《このごろ》
黒部ダムが生んだ大手私鉄

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 東京の下町、荒川区の一角に「キヌ電通り」という商店街があります。『キヌ電』とは『鬼怒川水力電気』の略称で、かつて存在した電力会社の名前です。20世紀初頭、黒部ダム(栃木県)で発電された電気がこの場所まで送られていたそうです。この付近には同社の変電所があったことから、21世紀に至っても『キヌ電』の名前が残っています。


キヌ電通り商店街

 鬼怒川水力電気は、栃木県の鬼怒川上流部に黒部ダムを竣工させました。100年以上も前の大正元年(1912年)の話です。


黒部ダム

 現代の我々にとって電力は、日中の需要が高く、夜間は需要が低いということが常識となっています。ところが、電力が導入され始めた黎明期においては、その主な用途は電灯(照明用)でした。電気は日が沈んで暗くなってから使用するということが、その当時の人々の常識であったのです。
 世界遺産「富岡製糸場」の動力も創業当初は石炭が中心で、電力が導入されたのは大正9年(1920年)ということです。東京の市電はすでに開業していましたが、その規模は現在の東京都交通局と東京地下鉄が築いているネットワーク網とは程遠いものでした。また、地下街もほとんど開発されていなかった当時、日中の電力需要は夜間に比べて本当に僅少なものだったようです。
 こうして、電力会社は日中の余剰電力の供給先として鉄道会社に販路を求めたほか、自らも電鉄会社を興すことを計画したようです。


黒部ダム周辺のダムによる発電系統図(川俣ダム展示室の展示資料より)

 「鬼怒川」と「私鉄」のキーワードから、関東在住の多くの方は東武鉄道を連想するのではないでしょうか。しかし、鬼怒川水力電気を母体として生まれた鉄道会社は、現在の「小田急電鉄」でした。発足当初は、新宿・大塚間を結ぶ「東京高速鉄道」という社名でしたが、実際には線路を敷設して電車を運行するまでに至りませんでした。その後、計画を変更、新宿から神奈川県方面に線路を延伸し(小田原急行鉄道)、大手私鉄の一角へと成長しました。黒部ダムがなければ、小田急線は存在しなかったのです。

 鬼怒川水力電気は、国策により電力事業を東京電燈(事実上の東京電力の前身)に統合、黒部ダムは東京電力が管理するダムとなっています。
関東大震災・太平洋戦争・高度経済成長・バブル崩壊など激動の時代を通して、黒部ダムは人々のために黙々と電気を供給してきました。なお、このダムは、平成元年(1989年)に、洪水吐ゲートなどの大きな改修工事を受けました。100年以上も前に建設されたダムですが、もちろん現役で発電用のダムとして機能しています。


改修前の黒部ダム(黒部ダム改修記念碑より)

 首都圏の主要な鉄道は、都内の地下鉄線と相互乗り入れを行っています。この中、特急(運賃のほかに、特急料金が必要な車両)で地下鉄に乗り入れているのは、小田急が直通している千代田線(代々木上原〜北千住区間)のみです。小田急の特急は、本当は北千住から東武鉄道に乗り入れて故地鬼怒川を目指したかったのかもしれませんが、現在のところ構造上不可能です。


メトロはこね号(東京メトロ千代田線北千住駅にて)

 栃木の黒部ダムには、記念スタンプもダムカードもありません。それでも、地元の方はじめ多くの方々に見学して欲しい貴重な土木遺産です。特に、小田急沿線にお住いの方には、機会があればお越し願いたいダムです。この時代のことですから少なからず犠牲者を出していたはずです。堰堤周辺には慰霊碑等は見当たりませんが、感謝と慰霊の気持は忘れて欲しくないと思います。


水利使用標識とダム湖

 小田急沿線にお住いの方で、一度このダムに行ったことがあるという方も、新しい発見を求めて再訪を検討してみて下さい。“元祖”黒部ダムは、これからも電気を作り続けます。洟垂れ小僧の関電黒部ダムには、まだまだ負けるわけには行きません。


夜のキヌ電通り


追記

 本文中、黒部ダム(栃木県)において、ダムカードが配布されていないことになっておりましたが、平成29年11月1日より新たに配布が始まりました。配布場所は、栗山ふる里物産センターです。


栗山ふる里物産センター

東京電力ホールディングスの資料によれば、

栗山ふるさと物産センター(栃木県日光市日陰596-2)
営業時間:9時〜16時
定休日:木曜日
営業期間:4月第3日曜日〜11月30日
※上記期間以外は冬期休館の為、ダムカードを配布しません。

となっています。冬期(平成29年12月1日からは平成30年4月14日まで)は配布休止となりますのでご注意ください。

H29.11.9追記

[関連ダム] 黒部ダム
(2014.8.4、安部塁)
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