《このごろ》
歴史に埋もれた大ダム計画

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私、河川一等兵はご存知の方もいらっしゃるでしょうが、ウィキペディアに出没しています。
まあ、ダム記事について書いているわけですが、色々と文献を集めて行くうちに、気が付いたら結構な量になってしまいました。以前そうした書籍を紹介させていただきましたが、今回はその書籍の中から、「歴史に埋もれた大ダム計画」を幾つかご紹介させて頂きます。

@大佐古ダム計画(徳島県・吉野川)

これは吉野川に計画されていたダム計画です。戦後、「吉野川総合開発計画」が1950年に策定された中で、当初は早明浦ダムともう一つ、吉野川に大ダムを建設する案がありました。
その一つは、1971年に中止された小歩危ダム計画で、これ自体も最初の計画では総貯水容量が3億トンを超えるダムでしたが、それよりも巨大なダムが計画されていたのです。

それが大佐古ダム計画ですが、これは吉野川と祖谷川合流点よりもやや下流にダムが計画されており、高さ146.0メートル、総貯水容量は実に6億7,600万トンあります。あの徳山ダムよりも巨大な人造湖を持つダムが、吉野川に計画されていました。仮に完成していれば、今の三好市から、高知県長岡郡本山町と現在の銅山川・新宮ダム直下まで水没するという規模の大きいものでしたが、さすがに巨大すぎたのか、この案はあっという間に没になりました。

A都賀行ダム計画(島根県・江の川)

これは江の川中流部に計画されていたダム計画で、現在の浜原ダムよりやや下流部に計画されたものです。当時の建設省が立てた「江の川総合開発計画」で、上流部の土師ダムと共に計画の要として構想されたものです。高さは79メートルとそれほど大きくはないですが、総貯水容量は5億8,010万トンとこれまた大きく、三次盆地まで水没する人造湖が完成すれば出来ていたようです。ただ、水没戸数が1,614戸と余りに多すぎて、結局立ち消えになったようです。

B沼田ダム計画(群馬県・利根川)

このダム計画は、名前なら聞いたことがあるという方も居られるかも知れません。「利根川総合開発計画」の中心事業として計画された、高さ125.0メートル、総貯水容量8億トンと完成すれば日本最大の多目的ダムとなる計画でした。現在の綾戸ダム下流に建設が予定されていたものですが、完成すれば2,200世帯が水没するという、これも日本最大の補償問題になるものでした。

当然水没する沼田市は猛反対し、群馬県もこれに同調。1972年に計画は中止された訳ですが、中止を決断したのは、「日本列島改造論」をぶち上げたあの田中角栄なんですね。意外といえば意外かも。ちなみに当初の計画では「穴あきダム」でした。

C阿賀野川貯水池計画(新潟県・阿賀野川)

これは只見川の電源開発計画が策定される前、野口研究所という所が出した水力開発案です。
計画案の全体地図を「電源只見川開発史」で見た時、その巨大さに思わず目を疑いました。多分私が今まで知った様々なダム計画の中で、最も驚いた計画でした。

ダムの高さや総貯水容量は分かりませんでしたが、地図から類推する湛水面積は奥只見ダムのおよそ六倍から七倍、単純計算で貯水量を類推すれば恐らく控えめに見ても10億トンクラス、もしかしたら40億トンクラスの人造湖かも知れません。手がかりは新潟県北蒲原郡阿賀町と、阿賀野市の境付近に建設され、満水面標高は162メートルということだけです(誰か計算して頂けないものでしょうか?)。

阿賀野川だけでは湛水できないので、現在の早出川ダム付近にもダムを建設して貯水するというこの人造湖、上流は福島県河沼郡会津坂下町と喜多方市の境、上流に日中ダムのある濁川の合流点にまで達します。この他にも現在の滝ダム付近に建設される計画であった只見貯水池計画(E.L.480メートル)も田子倉ダムの四倍から五倍相当の広さになります。
この他にも信濃川や阿武隈川、鮫川などにダムを建設して太平洋と日本海をダムを通じた運河で結ぶという計画だったようですが、OCIにあっさり却下されたとのこと。理由は「日本の現状を遥かに超える」とか。

以上、つらつらと書いては見ましたが、他にも鵡川の赤岩ダム計画とか伊南川の内川ダム計画とか、まだまだあるようです。敗戦後早く日本を復興させたいと願う関係者の、熱い思いがこうした所にも現れている感じがしました。

(注)OCI:アメリカ海外技術調査団の略。上椎葉ダムをアーチダムにしなさいと提案するなど、日本の土木技術発展に影響を与えた。

(2008.8.22、河川一等兵)
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 (大ダム計画)
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