訳です。カンチレバーと水平のアーチがどのような挙動をしているかを手計算して、アーチダムの本体計算の感触をわかったうえで、実際の計算はコンピュータでやる。そうやって設計の勉強をして川治ダムの現場に戻りました。


川治ダム(撮影:だい)
中野: ダムとの関わり始めは、まずは現場で勉強という状況ですね。そういう中でいちばん印象深かったのはどんな事ですか?


思い出の川治ダムを訪問

竹村: 川治ダムの現場に戻ってからは、調査横坑の調査をやりました。安全なアーチダムのため、ダム軸や掘削線を決めるにはともかく地質を調べなければならない。まだ自分自身は経験がない状態で、先輩の地質屋さんに教えられながら調査を繰り返しました。あの時期が僕にとって、一つのことに対して夢中になっていた時期でした。

それまで、ダムのアバットメントをどこまで奥深くいれるかということで土木研究所と現場事務所の意見が分かれていた部分がありました。土研と掘和夫さんとずっと意見が異なっていたのです。ある時、私は調査横抗を一人で調査していました。その場所は今まで何回も通っていた場所でしたが、ある断層の食い違いをみつけました。事務所に帰って所長の堀さんに「所長、発見しました」と言って、現場に行って二人でそれを見ました。ダムの安全上ここまで深く掘削して、断層の食い違いを取ってしまいましょうという事になり、川治ダムのアバット、掘削面が決まったという事がありました。
その後、僕は川治ダム本体の発注の積算をしている最中に、本局の係長に転勤したのですが、川治での四年間はとても楽しいというか、勉強になったと思います。あとから聞きますと、施工は鹿島建設がやったのですが、川冶ダムのダム軸と掘削線はあそこしかなかった、と言ってくれたのは嬉しかったですね。それは僕に向かって言ったのではなく、鹿島建設の人が他の誰かに言っていたのを、そばで聞いていたのです。僕がそれを決めたというのは知らないまま言っていたのです。それが嬉しかった。

大川ダムで RCDの誕生に立ち会う

中野: 川治ダムのあとの現場が、宮ケ瀬ダムですか?

竹村: いや、大川ダムです、会津若松市の。ここでは、開発調査課長をやりました。何をしたかというと、日本で最初のRCD試験をやりました。最初のRCDダムは、島地川ダムと言われていますが、最初にRCDコンクリート打設したのは、大川ダムの上流締め切りダムで、1万立米の試験施工をやったのです。その時の施工JVの所長は、今は鹿島建設の会長さんの梅田さんでした。

大川ダムでRCDを日本で初めて施工しました。コンクリート、いわゆるボロコン、貧配合のコンクリートを打って締め固めて、ジャンカだらけにしてしまいました。それで、これは一体どうすればいいのか、もう少し薄くコンクリートを蒔こうとか、ブルトーザで何回か押そうとか、いろいろと発想が出てきました。そういう発想はあの現場から生まれていきました。

RCDコンクリートの配合設計のα、βというのは、この大川ダムでできました。それまでRCDコンクリートの配合設計はまったくなかったんです。従来のコンクリート仕様書からはまったく逸脱していた。コンクリート標準仕様書からは、まったくはずれたことを僕たちはやっていたのです。その時、鹿島建設の研究所のみなさんと毎日のように議論してα、βという概念をつくった。今、それがRCDの配合設計の基本になっています。


大川ダム(撮影:安部塁)
幸せだったことは、日本でRCDが最初に誕生した現場に立ち会っていたということです。それが大川ダムでの一番の思い出です。

ダムが出来たら、出来るだけ多くの人に見てもらいたい

中野: では、宮ヶ瀬に行かれたのは、その後なんですね。

竹村: そうです、その次の現場が宮ヶ瀬ダムです。所長を拝命しました。だから、私はダム現場を三つやったことになります。ほかは中部地建の河川部長で長良川河口堰でした。だから河川の大型構造物しかやっていない。ある意味ではダムという大型構造物に偏った人生を送ってきた人間です。こんなに偏った人間は今ではいないと思いますよ。(笑)

宮ヶ瀬ダムに行った時期は、ダム本体の設計を行い、本体発注を行う頃です。そこで本体設計と工事の仮設備を全部作成させてもらいました。この時期は大変面白かった。なぜかというと、本体設計と仮設備を作成することによって、将来、宮ヶ瀬ダムが完成した暁に、一般の人々をどうやって宮ヶ瀬ダム堤体の中に入れて遊ばせられるか、ということを仕掛けていたのです。

中野: 今は、すごくたくさんの観光客が宮ヶ瀬ダムに行っていますね。

竹村: そうでしょう。今は一般市民は当たり前のようにダムに入っています。でも当時、本省でそのようなことを言ったら、ふざけるんじゃない、ダムの中に一般人をぞろぞろ入れるなんてとんでもない、と怒られたでしょう。もしダムが爆破されたらどうするんだなんて、そういう心配も出てくるから。私は職員には絶対に本省には黙っていろと厳命していました。これは単なる調査用の大きめのダムギャラリーだと。この宮ヶ瀬ダムが完成する頃には、世の中が変わっていて、一般の見学者をダムに入れても良い状況になっているはずだ、と確信していました。それは見事に当たりましたね。

中野: 竹村さんは、「日本文明の謎を解く」という著書の中で先を見つめるインフラというのを書かれていて、土木というのは今よりも先、何年後どうなるというのを見越して造るのが大切だとおっしゃってますね。


宮ヶ瀬ダムのインクライン(撮影:安部塁)

竹村: 宮ヶ瀬ダムの右岸下流面の観光用インクラインって知っていますか?実は、仮設備の時期から狙っていたのです。

本体コンクリート打設でダンプを下に降ろす時、コンクリートを積んだダンプをそのままインクラインに乗せて、打設面までおろしてしまおうと考えた。そして、そのインクラインのケーブルはやじろべえ式にする。玉川ダムではケーブルはぐるぐると巻き取る方式でした。それを宮ヶ瀬ダムでは、やじろべえ式にしてしまおうと思い付いたのです。エレベータと同じように荷の上げ下ろしは、やじろべえの一方にカウンターウエイトを乗っけて、最小限の力で上げ下げ出来るようにする。そして、そのカウンターウエイトの線路は、将来、宮ヶ瀬ダム完成後の観光用インクラインにしようと狙ったのです。将来の観光用インクラインの基礎を造っておいたのです。いまでは、お客さんがワイワイ言いながらインクラインに乗っているでしょ。
中野: 将来を見据えて、きちんとした土台造り、設計をしなければいけないと…。多少お金がかかったのですか?

