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■ 大井川とその流域 
 東海道53次中23番の宿場が島田宿で、島田宿から大井川を越え、金谷宿まで約1里の距離になる。東西の国へ向かっての旅は、必ず駿河、遠江の国境大井川を越えねばならない。大井川は戦略上江戸城の外堀ともいわれ、架橋することも通船することも禁止された。大井川を渡る川越制度は元禄9年(1696)に確立、川合所が島田宿に設置され、川庄屋が管理するようになった。
 大井川の常水は2尺5寸(約76cm)と定められ、この深さでは馬越しは可能で、常水よりさらに1尺5寸(約45cm)増水の4尺(約1.2m)のときは馬越しは禁止、歩行越しのみとなり、水深が5尺(約1.5m)をもって川溜めと定められた。大井川以外の橋のない川は東海道53次では酒匂川、興津川、安倍川、瀬戸川、草津川であった。

   ◇

 大井川は、静岡県中央部を南北に貫流し、その源は3000m級の南アルプス山岳地帯の静岡県最北端、間の岳(標高3189m)に発し、途中山間部を蛇行しながら、寸又川、榛原川、長尾川、笹間川、家山川、伊久美川、大代川等多くの支川を合流し、島田市向谷付近で山間地を出、この地点から大井川平野20kmほどを経て、駿河湾に注ぐ。幹線流路延長 168km、流域面積1280km2の一級河川である。しかしながら流路延長のわりには、流域面積は少ない。

 地形、地質は、西南日本構造線と赤石山地の東境、糸魚川ー静岡構造線に挟まれ、地質条件は危弱であり、とくに上流域では、著しい急勾配の地形となっているため「赤崩」、「4枚崩」など崩壊地は約2500ケ所を越え、膨大な土砂を供給している。大井川流域の降水量は上流域で年平均3000mm、下流域で2000mmの多雨地帯といえる。流域地帯は常に水害に悩まされてきた。一方このような多雨地帯の豊富な水資源は、明治期から積極的に水力発電に利用されてきた。

 中流域の本川根町、中川根町、川根町の3町では温暖な気候と大井川の霧による傾斜地を利用した茶の栽培が盛んで、全国的に「川根茶」として有名である。さらに、下流域には明治期に開墾された牧の原台地など、農業用水として11,600haの灌漑用水、そして、島田市、藤枝市など、水道用水、工業用水にも利用されており、大井川の水は多くの人々に恩恵を与えている。

 大井川の文化の特徴について、野本寛一著『大井川−その風土と歴史』(静岡新聞社・昭和54年)には、

・川溜によって、大名、庶民も殷賑を究め、島田髷、帯祭りの文化を生じさせた
・大井川の上流部は巨大な南アルプスに遮断され、閉ざされた閉塞谷河川であり、焼畑文化を沈殿させた
・下流域では洪水対策として舟型屋敷が多く造られ、輪中集落を形成した

と論じる。

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