だいぶ昔のことだが、メイソンリーダム(masonry dam)と呼ばれるダムが造られていた。メイソンリー(masonry)とは石工のこと。だから、石屋さんが造ったダムという意味。石工が石材やレンガを漆喰やモルタルで固めながらダムを築きあげた。
その後、外部は石工が造った石積みであるが、内部は粗石(大きな石)とコンクリートで造られるようになった。これは、一種のメイソンリーダムではあるが、粗石コンクリートダムと呼ばれる。
粗石コンクリートダムの築造手順は、コンクリートを薄く(15cm位)敷いた上に粗石(φ35cm位)を10cm位の隙間を空けて並べて、コンクリートで隙間を充填した。当時は、高価なセメントを使ったコンクリートを減らすために粗石で置き換えた(30%位)のである。国内初の重力式コンクリートダムである布引五本松ダム(堤高33m)は、この工法で明治33年に完成した。上流側には、止水のために石積みの背面にセメントが多めのコンクリート(幅1.3m位)を配置している。
型枠が登場してからは、上流面と下流面の石積みが無くなりメイソンリーダムは姿を消したが、粗石コンクリート工法は現在でも砂防堰堤などで改良されながら残っている。
布引五本松ダムの構造図(「月刊ダム日本」2000.11 より)
布引五本松ダム(撮影:灰エース)
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