竹村: あの時代はそういう事が許された時代でした。でもそれは決して高い工事をやったのではなく、実は非常に安く、経済的な事をねらった結果そうなったのです。ダム屋の私は、宮ヶ瀬ダムが完成したら、水源地がお客さんでいっぱいになるようにと、それはもう執念でいろんな方法を考え抜きました。

図体のでっかいダムは、世の中では敵役になりがち

中野: そうしたダム造りのご経験を踏まえつつですが、今のダム不要論はどのように受けとめていらっしゃいますか?

竹村: 今も昔も将来も、ダムは必要だと思っています。ただし、バブルの時期に精査してダムを計画したのかというと、やはりイケイケドンドンという傾向もあった、と思います。そういうダムが、仮に100個に1個あったとしたら、その1個がものすごくクローズアップされて、ダムはいらないとなってしまう。

もう一つは、ダムがあまりに巨大な構造物なので、どうもえばっているような感じを与えてしまう。どうしても社会の敵役になりがちです。社会の中には敵役は必要なのですが、それは弱くて壊れそうなものでは仕方がない、ものすごく頑丈で存在感がある敵役というものがダムであった。長野県知事だった田中康夫氏が「ポツダム宣伝」の「ポツ」を「脱」にして「脱ダム宣言」とわかりやすい言葉で、ダムはムダだというイメージ付けをされた。あの「脱ダム宣言」というのは非常に衝撃的なフレーズでしたね。

文書にして残しておくという絶好のチャンスを逃した田中康夫知事との幻の誌上対談

中野: そうですね。わかりやすいというか、実にインパクトがあったというか。

竹村: 当時、私は河川局長でした。ある有名な月刊誌の編集長が来て、田中康夫知事が脱ダム論を言っているので、竹村局長と面と向かって対談するのではなく、テーマを決めて、お互いにこう考える、ダムの良い点、悪い点を踏まえた冷静で客観的な誌上討論をしませんかと言ってきました。

官房長にお伺いをたてて、誌上討論をやっても良いと言われたので、すぐ編集者にそれを投げかえしました。編集者は「わかりました、ありがとうございます。竹村さんには断られると思ったのだけど、受けてくれたので田中康夫知事のところにお話に行ってきます」ということでした。

1週間後、編集者が私の所へ来て、あれは没になりました。田中知事に断られてしまいました。「竹村局長ではいやだ」ということだったそうです。あの時、田中知事と私がダムについて、冷静にお互いの考え方を文書に残しておけばよかったと思っています。脱ダム論という考え方と、ダムが必要との考え方の相違を文献として残せる良いチャンスだったのですが、幻の誌上対談になってしまい、残念でした。

中野: 先方から、断られたのですか?

竹村: そう、編集者は、田中康夫知事には了解が取れる。断るのなら竹村局長だと思っていたそうです。だから最初に、私に話を持ちかけたそうです。先に田中知事に了解を取っておいて、後で河川局長が断ったとなると、私が困ることになるだろうと配慮して私の意向を確かめにきたということでした。

脱ダム論が出てきた初期の段階で、ダムの必要性と不必要性について議論して、その上でダムを造ることのメリットとデメリットをきちんと整理し、文書にして残しておくという絶好のチャンスを逃したことがとても残念でしたね。


 
朝日新聞への公開質問状をネットに公開

中野: そういう事も関係しているのでしょうか?朝日新聞のコラム欄「窓」に掲載された「建設省のウソ」という記事について、公開質問状を出され、インターネット上でやりとりを全文公開されたということにつながるのでしょうか?

竹村: これまで、長良川河口堰では色々マスコミに書かれました。マスコミ記事はミスをして、ミスがわかったとしても、訂正文というのはすごく小さい記事で、見えないくらいです。抗議文を出しても結局それは無視されてしまいます。「建設省のウソ」という記事については、ひどい言い方をした訳だし、看過すことができずきちんと対応しようと思ったのです。

相手が単にやじをとばすぐらいなら無視したかも知れませんが、天下の朝日新聞の一面だったのできちんと対応しないとまずいと考えました。朝日新聞でも紙面は限られています。その紙面では十分なやり取りが出来ないから、インターネットでやりませんかと申し入れたら、やりましょうということで始まったのです。当時の横塚開発課長にもご苦労をかけながらやった訳です。実際は、補佐連中が文章を書いたのですが、みんな真面目に良い文章を書きました。

中野: 私も読ませていただきました。

竹村: ある時、部署が違う朝日新聞の関係者の方から、竹村さん、良い文章をきちんと書いてますね。どなたか弁護士さんを雇っているのですか、と聞かれました。感情的にならず、きちんと論理的に、自分たちはこうだ、こういうデータに基づいている、と言いたいことをていねいに書いていたからでしょうね。私は「あれは全部、補佐たちが書いているんですよ」というと心から驚かれていました。

中野: それで、こうした公開討論が始まりましたが、役所の先輩とか政治家とか、いろんな方向から何か言われませんでしたか。

竹村: 先輩方はみんな心配しましたね。竹村、大丈夫かと。そう言われても困りました。大丈夫かどうかは考えなかった。「建設省のウソ」のコラムを、私は放置できなかったのです。

最後は一方的な打切り宣言で、唐突な幕切れに

中野: 竹林征三さんにお話を伺った、長良川のアユの事がダム日本の五月号に載っていますが、やはり記事の元になった数字が間違っていたり、一部隠されていることがあったということですね。その公開討論も最後には新聞社の方が一方的に打ち切ってしまったようですが。



竹村: そうですね。何度かやりとりが続きましたが、朝日新聞社が一方的にもうやめようと言ってきましたね。

中野: それは向こうが負けを認めたという事ですか?

