《福岡市より職員が派遣される》
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森づくりという交流事業を通じて、矢幡町長は農山村の情報発信の不備を痛切に感じた。その打開策として都市側に大山の情報発信基地を設け、人や情報やモノの交流はもちろん経済の交流も視野に入れた構想を福岡側に示した。 折から事業実施方針に同意を求められた時期でもあり、また、その前提条件として提示していた国等関係団体への要望に対する回答時期でもあったことから、利水者への要望に盛り込み、用地の斡旋等支援の約束を取り付けた。
具体的な計画は私の町長就任とともに始まった。 まず、手始めに福岡市役所より職員の派遣をお願いした。農山村そのものを福岡市の行政職員に理解してもらうためである。この職員が仲介役となって双方の祭りへの参加や、小学生たちの交流が始まった。博多山笠が大山に飾られたのもこの頃である。
また、福岡市の生涯学習で農山村の文化や産物を素材とした料理講習などに出かけるとともに、資料の提供も行うようになった。中でも大山町で開催した第5回九州ダムサミットでは、上下流双方の話し合いの中から、福岡市が水道料金の一部を転嫁する形でのダム水源地地域振興基金の創設を約束し、「福岡市水道水源かん養事業基金」として実現にこぎつけた。
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