《このごろ》
「やんばだむ」と「やつばだむ」

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八ッ場ダムは、ダム建設絶対反対という運動が続いていた時期に長期間にわたり事業が停滞した。私が八ッ場ダムに関わったのは工事事務所でありながら工事のために現場に入ることはもちろんのこと調査でも地元に入ることができない頃であった。

私が群馬県吾妻郡長野原町にある「八ッ場ダム工事事務所」を知った頃、関東地方建設局(現関東地方整備局)の一部では八ッ場ダムを「やんばだむ」と言っていたようである(先日、ある関東のダム工事事務所にいた人から聞いた)が、関係者は「やつばだむこうじじむしょ」と言っていたと記憶している。八ッ場ダムに係わるまで、私は関東地方に住んでいなかったので八ッ場ダム関係の情報は皆無で、私の周りには『はっぱだむ』と言った人もいた。

当時、計画は地図上のペーパーロケーションでしか策定できなかったが、そのときのダムサイトは現在のダムサイトより少し上流だった(正確な記憶ではない)ような気がする。その後、吾妻峡の中央部の群馬原町(当時のダムサイトの下流の自治体:現東吾妻町)地内に移り、文化財保護の観点から再度上流に移して現在のサイトに落ち着いたようである(ダムサイトの移動経緯は未調査)。当初のダムサイトを計画していた地域は、長野原町川原畑の「八ッ場」という地区で、 地元の人は「やんば」と呼んでいた。当時の長野原町や群馬原町の人々もその地域を「やんば」、工事事務所を「やつば」と言い分けていたと思う。私が八ッ場ダムに関わっている間、事務所では「やつばだむ」という呼称を使用していたが、「やんば」地区に建設するダムをどうして「やつば」と呼ぶのかと不思議に 思ったものである。


「八ッ場ダム工事事務所」HPより

仕事の関係で関東地方を離れてからは、業界紙などで八ッ場ダムの動きを知る程度で、記事の掲載されている「八ッ場ダム」を「やつばだむ」で読んでいた。民主党が政権を取ったときに八ッ場ダムが話題になり、全国ニュースになった。そのとき八ッ場ダムを「やんばだむ」と呼んでいることを知った。

そして八ッ場ダムを知って40年以上経過した現在、工事事務所のOBの方と会う機会もある。皆さんは関東地方在住の方が多く、八ッ場ダムを「やんばだむ」と言っている。私は「やつばだむ」と呼んでいたため「やんばだむ」という呼び方にちょっとした違和感を持ってしまう。

「やつばだむ」という呼び方は、今では忘れられて誰も使わないのであろう。先日、八ッ場ダムを見学したときに現地で説明してくれた工事事務所の職員の方も「やつばだむ」という呼称については記憶がないと言われていたことから、「やんばだむ」という呼称に統一されたのは、そうとう以前のことなのだろうと思っ ている。


「八ッ場ダム工事事務所」HPより

[関連ダム] 八ッ場ダム
(H29.3.22、のりちゃ)
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