竹村: 外部の方は、朝日新聞が負けたと言っていますが、我々にしてみれば、勝ち負けなどなかった。何か唐突に終わったという感じでした。公開でのやりとりをやって良かったと思うのは、それぞれの考え方が記録に残ったということです。あの朝日新聞とのやりとりは、全部オープンになっているから、誰でも参考にできるものになっています。別にこれを真似しろというのではなく、これからも行政はマスコミの人とちゃんと会話をしなくちゃダメだということです。

中野: 役所の後輩の方にも良い手本になったのでしょうね。
竹村: 朝日新聞はそれ以降も読んでいますが、ずいぶんと変わってきた感じがします。とくに長良川堰では一方的な記事が多かったのですけれども、行政の意見もきちんと報道されるようになったと思います。マスコミは行政のチェック機能があるのです。マスコミは行政を批判するのは当然です。しかし、一方では短くても良いから行政の考え方は紹介すべきだと思います。

ダム好きのタレントとともにTVで語る

中野: 同じマスコミ話でも、ロックバンドのラルクアンシェルのKenさんとTV番組の「タモリ倶楽部」に出演されたとかお聞きしましたが、タモリさん、Kenさんはダム好きさんだったとか?

竹村: 最初、テレ朝から電話があった時は、何かまずい事かなと思いました。そうしたら「タモリ倶楽部」というバラエティー番組に出てくれませんかというのです。なぜ、私ですかと聞いたら、みんなに断られたと言うんですよ。それで、もしかしたら竹村さんだったら出てくれるかもしれない、と誰かが言ったらしいのです。ダム協会の誰かが言ったのではないですか?(笑)

中野: マスコミのことでしたら、すぐ竹村さんの名前があがるのではないでしょうか?

竹村: それで「タモリ倶楽部」で、ダムのことを批判するの?と聞いたら、タモリさんはダム大好き人間なのですよと言われました。番組ではヘルメットを被ってくれと言うのですが、タモリさんも被るなら私も被りますと言いました。

中野: 高橋裕先生がインタビューのなかで、「竹村さんはマスコミに言葉を切り取られて、昔からずいぶんいじめられたから、テレビは生放送にしか出ない」と言われたとお聞きしましたが、タモリ倶楽部の収録では、いかがでしたか?

竹村: 「タモリ倶楽部」は編集でしたが、ダム大好き人間の集まりですから、気楽で楽しかったですよ。タモリさんたちはものすごくダムを知っていて、僕が教えることは何もなかったですね。なぜ僕が呼ばれたかというと、素人のマニアだけが集まっていると、番組としてはつまらない。仲間内でふざけている感じになりがちなので、ホントのプロを呼んで、ちゃんと話を聞かせてもらうという趣旨でした。タモリ倶楽部の構成はだいたいそうなっていますね。自分たちはふざけているけど、テーマに関してはプロを呼んでいますね。彼らはマニアックで、真面目にちゃんと勉強していますね。

TVの悪い所は、一部分を切り取って見せること

中野: タモリ倶楽部ではダムを取り上げてくれたんですが、他の番組でももっとダムを取り上げて頂けると有り難いと思います。それとは別に、意見を曲げられてしまったテレビ番組とかありますか?

竹村: それはもういっぱいありますよ。それに、僕自身が経験したのではなく、身近に経験したこともあります。僕が河川局開発課の専門官の時、当時の開発課長が、長良川河口堰のでNHKからロングインタビューを受けたことがあります。元来、穏やかな方だし、すごく丁寧に話をされた。無事に終わって良かったなと思っていたら、NHK特集での登場場面は、一時間くらい話を聞いておきながら1分も放送してくれない。それも酷いことに、インタビュー最中にちょっと眼鏡をとり疲れた表情をしたところを放映した。あの編集には腹が立ちました。一時間もまじめに対応していたのに、眼鏡をとってうーんと考えた顔の瞬間を放映したのです。その顔は事実だから編集されても抗議できないのです。

そんなことがあったので、僕が、中部地方建設局の河川部長で長良川問題の最前線に立った時、インタビューの時は、もう何度も繰り返し同じことを話しましたね。「長良川河口堰は塩水が上がってくるのを止める装置です。このゲートは淡水と塩水を分ける装置です。魚も遡上します」と。そうすると、「竹村さん、追加質問です」と聞いてくるのです。「はい、ではもう一度お答えします。長良川河口堰は?淡水と塩水を分ける装置です。それが目的で、魚も上ります」とこの繰り返しです。そうすると、相手の記者は「僕はそんな事聞いてない、もう一度お願いします」と怒って言います。しかし、「ではもう一度繰り返します。」と、それを延々とやりました。部下たちはなんども竹村部長は同じことをしゃべっていると心配していました。それが切り取られないようにする、受け身の私の手段でした。

中野: 質問に誘導されて余計なことを言うと都合のよい言葉だけを拾われてしまうんですね。

竹村: 30分、1時間とインタビューをやっていると、こちらも人間なので、疲れたり、イライラしてしまうのです。それに、こちらは気付かないけれど、人間ですから知らずに嫌な目つきをしてしまう。すると、そこを撮られて放映されてしまう。だから、敢えてニコニコして、長良川河口堰はこういう目的でこうですと、同じように応えせざるを得なかった。自分の言いたいことを言う。かつての開発課長がロングインタビューであれだけ丁寧に話して、それなのに最後に、眼鏡をとって、うーんとやった映像、それはいかにも本省の課長が苦しんでいるというイメージを作られてしまった。あれは一生涯、私の脳裏から離れません。

中野: そうですね。ほんとに穏やかな良い方ですから余計に心に残りますね。

竹村: それを見てしまった私は、テレビインタビューの時は、自分の言わんとすることしか言わないようにした。すると、聞きたいのはそんなんじゃない、と記者の方がだんだん感情的になってくる。だから、情報はすべて出します、市民団体ともお話はします、長良川河口堰の目的はこうです、と同じことをカメラに向かって言いました。

ダムの機能を説明すべきだが、それがなかなか難しい

中野: マスコミの取り上げ方の問題もありますが、ダムを造る側も、言いたいことをちゃんと言う姿勢が必要だと思います。

竹村: ダムを造るときは、ダムの構造だけではなく、もっと機能をきちんと説明しなくてはいけないですね。これまで、どうも機能について上手に説明できなかったように思います。

例えば、ダムが放流した結果、下流で洪水が起きた、とよく言われます。それは当たり前で、洪水調節中のダムの写真を見ると、ダムからガバーと水が出ている。ダムの貯水池にいっぱい水を溜めて洪水調節をしている機能を説明するのは極めて難しい。大洪水を溜めたという機能は目に見えないのです。目に見えているのは、安全な流量を下流に放流している映像です。構造を説明するのは簡単ですが、機能を説明するのはとても難しいです。


中野: なるほど、海外のダムでは全部溜めて放流するとか、日本は規模が小さいので、ちょっと溜めてすぐに流してしまう。そういう運用をしているのですか?

