《宇摩地方と銅山川分水》
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平成16年4月1日愛媛県の東端に位置する宇摩地方の川之江市、新宮村、伊予三島市、土居町が合併し、四国中央市が誕生した。人口約 9万6000人、面積420km2、昔から紙産業が盛んで、機械すき和紙、洋紙、水引等、紙、パルプ工場が集中し、全国的に製紙工業都市として有名である。しかしながら水不足に悩まされた地域でもある。
この宇摩地方は瀬戸内海燧灘沿岸に面した細長く開けたところで、背景に標高1000m 級の法皇山脈が東西に走っている。法皇山脈の山麓に沿って急斜面が続き中央構造線による断層崖をみる。この崖から燧灘にかけて台地があり、海岸のゆるやかな傾斜となって宇摩平野を形勢している。瀬戸内海気候で平均降水量は1500mmと少ない。平野には金生川、赤之井川、関川が流れているが、いずれも小河川で短く、また急勾配であるためにたびたび水害と旱害に見舞われている。
なお、延長13kmの金生川は氾濫を繰り返し、被害をもたらしていたが、昭和15年に着工し、昭和22年に完成した金生川改修工事は、市街中心部を北方へ貫流していた下流部を予讃本線鉄橋付近から井地山を開削して西方の大江海岸に付け替え、水害が減少した。このことについては井川隆重著『金生川改修史』(川之江文化協会・昭和53年)の書がある。
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ところで、芳水康史著『吉野川・利水の構図』(芙蓉書房・昭和45年)の一節である。
「山腹をぶち抜いて大川(銅山川)の水が引けたら」 「夢みたいな話じゃ、おまえアホじゃないか」 「夢でもええ、宇摩の百姓が生きる道はこれしかない」
このつぶやきは、法皇山脈の向こう側を流れる銅山川の分水が、宇摩地方の人々の藩政期からの悲願だったことをよく表現している。この願いは昭和28年柳瀬ダムの完成まで待たされることとなった。
銅山川は愛媛県東部を徳島県へ流れ、紀伊水道へ注ぐ一級河川吉野川の支流である。延長55km、流域面積 280km2で下流の徳島県では伊予川ともいわれている。水源を石槌山系冠山標高1732m に発し、富郷渓谷等の深い浸蝕谷を作りながら東流し、馬立川、中の川、猿田川などを合わせ徳島県三好郡山城町の小歩危の北で吉野川と合流する。河川名は、かつて我が国最大の銅山であった別子銅山を流れていることに由来する。
銅山川流域は四国山地の多雨地帯であり、降雨は梅雨期、台風期に集中し、年平均降水量は2500mmである。銅山川の豊富な水の利用は、藩政期以来の水の不足する宇摩地方への分水構想に始まり、昭和11年愛媛県と徳島県との確執を経て、ようやく分水協定が締結された。現在では、銅山川の水は柳瀬ダム(昭和28年完成)、新宮ダム(同51年完成)、富郷ダム(平成12年完成)により、宇摩地方に灌漑用水、水道用水、工業用水として、また発電に利用され、川之江、伊予三島の地域は製紙工業を中心とした用水型産業を基幹として発達してきた。
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