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《ダム築造の変遷》

 今日、日本のダムは治水、利水のために 3,000基建設されている。土木事業の一環であるダムの築造は、常に先人たちの国土を愛する精神の積み重ねの上に存する。そのダム築造の変遷について5期に分けて追ってみる。

@弥生時代から西暦1600年(徳川政権の樹立)まで

 弥生時代から西暦1600年(徳川政権の樹立)までに、日本最古のダムといわれる 162年 蛙股池(奈良県 淀川)をはじめ、 701(大宝元)年〜 703(大宝3)年 満濃池(香川県 金倉川)、 708(和銅元)年 住吉池(鹿児島県 別府川)、 731(天平3)年 狭山池(大阪府 大和川)、1128(大治3)年 大門池(奈良県 大和川)など灌漑用アースダム約40基が築造されている。

 この時期、行基、空海、空也、一遍など仏教僧のダム築造における業績は刮目に値する。その業績は、自己の利益のために行われるものでなく、他に利することを行い、自らの生き甲斐と同一化する「利他行の精神」に基づいている。

A江戸時代(1601〜1868年)

 江戸時代(1601〜1868年)では、1663(寛永10)年 入鹿池(愛知県 五条川)、同年 亀越池(香川県 土器川)、1678(延宝6)年 五桂池(三重県 櫛田川)、1710(宝永7)年 駕与丁池(福岡県 多々良川)、1831(天保2)年 長富池(和歌山県 紀ノ川)など、稲作の新田開発に伴い、 267年間で灌漑用アースダム約 540基が築造された。ダム築造の飛躍的増加については、武士の収入が米単位(石高)で与えられ、米が貨幣と同価値とみなされ、徳川幕府が米の増産を図ったからである。

 横道にそれるが、今日、米は世界の人口の半分の人々が食べている。今年(2004年)は、日本やフィリピンなど44ケ国が提唱して、国連で決定された「国際コメ年」である。米の重要性を見直すためにアジアの各地でイベントが開催される。

B明治・大正期(1869〜1925年)

 明治・大正期(1869〜1925年)では、最初の給水用アースダムの1891(明治24)年 本河内高部貯水池(長崎県 中島川)、最初の給水用重力式コンクリートダムの1900(明治33)年 五本松ダム(兵庫県 生田川)、最初の水力発電用の1911(明治44)年 黒部ダム(栃木県 鬼怒川)、1912(大正元)年 福地ダム(福岡県 紫川)、1924(大正13)年 大井ダム(岐阜県 木曽川)など56年間に約 400基が造られている。

 明治新政府の政策による西欧文明を熱心に取り入れ、富国強兵を図り、また人口の増加も伴って、灌漑用以外に給水用、水力発電用の近代的なコンクリ−トダムが造られるようになってきた。

C昭和年代初期(1926〜1945年)

 昭和年代初期(1926〜1945年)は、1929(昭和4)年 小牧ダム(富山県 庄川)、1938(昭和13)年 塚原ダム(宮崎県耳川)、1943(昭和18)年 雨竜ダム(北海道 雨竜川)、1945(昭和20)年 相模ダム(神奈川県 相模川)など20年間に約 410基が造られた。

 日本は戦争の状況下にあり、満州事変(昭和6年)、日中戦争(昭和12年)、太平洋戦争(昭和16年)における15年戦争、そして敗戦を迎えた。この間、産業用、軍事用の電力需要に伴い水力発電用のダム建設がほとんど占めた。

D昭和中期(1946〜1975年)

 昭和中期(1946〜1975年)では、1956(昭和31)年 佐久間ダム(愛知県 天竜川)、1960(昭和35)年 田子倉ダム(福島県 只見川)、1963(昭和38)年 一ツ瀬ダム(宮崎県 一ツ瀬川)、1964(昭和39)年 黒部ダム(富山県 黒部川)、1967(昭和42)年 矢木沢ダム(群馬県 利根川)、1968(昭和43)年 九頭竜ダム(福井県 九頭竜川)、1973(昭和48)年 下筌ダム・松原ダム(熊本県・大分県 筑後川)などが築造されてきた。

 第2次世界大戦後、アメリカのダム機械資材などの導入もあり、ダム建設の技術は一大飛躍をとげ、大規模ダム建設時代となった。水と電力エネルギ−は日本の経済成長の原動力となる一翼を荷なった。

 以上、ダムの建設の変遷については、村石利夫編著『日本河川ル−ツ大辞典』(竹書房・昭和54年)を参考とした。


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