竹村: そう、わずかな時間差を付けて洪水が起きないようにする。川に流れる水量の時間差調整をしている。わずかな時間差を作ることで洪水を防いでいて、下流の安全性を守っている。これは難しい操作です。世界中のダムは一個のダムが大きくてたくさん溜められる。しかし、日本のダムの容量はとても小さい。だからこそ、日本のダムの洪水調節の効果は目に見えにくくて解りにくいのです。雨が降っている時、ある時間帯に川の水が溢れるのを防ぎ、そのピークの時間を稼いでいるのです。

わかりやすいスローガンを作るのが政治?

中野: 今は「コンクリートから人へ」という短絡的なスローガンが世に出て…。この言葉は誤解されやすくて、コンクリートを悪者にするのは良くないと思いますが、竹村さんはどうお考えになりますか?

竹村: 僕の概念では「コンクリートは人のためにある」。僕たちは、こういうコンクリートの建物の中で快適な生活をしています。コンクリートは近代社会の暮らしの象徴です。公共事業、建物の近代的な街並にコンクリートが使われている。コンクリートを使っているからこそ快適な近代文明の中で生きていける。
この言葉は、公共事業の予算を減らして、福祉などの分野に多く配分しようという趣旨なのでしょうね。コンクリートから人へというスローガンは、この文明を下支えしているものの否定となっている。国民に受けるスローガンを作るのが政治でしょうが、私はコンクリートでものを造る世界で生きてきた。あくまで「コンクリートは人のため」なのです。

インフラとは、元来、目に見えないものを言う

中野: 私たちも、何かこういうスローガンに対向するようなキャッチコピーを作らないといけない気がします。その実態がないにもかかわらず「脱ダム宣言」という言葉だけが残ってしまっていますし…。



竹村: インフラに携わった人間は、ものを造る以上に、見えない構造物の機能を見えるように表現していかないといけないと思います。それは知的作業であり、すごい知的能力を必要とします。インフラストラクチャーとは、下部構造のことです。この文明はこの下部構造に支えられている、この下部構造の上に上部構造が乗っかっている。産業であり、経済であり、文化であり、スポーツであり、人間活動の総体を上部構造とするなら、それを支えているのが下部構造です。人々にあまり見えないところで、社会を支えている。そういう宿命だと思います。

インフラという言葉のまわりには、インフラレッドという言葉があります。これは何かというと赤外線。光としてはあるけれど人間の目に見えない不可視光線です。それと、インフラソニックという言葉もある。これは不可聴音です。音としてはあるけれど人間の耳には聞こえない音。ということは、インフラストラクチャーというのは、人間には見えない構造物となる。だから、それをどうやって人々に見て貰えるようにするのか、インフラに携わる人間は、どうやって人々にわかってもらえるかの努力をしないといけないのです。
あって当たり前のインフラに光をあてる

中野: ダムなどのインフラは、太陽とか空気とおなじ位に思われているのかも知れませんね。

竹村: それはね、ダムだけではなく、道路でもそうです。近畿地方建設局長をやったときにいろんな道路のテープカットに出たことがあります。一つの道路を作るには、用地の問題から、路線から、予算の確保から、それは涙が流れるような苦労話がいっぱいある。それでも、テープカットして人や車が通ったら、みんな忘れて消えてしまう。新しい道路が開通した次の日に行くと、もう誰もそれまでの苦労を覚えていない。道路が出来ると道路造りの物語は終わってしまう。

ダムも同じです。何年もかかってダムが出来て、ようやく水が溜まった瞬間に、みんなダムの事を忘れてしまう。水没した人々やダムを造った人は忘れないけれど、一般の人々にとっては、ダムのあるのが日常になってしまう。出来るまでの苦労はさっぱり忘れてしまう。蛇口のこちら側からは、ダムは見えない。そういう見えないインフラに光をあてて考えると、また新たな発想が湧いてくるはずです。

日本は一見水が豊富そうだが、すぐに流れてしまえば使えない

中野: 竹村さんは、これまでのいろいろな原稿やご講演で、インフラは国造りの基礎であり、目に見えない下部構造としてたいへん重要だとされていますが、どういうところから、そういう発想をされたのですか?

竹村: 日本は雨がいっぱい降るので水が豊富なようにみえます。しかし、いちばん大きな利根川だって、水源地にダムがなければ、雨がざぁーと降ったら、その水は二泊三日で銚子の海へ流れ出てしまいます。もっと小さな河川だったら一泊二日、鶴見川だったら日帰りで海まで流れてしまう。つまり日本の川は、どんなに大きい川でもせいぜい二泊三日くらいで雨は海へ流れ去ってしまうんです。だから、それらを溜めておいて一年365日分、大事に使わなければいけない宿命なのです。この便利な文明社会にとって水を溜める装置は生命線として大事なものになっています。

今の私たちの文明、暮らしの質を前提とすれば、この水を溜める装置は不可欠です。安全で快適で便利な水を使って、都会の人たちは日々生活をしていますが、実は人里離れた山の上でひっそりと水を溜めているダムという装置があるからだ、ということを知ってもらいたい。その装置の大切さを、きちんとわかってもらうというのは、本当に重要だと思います。

蛇口から出てくる水が、どこから来るのか想像できない人

中野: 本当にそうですね、雨が多いといっても、どんどん海に流れてしまえば使おうにも使えない。だからダムという装置がありますが、その役割が知られていない。逆に環境破壊の象徴のように言われるだけ。どうしたら良いのでしょうか。

竹村: これは実際にあった話です。川の水をきれいにしないといけないというテーマで、ある教授が大学で講義をしていた時の話です。昔は水俣病みたいにさまざまな公害問題があったが、今は工場排水を処理したり、下水道で処理して川をきれいにしている。このように川の環境の重要性を講義していたら、ある女子学生が手を上げて言ったそうです。「先生の言ってる意味がわからない。私たちに川はそんなに必要ないと思う。なぜなら家には水道があるから」と言ったということです。それを聞いて、その先生は今まで何を教えていたのかとがく然としたと言っていました。

今は小学校四年生で、水道は川から引いてくるというのを教わるかも知れないが、小学校で習ったことを忘れて、中学・高校・大学ときたら、水道の蛇口から出るのが、実は川から来ているということを知らない。それが想像できないのが現実なのです。なんで河川局は、川をせき止めてダムなんか造るんだ。魚がかわいそうだ。そう思う人が多く出てきても当然の世界なのですね。

