1.石淵ダム
コンクリート表面遮水壁型(CFRD)のロックフィルダムは、黎明期に石淵ダムをはじめとして数基が築造されたにとどまります。その後は、ゾーン型のロックフィルダムが主流となりました。 その石淵ダムも、平成24年9月30日をもって管理が終了します。その後は、胆沢ダムが役目を引き継いで行くことになります。 石淵ダム周辺道路は、胆沢ダム試験湛水準備等のため立入禁止となりました。しかし、胆沢ダム学習館で申し出れば、『通行許可証』をお借りすることができます。(胆沢ダム本体工事休工日を除く)この許可証を提示すれば、警備員さんが工事専用道路への進入を許可してくれます。水没まで残りわずかな期間ではありますが、一般人も石淵ダムへ行くことは可能です。是非、多くの方々に最後の勇姿を見ていただきたいと思います。
通行許可証 2.CFRD
平成16年に竣工した苫田鞍部ダムは、このコンクリート表面遮水壁型で建設されたものです。しかし、本体としてこの型式が採用されるのは、栃木県で建設が進められている南摩ダムとなります。実に、半世紀ぶりのケースとなるようです。平成24年5月現在、仮排水トンネルなどが完成しています。
思川開発建設所資料より ところで、この南摩ダムは、当初は中央遮水壁型のロックフィルダムとして計画されていたようです。『ダムマニア』の宮島咲氏が平成18年に、この地を訪れた際、説明板に描かれていた南摩ダムの標準断面図は明らかにゾーン型(中央遮水壁型)になっています。 詳細は、こちらをご覧下さい。
南摩ダムが中央遮水壁型から表面遮水型に変更された理由については、容易に想像がつくと思います。それは、建設コストの問題です。適切なコア材やフィルタ材となるものがダムサイト付近で確保できず、あるいは確保できたとしても、コンクリート遮水壁を利用した方がコストを抑えられたためであると考えられます。ダム本体の建設予定地は、日本でも有数のセメントの産地である栃木県佐野市葛生町から近いところに位置しています。ロックフィルダムに限らず、骨材や原石はダムサイトから遠くない場所で調達できることが望ましいはずです。
なお、水資源機構さんに事情を確認したところ、南摩ダムの型式変更は、工期短縮が主たる理由であるとのことでした。すなわち、工期短縮によるコスト削減ということです。
3.南摩ダム
水没予定地区で、もみじマークを付けた車でドライブに来た老夫婦に出会いました。この方は、現在は宇都宮市に移転しているそうです。すでに建物等は撤去されていましたが、かつてここに学校があったそうです。集落跡をなつかしく思い出しながら、立入禁止となるまで可能な限りこの地を訪問し続けたいということでした。生まれ育った土地を離れざるを得なかったことは究極の決断でした。それでも、この年齢になって多くの人々の役に立つことができたのは最良の選択であったと思っているということでした。
水没予定地 ダムサイトから1キロ程下流に「ダム反対」の看板が1つだけ残されていました。この場所は水没地区ではありません。むしろ、ダムによる恩恵を受けるエリアであるはずです。あらためて、ダムは多くの人々の御苦労のうえに完成するということを感じました。
建設予定地より下流地点 戦後の食糧不足を克服するために建設され、晩年は2度の大地震という難局を乗り越えた石淵ダムはまもなく退役します。その遺伝子を受け継いだCFRDの南摩ダムがこのまま順調に推移して無事に竣工を迎えることを一人の有権者として切に願うものです。
南摩ダム仮排水トンネル
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