《このごろ》
多くの犠牲によってできたもの
〜全日本中学生水の作文コンクール 優秀賞〜

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 水の週間の行事の一環として、平成26年8月1日(金)、東京平河町のシェーンバッハ・サボーで開催された「水を考えるつどい」で、「第36回全日本中学生水の作文コンクール」の表彰式があった。最優秀賞(内閣総理大臣賞)1作品と優秀賞8作品が表彰されたが、その中で優秀賞の「多くの犠牲によってできたもの」と題した作文が大変興味深く、全くその通りだと感じたので、ここに紹介する。

 表彰式のすぐ後に、沖大幹先生(東京大学生産技術研究所教授)が講演したが、沖先生は、特別にこの作文にコメントして、水資源機構理事長賞であるのが面白い、ダムを造るには大きな犠牲があるのだと言うことを明言するようになったようだ、と言う趣旨のことをおっしゃったように記憶するが、それもそうかもしれないが、一方では実際に建設に携わっているような人たちは、ずっと前からそう認識していたようにも思う。先生のコメントもまた興味深かった。


水を考えるつどい

 ともかくすばらしい作文をお読みください。


独立行政法人水資源機構理事長賞(優秀賞)
「多くの犠牲によってできたもの」
         東京都 東京学芸大学附属国際中等教育学校 二年 山崎 蒼空

 私も、蛇口をひねれば出てくる水が自然のままのものではなく何らかの過程を経て出てきているものであることは知っていた。それは多くの人が知っていることだと思う。しかし、こんなに長い時間、多くの過程を経て蛇口を通して出てくるとは思いもしていなかった。

 先日、家族で東京都の西多摩郡にある小河内ダムに行ってきた。「ダム」をこの目で直接見るのはその日が初めてで、すごい迫力だと最初は感嘆しながら見ていた。高さ149m、長さ353mという巨大なダム。これを作るのに多くの人の労力が費やされ、多くの時間が消費された…ということは私にもわかった。しかし、ダムを造るにはそれ以上の「消費」が必要であった。ダムを造るには、たくさんの水をためる場所が必要である。その場所をどのようにして確保したのかと疑問に思っていたが、一集落を沈めることで確保していたことには驚いた。墓は全て掘返して移送させ、そこに住んでいた人々ももちろん故郷を離れて移住せねばならなかった。このダムの建設にあたって945世帯もの人々が移住したという。また、建設の際に87名もの人が亡くなったという。このように多くの時間、人が犠牲になって造られたこのダムは、電力を作ったり、川の水の量を調整したりするのに大きな役割を果たしている。

 このように、ダム一つを造るのにもたくさんの人、時間が必要である。小河内ダムの建設には戦争の影響もあったが約19年もの期間がかかったという。このダムに貯められている水が私たちのもとへ来るにもたくさんの時間と人を必要とする。ダムの水が川へ流れ、取水堰を通して浄水場へ行き、そこでも四段階の浄水が行われ、それから給水所、と本当に長い旅である。また、それ以外でも水源水質調査、理化学検査、自動水質計器による調査…等色々な検査が実行される。最終的に使われた水は下水処理場で処理され川や海に送られる。

 スーパーや自動販売機ではボトルで売っているし、家でも蛇口さえひねればすぐに出てくる最も身近なものが水である。しかし、その水は実は裏で本当にたくさんの人が携わって使えるようになるのだと改めて思った。

 日本では水があるのが当たり前だ。ある国際協力団体によると、水がなく、水を汲みに遠くまで歩いていき、その水が汲める井戸さえもきれいではなく、その水を飲むことで病気にかかる国も多々あるそうだ。こういう国もあるから「日本は恵まれているな」「日本に生まれてよかった」と思うかもしれない。しかし、私たちもダム建設にかかわった人々、自然の水を私たちの生活用水へと変えるのに関わっている人々の努力があるから安全でおいしい水が飲めているのであり、その方々の努力なしでは私たちは水を容易に使えはしない。

 私たちは今、水をとても簡単に手に入れ、使っている。しかし、その水は人々によって作り上げられたものであり、実はありふれているようなものではない。その水が与えられない人もいる。私たちに安全でおいしい水を提供するために犠牲になった方もいる。「水を節約しよう」という言葉をよく見かけるが、その言葉を他人事のように思わず、私たちの生活に使える水を作ってくださっている方々のためにも水は大事に使うべきだと思う。


表彰式


記念撮影

[関連ダム] 小河内ダム
(2014.8.8、Jny)
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