江戸時代に今の堤防の基礎が作られた

中野: 土木の事や歴史について、なぜもっと学校で教えないのでしょうか。ご著書にもあるように、徳川家康がそれまで湿地帯だった関東平野で、利根川を東遷させる工事を行った。だから江戸は栄え、それが今の東京につながっているのですが、そんな事も教えられていません。単に徳川家康が江戸幕府を開いたくらいしか教えられていません。そういう治水工事をしたという事実を知っていれば、もっと堤防の役割も解ると思います。

竹村: 僕が本で書いたのは、あくまで一つの仮説です。そこはご理解くださいね。(笑)それで、僕がなぜ江戸時代にこだわるのかと言えば、今ある堤防というのは、実は僕らが作ったものじゃないからなんです。ダムは別にして、河川の堤防に関しては、昔の建設省の先輩に聞いてみても、みんな知らない、誰も作っていない。どんどん遡るとあっという間に江戸時代にまで遡ってしまうんです。だから日本の川の事を知るには、昔の事から掘り起さなければいけないのですが、まぁ江戸時代以前の戦国時代と言うのは、あんまり関係ないから、やっぱり江戸がスタートなんです。


実際に250年間、戦乱もなく国内が平和だった江戸時代に、今の日本のほとんどの国土の骨格が出来ているんです。だから、河川行政で堤防に興味を持つ人間はどうしても江戸時代にたどり着いてしまいます。ところが、古文書を読んでる時間はないし、能力もない。そこで、気付いたのは歌川広重の浮世絵でしたね。あの絵に描かれた町並み、風景を見れば、こんな堤防や橋があったことがわかる。それを見ながら仮説も言える訳です。それが正しいかどうかは別にして、その絵から見ると、この場所にはこういうものがあった、こう見えるのでこうだった、と考えられる。その様にしてだんだん深入りしていったのです。

歴史は語られるもの、彼のストーリー

中野: 昔の地図を見ると東京は海だった場所が多いですね。ここまでよく干拓、整備されて、たくさんの人が住めるようになってきたものだと思います。土木の事を一般の人にも知ってもらおうと思ったら、そういった日本の歴史から、土木のことを発信していったほうがいいかも知れませんね。

竹村: そうですね。土木技術者が、自分たちが造ったものについて、ああだこうだと直接的に言っても、すんなりと受け入れてくれないでしょう。そういう歴史的観点が大事かも知れません。「歴史」というのは、ヒストリーと言いますね。「彼の物語」という意味で、Historyと書きます。ヘロドトスが「それは彼の物語だ、ヒズストーリーだ」と言った故事からきているといいます。だから、歴史は語って良いのです。ある事柄の物語を一人ひとりが語っていくことが、歴史なんだと思います。

今までは、歴史家たちが過去の事柄について、影があればそこに光を当てていく。各方面から光をあてて浮き彫りにして、今まで影だった所をどんどん肉付けして立体化する。それが歴史家たちの役目です。ところがインフラから光を当てた人はあまりいない。だから、社会の下側から光を当ててみたのです。歴史家たちは上から、人の関係や社会のシステムというような上部構造から見てきた。だから、僕は今まで誰も見向きもしなかった下部から光を当ててみた訳です。ただ、それがホントかどうかというのは、これから専門家が長い時間を掛けてね、議論してくれれば良いのです。

何故、徳川家康は江戸に戻ってきたのか?小名木川の運河は何故造られたのか?などその当時の出来事を、土地と気象から光を当てたのです。社会システムから光を当てている歴史家などと共同すればもっと歴史は立体的になると思います。

土木屋たちはこうした下部構造から議論する能力があります。インフラ整備に携わってきた人たちは、長い日本の歴史をひも解いて、次代の日本人に提供して、繋げていく責任があると思います。

忠臣蔵の秘密は、吉良家の位置

中野: 今までは、古文書に書かれた、人が関係して起こった事からのみ歴史が語られてきたという事ですね。だから、人の暮らしを支える下部構造、インフラから考えてみたらどうかと言われると、なるほどと思えてきますね。

竹村: 僕は、忠臣蔵のことを極端に言えばあれは幕府のヤラセだった、徳川幕府が描いたシナリオの上に乗っかって実行された、という仮説をたててみました。それは半蔵門の地形と吉良家の屋敷が移転された場所の地形と、討ち入り後に赤穂浪士たちが泉岳寺に歩いて帰って行くルートから考えたものです。

例えば、泉岳寺は徳川家康が創建したとても由緒あるお寺なんです。その大切なお寺に、討ち入りしたばかりの47人もの無法者たちが血だらけの首を持って集結するなんて、おかしいと思いませんか?それに江戸城の半蔵門、そして吉良家の場所、それから泉岳寺まで東海道を堂々と歩いていったあのルートをみると、どう考えてもおかしい。地理学、地形的にみておかしい。うまく討ち入れるように準備を手助けしてくれた勢力があるのではないか、というのが仮説の核なんです。


中野: 今までにない大胆な仮説ですが、発表される時は心配されたのではないですか?

竹村: 忠臣蔵に命をかけて研究されている方は多くおられます。初めは歴史家の方々から批難を浴びるのかと思っていました。一介の土木屋がこんな勝手な仮説を言うのは申し訳ない思いがあった。その後、じーっと反応を待っていたのですが、誰も反応してくれませんでした。(笑)

普通こういう仮説は、ボロクソに言われるのです。歴史の専門筋から素人がそんなことを言うなということで、いろいろと批判される。しかし、僕はインフラから光を当てた仮説なので、彼らの研究とバッティングしないのです。誰も下部構造からは見ていないのだから。僕は下部からみて仮説を言ったので、これは僕の物語だ。僕のヒストリーなのです。歴史家の人たちと論争したくないな、と思っていたのですが、結局そういう論争はありませんでした。

フェアな議論ができると養老先生に誉められた



中野: 著書に関してですが、あの養老猛先生と同じ高校出身として「本質を見抜く力」という本で対談されておられますが、大変興味深いお話をされていますね。

竹村: 僕が河川局長の時、養老さんは高校の先輩だから、ギャラは出せないけど、みんなに話をしてもらえないかとお願いする電話をしたら、ああいいよと言ってくださった。それでお会いしました。その後はとくにお付合いはなかったのです。

