『このごろ』に掲載されている『ダムをうたう(5) -慰霊碑-』を拝見しました。私は人跡未踏の黒部川の上流で佐藤工業の社員として黒四ダム建設に従事した経験があり、感慨深いものがありました。
私が黒四ダム建設に従事したのは黒四ダム(第4工区)建設工事の着工より2年間(s.31.7〜s.32.12)でした。 仙人谷から作廊谷基地(標高1320m)まで標高約500を2時間かけて登り、初年度は地下火薬庫や仮設宿舎を作り、その後160mトンネル内に越冬地下宿舎(170人収容)を完成、翌32年地下室では健康に良くないので鉄筋コンクリート5階建を建設しました。 土木屋でなく建築屋の為 s.32.12末下山しました。
今でも当時の記録写真が200枚程あります。 そのうちの乗込み時点(s.31.秋)の写真の一部を以下に紹介します。
(写真1)
黒部川の東谷から、約450mn作廊谷基地まで、s.31.10.11 からトラムウエーが完成したので、約15分間荷台の上に乗った時の写真です。谷間が見える上流 10kmがダム地点です。労働基準監督署も歩くより安全なので乗車していました。 s.31.7.1乗込み時よりトラムウエーが完成までは、危険な尾根を2 時間両手で岩や雜木を掴んで登ったり、梯子を昇り降りしました。 人用のボックスは翌年秋完成しました。
(写真2)
作廊谷基地の対岸で、下廊下の参道を歩いている22歳の自分です。 120mの谷底を眺めて幅50〜60cm丸太の上をワイヤに掴みながら歩きました。
(写真3)
コダックフイルムを取寄せて撮影した下廊下の紅葉です。 陽があたる午前11時頃から2〜30分広角レンズしか撮影できません。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 171人の尊い犠牲者には、佐藤工業の社員が2名と労務者32名が含まれます。殉職者171名の内 墜落事故60名 (35%) 落盤事故48名(28.7%) です。
046770 安部塁 黒四ダム建設慰霊碑「六体の人物像」の作者は松田尚之(1898生まれ 88歳没)です。富山県富山市出身、(当時)京都学芸大学教授、日展評議員、審査員、学術員会員で、「六体の人物像」は昭和32年度芸術院賞を受賞しました。
6体の人物の右から2番目のモデルは佐藤工業下請け業者慶伊組 社長 谷端正宗です。(最盛期 坑夫・労務者1300人の日本一の親方) 6体の人物のお一人が、熊谷組の笹島さんがモデルと聞いていましたが、過日熊谷組本社経由で本人に確かめましたが記憶がないとのご返事でした。 半世紀前のことなので誰がモデルかわからず誠に残念です。しかし「モデル」がいたはずです。
今年大町トンネルが完成して50周年目にあたります。 建設工業新聞のインタビュウーを近く受けます。
|