《調印式の日》
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1998年1月24日。その日は珍しく大雪に見舞われた。立会人の平松知事が大分から来られるだろうかというスタッフの心配を後目に、水没者の表情は実に晴れ晴れとしていた。念願であった損失補償基準の調印式を迎えたからである。この間、水没者の揺らぐ気持ちを引き締め、交渉に当たってきた組織の会長は、初代の岩里六郎氏、二代目の川辺宰氏とも志半ばにして病に倒れ還らぬ人となった。調印式で挨拶する鶴野安之会長もこのことにふれるとき、無念さに絶句し目に涙が光った。
一方、ダム建設を進める町側も伊藤隆町長、矢幡欣治町長そして私と懸案事項を引き継いできた。補償交渉について組織の一本化を断行し調印にこぎつけた私は、調印式の席上でその心境を歌に託した。
「進む世に吾も何かせむこの山峡に生まれて60年暁をのぞむ」
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