ところが、養老さんが新聞の書評欄で「竹村さんの仮説は、最初に図や写真があり、そこから議論がスタートしている。だから、誰でもその仮説について議論できる。彼の仮説に納得するかどうかは別にして、議論することができるところがいい。誰も知らないような古文書を出されたり、昔のはこうなっていたんだ、というような一般の人々が口をつぐんでしまうような専門的知識がない。竹村さんの仮説は、誰でもが読み進められる。だからフェアな本だ。」と書いてくれました。
これは嬉しかったですね。私は歴史の暗記がいやで理系に行った人間です。技術屋で、歴史のことは大嫌い人間だったけど、いつのまにか歴史のことを議論しだした。それも、素人の誰でもが検証できるような手法と仮説で進めてきました。

中野: お二人とも話し上手で、とても読みやすかったです。

竹村: 実はどちらかというと養老先生は話し下手なんです。自分の言いたいことをぐいぐい進めていく(笑)。2人で話していると、どんどん話がはずむ。あの方はすぐ先に行ってしまう。僕は、養老さんの言った事の証拠の図面や写真を出す。そうすると、そこで話がぱっと落ち着いて結論が見えていく。養老さんは頭が良いのでポンポンと話がとんで、ついて行くのが大変です。(笑)

今あるダムを活用すれば、気候変動にも対応できる

中野: 「本質を見抜く力」にも書かれていることですが、今後のエネルギー問題、環境問題で、これからはもし新設ダムを造らないとなると、既設ダムをどう活用していったらよいとお考えでしょうか?

竹村: これからは、新規ダムを造る状況にないけど、気候変動が激しくなって50年、100年先には相当数のダムが必要になる可能性があります。でも、新しくダムを造るのではなく、今有るダムを嵩上げしていけば良いと思います。

谷底の10mというのはほとんど水を溜める価値はないけれど、ダムの上部の10mはものすごい空間があります。既存ダムの高さを10m上げるだけで、1個のダムを造るくらいの価値があります。それにダム嵩揚げ工事は割と簡単です。20世紀に僕は三つダムを造ったけれど、それは21世紀、あるいは22世紀の後輩達が嵩上げするための基礎を作ったようなものだと考えています。どうぞ後輩達が必要ならば、5m、10m嵩上げをしてくださいと。

中野: 新設しなくても今あるダムを基礎にして積み上げればすぐ役立つという訳ですね。年々気温が上がり、やがて北海道が今の東京くらいの感じになっていくと言われているんですけど、温暖化についてはどうお考えですか?

竹村: 温暖化が本当にCO2のせいかどうかは不明な所があります。しかし、いろんな現象をみると、もう温暖化は始まってしまったと心配しています。河川局で実施している「水辺の国勢調査」では、昆虫はどんどん北上しているし、雁もどんどん北上しているし、魚の分布も北上している。もちろん雪が少なくなったという気象的なデータもあります。もう温暖化はスタートしてしまったと思います。

温暖化が始まり大気が温かくなると、水の蒸発量が増えます。しかし、大気中の水蒸気量は限られているから、空から雨になって落ちてくる。温暖化するという事は、大気の水循環が激しくなる事です。

中野: 最近では、ゲリラ豪雨とか短時間ですごくたくさん雨が降りますね。しとしととかではなく、スコールのように降るようになりました。そういうのも影響の一つでしょうか?

竹村: 都市部のゲリラ豪雨は、もしかしたら都会のヒートアイランド現象のせいかも知れませんが、少なくとも大気の温度が高くなって、空気中の水循環が激しくなっているのです。

ダムは太陽エネルギーを溜めている

中野: そうなると水を溜めたり、流したりする技術。ダムの機能がものすごく大切になってくるとも考えられますね。

竹村: 日本人にとって水を溜めるという作業は重要だと思います。日本の唯一の天然資源と言えるのは「水」です。この水を溜める事は、『太陽エネルギーを溜めている』のと同じことなのです。太陽熱で蒸発した水が雨になって降ってくるのですから。それを使って水力発電すれば、太陽からエネルギーをもらっていることです。それに飲み水を溜めているし、農業などの食糧生産にも直結しています。

僕は、ずっと昔から言っていますが『ダムは太陽エネルギーを溜めているのだ』と。ダムは、『太陽エネルギーの貯蔵庫』だという言い方をしています。雪解け水を溜めて、梅雨時の雨を溜めて、年中、時間差で使えるようにしている。ざぁーと流れてしまえば二泊三日、一泊二日で海に帰って行ってしまう雨を溜めているのですから。

水力発電のメリットを再発見すべき

中野: 電気を起こすには、火力、風力、水力、原子力といろいろですが、水力はクリーンで良いと言われているのですが、そういう視点からはどうですか?

竹村: 水力発電は、再生エネルギーと言われています。太陽で海の水が蒸発して山に雨が降って、それを溜めて発電する。循環して再生するエネルギーです。今人気の高い、太陽光や風力、ああいう新しくて人気があるものは決定的な弱みがあります。何かというと、単位面積あたりのエネルギー量がすごく薄いのです。だから効率が悪くて困っているのです。

雨も、ただ平べったい平地に降っていれば単位面積あたりのエネルギーは薄いのですが、日本国土の70%の山が水を集める集水装置になっているのです。日本国土そのものが、薄いエネルギーの雨を集める装置なのです。雨水は風力なんかに比べるとものすごく凝縮された、濃いエネルギーと言えます。実は、太陽エネルギーの中でいちばん濃いエネルギーの姿が水です。だから、その濃い水のエネルギーを使って発電できるというのは、日本はすごく恵まれた国だと思います。

グラハムベルが言った、日本はエネルギーの豊かな国

中野: なるほど、水のエネルギーというのは、実は太陽のエネルギーの姿形が変わったものなんですね。水を蒸発させて雨にして降らせるから。永遠にリサイクルされるイメージでしょうか?

