川上ダムは1967年(昭和42年)の予備調査着手(建設省)から半世紀が過ぎて、多くの方々のダムへの想いと理解・協力の中、2021年4月20日に堤体打設完了式を迎えました。
2005年5月から水資源機構が発行している川上ダム通信も、2021年5月で189号となりました。
川上ダム通信100号(2014年1月号) 記念特集に、川上ダム建設所副所長の藤川道夫さんと、着手当時、川上地区の移転者代表(川上地区ダム対策委員会委員長)を務めておられた古川喜道さんとの対談が掲載されています。
対談の中では、ダム計画発表から現在に至るまでのさまざまなエピソードが紹介されていました。
計画発表時の話として、「昭和43年、川上ダム建設計画を青山町では誰も知らされないまま新聞報道で発表された事に町長が憤慨し、川上住民を集め建設省へ謝罪を求めた」。「その後も川上区内で村が二つに割れて諍いがあり、区の行事や近隣付き合いが難しくなり難儀だった」。「補償基準の折衛時、調印前の相談・交渉後の報告など代表として責任が重くのしかかり大変な思いをした」等、当時の苦労、困難が伺えます。
対談の最後には、幾多の苦難を乗り越えた現在の心境として、「2013年9月の台風18号で多くの被害が出て、川上ダムが出来ていたら被害に逢うこともなかったと思う。新聞などで川上ダム建設を望む声が日増しに強くなっていることを想うと、我々がダムへ協力を決断したことが、この先見えて来た気がしている。苦労してきたことが報われる」と締めくくっておられます。
私が川上ダムの事を知ったのは2013年の1月で、ダム巡りを初めて半年頃でした。その後、同年11月に初めて見学させて頂く機会を得ました。当時は付替県道と仮排水路トンネルができあがったばかりでした。今は撤去された、中部電力さんの阿保発電所もまだ動いていました。
阿保発電所 | | 阿保発電所の水圧鉄管 |
次に見学会の機会を得た2017年7月11日のダムカード配布開始記念見学会の時には発電所はすっかり撤去され、水圧鉄管を支えていたコンクリート跡だけ残っている状態でした。そして、2018年12月からは、月1回の見学会に参加し(コロナ禍の為、緊急事態宣言で中止の月もありました)工事が進んで行く過程を見てきたので、地元の方の想いとは、また違った想いで見守ってきました。
この日の堤体打設完了式は、水資源機構および施工JVの方々関係者約60人が出席して、堤体頂部の最後のコンクリート投入場所となる3m×3m×50cmの穴の前で行われました。
はじめに今年4月1日に水資源機構川上ダム建設所長として着任されました津久井正明所長より、開会の挨拶として
「令和元年9月の堤体コンクリート打設開始以降、コロナ禍、猛暑の昼夜の中も工事は進められ約19カ月をかけて45万m3の打設を完了しました。水没地域や周辺地域の関係者、関係自治体のおかげで打設が完了できました。今後は管理棟や天端の整備、放流を知らせる警報設備、操作設備などの工事を進めて、秋には安全で確実な試験湛水を迎えたい」と話されました。
3m×3m×50cmの穴 | | 津久井正明所長 |
冨 行穂工事課長 |
そして、水資源機構の冨 行穂工事課長と大林組JV小俣光弘監理技術者の合図により、バケットに4.5m3のコンクリートを積んだタワークレーン1号機が動き、堤頂部の穴にコンクリートを投入して、バイバックで固めました。
タワークレーン | | 最終打設 |
| バイバックによる締固め |
最後の打設が完了して、松村貴義副所長 (技術)の合図で万歳三唱をして祝いました。
次に、大林組 山浦克仁統括部長が閉式の挨拶をされました。
「今回の工事では打設の効率化を図る、AIによる自動コンクリートの運搬システムを開発して実現したこと、締め固めの機械の自動化にプレキャスト部材の使用で約19カ月の短期間で打設を終えた。引き続き安全と品質の確保を重要視し、工程が円滑に進むよう職員一同気を引き締めて工事を進めていく」と決意を話されました。
堤体打設完了式が終わると、記者達だけバスで建設事務所に戻りました。そして事務所の前で、「川上ダム建設所長のコメント」と書かれた紙を頂きました。これからも川上ダムが無事に竣工式を迎え、運用開始になるまで見守り続けていきたいと思います。
【川上ダム建設所長コメント】
地元の皆様や関係機関のご理解ご協力のおかげをもちまして、本日、ダム堤体コンクリート打設を無事完了することができました。
今後は試験湛水に向け、管理設備等の工事を進め、安全で確実な試験湛水を実施してまいります。
令和3年4月20日
独立行政法人水資源機構
川上ダム建設所長 津久井正明
ダムカード