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《Dダム技術者と女性との愛を描いた作品》

 第5に、ダムそのもののテ−マではないが、ダム技術者と女性との愛を描いた作品である。

 奥只見ダムやタイのダム現場を背景とした、芝木好子の『女の橋』(新潮社・昭和48年)は、芸者由利子とダム現場を渡り歩く電気技師篠原俊夫との愛の浚巡を描く。由利子は篠原との逢瀬を楽しんでいたが、落雷でダムにトラブルが生じ、篠原はダム現場に去っていく。半年後、由利子が篠原と結婚を真剣に考えたときに、篠原はタイの奥地のダム現場へ赴任。だが、篠原がダム現場の事故で負傷すると、由利子はタイへ飛び熱心に看病、意識が戻ったとき、由利子は芸者を止めて、結婚を決意をする。ようやくダムが二人の仲をとりもった。

 主人公の「私」が不貞の妻を殺害、刑期を終え山奥のダム現場に従事する、吉村昭の『水の葬列』(筑摩書房・昭和42年)は、ダムに水没する集落、その水没者の娘の自殺を追いながら、いままでの主人公の人生を重ね合わせている様子を描いている。
 ダム技術者と人妻との愛のスト−リ−である。井上靖の『満ちて来る潮』(新潮社・昭和31年)は、ダム設計技師青年紺野二一郎と瓜生苑子との愛とその破局を描く。
 苑子は天龍ダム現場にて紺野に愛の告白を行う。紺野はその愛を拒否する。その愛の拒絶について、ダムが水の流れを変えることにたとえて、次のように表現している。


『「僕は、一介のエンジニ−アにすぎないことを、こんどいやというほど自分で痛感しましたよ。川の流れはこれまでに何本も変えました。しかし、人間の歩いていく道は容易に変えられませんね。僕は川と取っ組んでいればいいんだ。それを柄にもなく瓜生苑子という人間と取り組んで、結局手も足もでない」
 何ものかが紺野にしゃべらせた。紺野の顔もまた蒼白んでいる。
 苑子は地面に片手をついたまま視線を堰堤の方へ投げていたが、やがて立ち上がった。
「わたしは紺野さんのお力で自分に一つしかない人生を、いまとは別のものにして頂こうと思っていました。でも、やはり無理だったんでしょうね」
 ふたりはそれからしばらく黙ってそこに向かい合ってた。ふたりは数分前とはまるで違った立場に置かれていた。』

 川の流れをダムは変えることはできるが、人妻苑子の人生の流れを紺野は変えることはできなかった。紺野と別れた苑子は、睡眠薬を飲んで自殺を計るが、助かる。その病床に夫の瓜生安彦の心配そうな姿があった。


 同様に、人妻との愛の破局を描いた、三島由紀夫の『沈める瀧』(中央公論社・昭和30年)は、頭脳明晰な青年ダム設計技師城所昇が、多摩川のほとりで出合った石のように冷たい顕子に魅せられていく。城所は、その愛を確かめるために、雪深い山奥のダム現場の越冬隊員の一員となる。雪がとけ、顕子がダム現場まで城所を追ってくるが、やがてその愛は破局を迎える。非道徳的な愛を怜悧な流麗な文章で綴る。
 その愛の背景となるダム現場について描いている。

『そこには巨大なヂャィレイトリィ・クラッシャ−が二台並んでいる。新品のつややかな鉄の輝きが美しい。磨かれた緑の部分は空を映して青い。そばへ寄ると、心をそそるような油の匂いがした。この砕石機は、コンクリ−トの骨材の製造に用いられ、内部の倒立した円錐頭が、底部に設けてある傘歯車による偏心軸承の回転につれて、偏心運動をして、原石を砕くのである。(中略)昇はクラッシャ−に手をふれた。油の匂いに包まれた鋳鉄は冷たく、この鉄の冷たさには威厳に似たものがあった。』

 仮面的作家といわれるが、三島由紀夫のダム現場への視点は確かなものがある。無機質な物体の砕石機が、いまにも動物が躍動するかのように描写されている。このようなダム現場における文学的な表現には、一瞬といえども、爽やかな酔心を覚えた。


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