竹村: 電気につながる話では、明治時代にグラハムベルが日本て注目されるスピーチをしています。彼は、電話機の発明で知られているのですが、実はナショナルジオグラフィック誌のオーナーでした。本は今もあって、世界中のきれいな自然写真が載っている雑誌です。ジオグラフィックというのは地理、地形という意味ですが、彼は全米地形地質学会の会長でした。その彼が「日本はすばらしい国」「エネルギーの宝庫」だとスピーチしています。こんなに恵まれているエネルギーを使ったら、もしかしたら日本は世界の中でもすごい国になるのではないか、と言っています。

それは、水力エネルギーのことです。地理的にアジアモンスーン地帯で、雨が降るし、それを集める山岳がある。日本の国土全体がエネルギーを集める装置だ。だから、日本は恵まれている国だと。グラハムベルの主張は、今でも正しいと思っています。

中野: ベルは、日本の地形的をみてエネルギーが豊富だと見抜いたわけですね。川に流れる水はエネルギーだと…。

竹村: 勢いよく水が流れている川は、エネルギーが流れているのと同じなのです。これから仮にダムを造れなくても、水車を流れのなかに入れて小水力発電を行う。ダムをかさ上げして容量を増加させ大規模な水力発電をやることもできます。もちろん今使っている総電力量には足りない。とくに原子力は電気喰いの大都会に送る集中型の電力源として大事で、中小水力発電のようなものは、地方の分散型のエネルギー源として利用可能です。

未来は、集中型のエネルギー供給システムと分散型のエネルギー供給システムのバランスのとれた国土をつくるべきだと思っています。日本の資源を有効に使うには、水力は絶対に大事です。薄く広く降ってくる雨、すぐに海に流れてしまう雨をどう集めて、どう活かしていくかが鍵になるでしょう。

大陸では、川は流れているものじゃない

中野: 日本の国土は地形的に川も急峻で短いので、やはり上手に水を溜めて使っていくことが必要なのでしょうね。

竹村: だいたいフランスやドイツの欧州の人は、日本に来て、川の水が流れているという事にびっくりします。彼らの住むヨーロッパは、スイスに行けば川は流れていますけれど、ドイツ辺りではトロトロとしか動いていません。海に向かってじわりとしか動かない。あれでは日本の川と比べたら流れではないのです。

中野: 黙って見ていると川じゃなくて、湖とか海のような感じですか。

竹村: 日本の川はどこでも、ざぁーざぁーと流れています。だから日本人は、川の水は流れているものだと思い込んでいますね。西欧人と大きく異なりますね。

直面する大きな危機に、どう備える?

中野: 我が国の河川行政、ひいては公共事業、トータルで課題を考える、解決策を見出すとしたら、どういう方向性が考えられるのでしょうか?

竹村: とっても難しい質問です。将来、僕たちの文明が直面する事態、必ず来るであろうという事態があります。第一に、気候が凶暴化していく。温暖化の気候変動に伴って気候が凶暴化してくる。それは、急に雨がたくさん降ったり、あるいはまったく降らなかったり、その変動幅が激しくなることです。二つ目は、資源がひっ迫していく。そして、三つ目が地球環境がものすごく悪化していく。

地球規模で、これら三つの事が起こる。気象が厳しくなり、資源がひっ迫し、地球環境全体がおかしくなる。こうした面から見て、日本国が自立していくための課題は何かというと、気象の厳しさに対しては、安全な国土を作るという事です。資源がひっ迫してくる事については、自ら資源を確保していかなくてはならない。三番目の地球環境が悪化する事については、自分たちの日本列島の中で、持続可能な文明を作らなければならないという事です。


中野: 大きな気候変動に直面するなら、インフラとしても何か対策が必要じゃないですか?コンクリートも大事じゃないですか?

竹村: そう、実は今言ったことが全部、公共事業、インフラストラクチャーのミッション、役割になってきます。将来を見据えて気象がものすごく厳しくなってきても、安全な道路、鉄道などの交通網と農地や住宅地という国土を造らなくてはいけないのです。そして、資源がひっ迫してきても、僕たちは国内で自立してエネルギーを作っていかなければならないという事。あるいは資源を回収して、循環させて活用していかなければならない事。今までのように何でも使い捨ててはいけない訳です。それで地球環境がものすごい悪化していきますから。日本ができる環境技術を確立する。環境が悪化していく外国に対しては、国際貢献していくことが、インフラに携わる人たちの役目だと思います。

だから、インフラの役目はもう終わった、という意見には組しません。将来の危機をちょっとでも予測すれば、「公共事業はいらない」という意見には同調できません。2〜30年先を見据えたらぜひ今やっておかなければいけないことは、まだまだたくさんあると思いますね。あり過ぎるくらいじゃないですか。未来を見通したインフラの中で、ダムの役目はまだまだ大きいですよ。

目に見えないインフラの問題をどう顕在化させるか

中野: 今の若い人には、めざす方向が見えにくくなっているように思うんです。公共事業はムダだ、いらないと言われるし。なかなか土木に関する興味も湧きにくいと思うんです。だから、若い人に良く説明してあげたいのですが、どう声をかければ良いのかと思います。

竹村: それが実に難しいんですね。なぜかというと、今の若い人たちは、成長という概念を知らない人たちだから。例えば平成元年あたりに生まれたとしたら、それからの日本は、全然成長していないでしょう。今20歳位の大学生たちは、与党が言っている成長戦略というのは、まったく理解できないと思います。成長の実態を体験していないんだから。今、40歳代の行政の中堅を担っている人間が、20歳くらいの頃から、GDPでみれば成長していない。という事は、成長の概念を知らないという事なんですよ。

一方、僕たちは、逆に高度成長時代に生きて来たんですが、今の成長を知らない若い人たちに向かって、何が言えるかというのはとても難しい。ただ、仲間内ではみんな成長してきた人間だから、あの時は楽しかったね、という乗りでしゃべっても、みんな解ってくれる。ところが、若い人たちは、成長を体験していない、気がついてみたら、日本は縮んでシュリンクしていた。そこで、頑張れよと言ったって、どういう言い方をしたら良いのか、今も僕は悩んでます。

土木にはやりがいがある

中野: 結局は将来に希望が持てないというそんな言葉になってきてしまいますね。逆に年金は貰えるの?というように。

竹村: 僕は東北大出身だけど、母校から、竹村さん来てくれと言うから、何?と聞いたら、大学二年生でこれから土木か建築かの進路を選ぶ、土木建築系の都市基盤グループの学生たちに向かって、将来の日本のインフラの必要性を語ってくれというのです。それで、将来の気候変動が激しくなる、資源が少なくなる、地球環境がおかしくなる、そんな中で君たちは生きていかなければいけないんだ。その時やらなければいけないことはこうだ。だから君たちはそういう大切な役目を負っているんだよという話を二時間くらいして帰ってきたら、土木の希望者が増えたということです。僕が言ったことだけで、学生がころっと変わるというのが心配なんだけど。リーダーが誰も、そういう大きな日本の流れを言ってくれてないんですよ。

