《このごろ》
「諾い難い(うべないがたい)」文章であると・・・

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平成27年4月1日の日刊建設工業新聞の「所論緒論」という欄に掲載された「ダムの効用と偏向報道」というタイトルの記事をご紹介したいと思います。
 
「所論緒論」は、元土木学会会長、岡山大学名誉教授の阪田憲次先生が執筆メンバーとなっている連載で、阪田先生はこの連載で土木にまつわるお話を先生ならではの視点から、簡潔にまとめておられます。いつもなら、こういう発見があったとか、こういう取り組みが新しい、今後に期待したいといったトーンで書かれているものですが、今回は、ある大手新聞に掲載された、「ダムと過疎地」というタイトルの編集委員の顔写真、署名入りのコラムについてでした。書かれている事柄について、阪田先生は“諾い難い(うべないがたい)”という言葉で反論されています。

ダム湖の水を「ただの水たまり」と表現することで、巨大なダムの姿を一瞬にして自然環境を破壊する醜悪な人工物にすり替えています。このコラムの筆者は、ごく普通の言葉遣いの中に読者の共感を呼び込みながら、小さく錯覚させていくことに対して、どれだけ多くの時間を費やしてきたというのでしょうか。

かつて竹村光太郎さんにインタビューをさせていただいた時、長良川河口堰建設に関連して朝日新聞のコラム欄「窓」に掲載された「建設省のウソ」という記事について、朝日新聞社へ公開質問状を出し、以降のやりとりをインターネット上で公開したというお話を伺いましたが(ダムインタビュー(26)竹村公太郎さんに聞く「未来を見通したインフラ整備が大事で、ダムの役目はまだまだ大きいですよ」)、それから何年も経った今、また似たようなことが起こっているように思えます。このような時には勇気をもって反論すべきだと思いました。

阪田先生は、「所論緒論」で、日頃、口下手な土木技術者であっても、もはや寡黙を美徳と考えるのはやめて、情報発信のあり方について自ら出来ること考え、行動すべきだということを強く訴えておられるのだと思います。

この記事を読ませて頂いて、きちんと説明していくことが、ダムへの理解に繋がっていくのではないかと思いました。


(2015.4.8、中野朱美)
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