最近「黒部」が賑やかである。「富山県」の方々は黒部YEARと称して、鼻息が荒い。 確かに最近、黒部ダム、そして40年前の映画「黒部の太陽」が話題に上ることが多くなった。 特に「黒部の太陽」は、制作40周年記念と言うこともあるのだろうが、昨年は中村獅童主演の公演が大阪で行われ、今年に入ると「土木学会」が「黒部の太陽」の上映会を行い、続いて4月にはダム工学会が「黒部の太陽上映会」を催す。石原裕次郎氏の遺言でビデオ化、DVD化は決してされないと聞く。今となっては、こういう機会に視聴するくらいしか手はない。何とももったいないと私などは思う。
唯一の救いは、今週末にフジテレビ開局50周年記念ドラマ「黒部の太陽」が香取慎吾主演で土日と2夜連続で放送されることである。このドラマに期待しよう。
このような背景があってのことだろうが、3月15日の日曜日、富山県の肝煎りで「黒部の太陽」の主人公のモデルとなった笹島信義氏を迎えて、「21世紀によみがえる“黒部の太陽”の世界」というシンポジウムが東京・有楽町で開かれた。
笹島氏は今年92歳になられるが、矍鑠(かくしゃく)という言葉が似合う御仁であった。シンポジウムは笹島氏の基調講演で幕を開けた。 破砕帯のことを特に気負った風もなく話されるが、かえってそれが現実味を帯びていた。 支保工がミシミシと音をたてる話や、トンネル工事は逃げ場が無いという話。摂氏4度の氷のような水を浴びながらの作業、はじめは作業を進めるために労務者を煽っていたが、そのうち安全が気になり、押さえる方に回った話。そして関電の太田垣社長が視察に来られた時の話など。
これらの話は、同夜(15日夜)、フジテレビの「エチカの鏡」でやはり笹島氏が出演され、語っておられた。ただし、テレビの方は1/3以下に編集されていた気がするが。
パネルディスカッションでは、笹島氏の他に、黒部ダムを設計された元関西電力社員の奥野義雄氏と、元富山県土木部の白井芳樹氏が登壇され、関電トンネル、そして黒部ダムについての思いの丈を語られた。
笹島氏の話を聞くと、当時の人々の真剣に生きる姿が浮かび上がってくるようだった。もちろん現代の人も真剣に生きてはいるだろうが、その真剣の度合いが違う気がする。奇妙な言い方かもしれないが、当時の人々は「命をかけて生きていた」と感じた。戦争を経験し、戦後復興を双肩に担い、日本の再生を真剣に思って仕事に打ち込んでいた、そんなイメージを感じ取った。これを自ら「黒部の語りべ」とおっしゃる奥野氏は「黒四スピリッツ」と呼んでおられた。
状況こそ違え、今まさに日本、いや、世界が再生、復興に立ち向かわねばならない転換期に来ている。この「黒四スピリッツ」の話は日本だけではなく、全世界の人に聴いてもらいたい気がした。
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