中野: 蛇口があれば川なんていらないという女子学生の意見があったように、若者は、蛇口をひねれば水がでるのが当たり前だから、川やダムの事まで心配しなくても良いと思ってしまいがちです。

竹村: そう、若い人はじっとしてたら良いんじゃないかという感覚。ぐんぐん成長する時代を知らない、低成長というか成熟社会というかじっと耐える時しか生きていないからなんだね。成長を体験してきた人間にとってはものすごい危機感なんだけど、20代から35歳くらい、これから40代になろうとしている人たちに僕らの言葉は通じているのだろうかと心配になってきます。

専門性を高めすぎたツケ

中野: 日本人が勤勉であることの裏返しだと思うのですが、どんどん専門化していって、広く見られる人を育ててないというか。

竹村: 僕はね、もう65歳になって、精緻な話ではなくトータルな大ざっぱな話を言って、みんなが考えてくれるというのはものすごく大事なことだと思っています。学生たちに何を言ったらいいかは僕も模索している最中ですよ。

中野: どこをどう突けば良いか、ですか?

竹村: 学生たちを教えたりしていますが、彼ら、彼女たちがどういうふうに僕の話を聞いて興味をもってくれるだろうか、いつもそれを考えていますね。

中野: 今は自分の世界観があれば、ゲームの世界でも生きていけてしまうから、それでどんどん壁を作ってコミュニケーションがとりづらいという面もありますか?

竹村: 世の中が豊かになるというのは、きっとこういう事なんだと思います。僕たちが貧しい時、一生懸命世の中で頑張って生きていかないと、世の中からドロップアウトするとたいへんだぞと内心で必死になっていた。いやな上司がいても、組織の歯車になろうと懸命に努力してきた。今はそういう貧しい僕たちの時代とは違うんだ。

そういう豊かになった時代に生きてきた若い人たちに、本質は何かというか、この文明の先に何があるかを教えるのは大切だと思います。その人たちが継いでいく世界なので、それをきちんと伝えておかないと。

当事者も先が見えない八ツ場ダム問題

中野: ところで、八ツ場ダムをどうする、全国のダムの検証をどうするという有識者会議がありますが、その辺はどうですか。

竹村: あれは国政のリーダーが言うのだから、やむをえないですね。役所は抵抗はできないですよ。今は国政のリーダーの方針だからやるしかないでしょうね。

しかし、ダムの必要性がきちんと理解されなかったら、この先はやはりダムは出来ない。八ツ場だけじゃなくて、ほかのダムも含めて、きちんと一般の人に説明できるかどうか、国政のリーダーに説明しきれるかどうか、現役たちはものすごい知的能力を試されているのだと思います。

中野: 八ツ場の関係者の方から当協会にも電話かかってきますよ。何か情報がないですかと。今まで苦労してやってきて、政権が変わった途端にダメというのはなぜかとか。

竹村: 地域の水没者のことを考えると、軽々に発言できないほど痛ましいですね。その背景にあるのは、一般の国民がなんとなく、もうダムは足りてきていると思ってしまう。そういうイメージを持って見てしまうことが問題だと思います。


例えばネットを見れば、反対派の情報はたくさんあるんですが、なぜ八ツ場ダムが必要かという情報は、やはり形式的だったり、あるいはワンパターンな情報発信だったりして、普通の人が情報を得たいと思ったときにすぐに得られる、わかりやすい情報になっていないことも多いと思います。

ものごとを進めようとする側の人が言うのには、ものすごい責任があるから、面白おかしくできないというのがありますから、つまらない文書になる。どうしても固いミスをしない言い方になってしまいます。でもそれに反対する人は責任がないというか、ある部分を取り出して、それを核に面白おかしくしゃべってしまいますから、どうしてもそういう人たちの方が面白く受け止められてしまいますね。

十年に一回、百年二百年に一回の危機に備えてこそ

中野: 役所の現役の方は、やはり使える情報を流していかないとダメですよね。

竹村: 行政の仕事はいつも危機管理です。渇水だと十分の一、それに対応するようにダムを造っている。十年に一回の大渇水に対応するという考えで、実際、十分の九は水が余っているが、十年に一回の大渇水に対応するための危機管理をやっている。しかし世間では、水余りだとか、何年も水害なかったからすぐに不要だとか結論づけられてしまう。そういうミスマッチが現実に起きている。

行政はいつも危機管理の対応だけれど、一般の人たちは日々の生活で考えるから、“もしも”はなかなか考えない。危機管理の中身をみんなが解れというのも無理があるのですが、ただ、危機管理はぜったいに誰かがやらないといけない大事な仕事なんです。

中野: 十年に一回と言っても、一般の人たちはここに住んで何十年だが困ったことはないと言います。だから余計に難しいですね。

竹村: みんなが困らないように、今までは公の方で、なんとかしのいでいるから何もなかったのに。それがわからない。インフラは、目に見えないものだから。

これから、気象が暴れてくると間違いなく危険はあると思います。その時に今から備えないといけない。百年、二百年に一回の危機で、自分は体験しないとしても、後輩たちや、自分の子供たちが困らないように考えておく姿勢が必要です。若手を育てるにも、小学校あたりからきちんと公共事業のこと、土木のこと、インフラのことを教えていくような教育体系にしていくことから始めるべきでしょうね。


中野: 本日は長時間貴重なお話しをありがとうございました。



(参考)竹村公太郎さん プロフィール

たけむら こうたろう

特定非営利活動法人日本水フォーラム代表理事・事務局長
財団法人リバーフロント整備センター理事長
首都大学東京客員教授
東北大学客員教授
博士(工学)

出身:神奈川県出身
1945年生まれ。1970年東北大学工学部修士修了後、建設省に入省。宮ヶ瀬ダム工事事務所長、中部地方建設局河川部長、近畿地方建設局長を経て国土交通省河川局長。2002年に退官後、2004年に財団法人リバーフロント整備センター理事長、2006年5月より、特定非営利活動法人日本水フォーラム代表理事・事務局長。

著書に「日本文明の謎を解く」(清流出版2003年)、「土地の文明」(PHP研究所2005年)、「幸運な文明」(PHP研究所2007年)、「本質を見抜く力(養老孟司氏対談)」(PHP新書2008年)「小水力エネルギー読本」(オーム社:共著)など。

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