ダム事典[用語・解説](ページ:15)

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ダムの歴史 (だむのれきし)
(世界のダム)

 古代都市社会が発展するためには、安定的な食料生産が前提であり、灌漑用の水源としてダム建設が必要でした。世界四大文明発祥の地では、強力な権力者が存在し、大規模に労働力を動員することができたため、ダムの建設が可能でした。

 歴史上、文献に現れる世界最古のダムは、ヘロドトス著「歴史」に登場します。紀元前2900年代初期、第一エジプト王朝の創始者メネス王が首都を建設するために、堤高15mのダムを築造してナイルの流れを変えたとされています。しかしこれはダムではなく、堤防ではなかったのかといわれています。ダムと呼べるものとしては、カイロの南方で、エジプト・クフ王朝時代の紀元前2750年頃と推定されるサド・エル・カファラダムの遺跡があります。これを最古のダムとするのが現在の定説だといわています。このダムは、ピラミッド建設用石切場の労働者の飲料水を確保するために造られ、堤高11m、堤頂長106m、底幅84mと大規模なものであったようです。

 古代アラビアでは、シーバの女王で有名なサバ王国で、紀元前750年頃、首都マリブの町の給水のためマリブダムが建設されました。このダムは、世界で初めて洪水吐を備えたダムで、ダム技術史上画期的なものでした。マリブダムは2度の嵩上げが行われたようですが、その際洪水吐も石積み構造で嵩上げされています。

 中国では、紀元前240年頃、山西省のグコー川に堤高20mの当時としては世界最高のダムが建設されました。このダムは、14世紀末にスペインのアルマンサダムが完成するまで、1600年余りに渡って世界一高いダムであり続けました。

 ローマ人は古代の最も偉大な技術者だと言われています。ローマ人が、紀元前193年にスペインのトレドを征服したとき、この町の給水のため、堤高20mのアルカンタリアダムを建設しました。ローマ帝国の遺跡で知られるメリダの近くでは、130年頃に堤高19mのプロセピナダムが、またその後に堤高28mのコルナルボダムが建設され、これらは現在もなお使用されています。ローマ人はまた、北アフリカのチュニスの南西で、2世紀頃カセリンダムを建設しました。このダムは土砂と粗石でできたコアを持ち、表面は水硬性モルタル・漆喰で継ぎ目を固めた切石はめ込み積みでした。

 現存最古のアーチダムは、テヘランの南西で1300年頃に建設された堤高26mのケパールダムだと言われます。下流面が半径38mの円筒形をしているアーチダムで、蒙古人によって造られたようです。その100年ほど後に、スペイン人が建設したアルマンサダムは、下流面曲率半径25mのアーチダムでした。スペイン人はまた、1594年に堤高が41mに及ぶ、世界一の堤高のチリダムを完成させました。この堤高は300年に渡り破られませんでした。これもまた上流面曲率半径107mのアーチ状のダムでした。その後、エルシュダム(堤高23m、1632年着手)、レルダム(堤高28m)がスペイン人によって建設されましたが、これらはより薄肉断面のアーチダムでした。

 1747年に北スペインで建設されたアルブエラ・デ・フェリアダム(堤高23m)は、製粉用水車を回すための設備を備えており、世界初の動力用貯水ダムです。また、近代的バットレス技術が採用された最初の大ダムでもありました。
 1824年にイギリスでポルトランドセメントが発明され、ダムにもセメントが使用されるようになりました。これにより、重力式コンクリートダムアーチダムが可能となり、イギリス、フランスを中心にダム技術大きな変革がもたらされました。19世紀後半、イギリスでは都市化が進展し、水需要をまかなうために各地にダムが建設されました。

 アメリカでは、1933年より始められたニューディール政策の一環として、各地でダムが建設されました。東部では、TVA(テネシー渓谷開発公社)が設立され、テネシー川総合開発が実施されました。多数のダムを建設し、発電、かんがい、洪水調節により、地域経済の発展を図ろうとするもので、大きな成果が得られました。西部では、コロラド川に大規模なフーバーダムが建設されましたが、このダムはダム技術の集大成ともいうべきダムで、以降の世界のダムモデルとして大きな影響があったといわれています。
 [世界ダムの歴史については、主として竹林征三著「ダムの話」によっています。]

(日本のダム)

 日本では古くから稲作が行われ、そのために洪水の危険の多い低湿地に移り住みました。洪水を防ぐとともに、稲作に必要な水を確保するために、溜池などの水を貯める工夫をしてきました。

 日本で最も古い溜池がどこかは厳密にはわからないようですが、大阪府の史跡・名勝に指定されている狭山池は、我が国最古の潅漑用のため池と言われることがあります。「古事記」や「日本書紀」にも記述がみられ、古くは行基や重源(ちょうげん、1120〜1206)により改修が行われ、江戸時代の初期には豊臣秀頼(1593〜1616) の命を受けた片桐且元(かたぎりかつもと、1556〜1615 )が大規模な改修工事を行うなど、多くの改修の記録が残されています。

 狭山池では、ダム化への改修工事が行われました。この工事に先立ち、大阪狭山市在住の考古学者末永雅雄博士の提唱により、大阪府土木部の協力のもとに、狭山池調査事務所を設立して文化財の調査が進められました。この調査により発掘された東樋(ひがしひ)の木製樋管(コウヤマキ)について、年輪年代測定法により伐採年代を測定したところ、616年との結果が得られました。これによって、狭山池の築造は7世紀前半とする説が、現在有力であるようです。(→日本のダム:狭山池(再)


狭山池ダム(撮影:Dam master)


 満濃池(香川県)も古い溜池として有名です。満濃池は、大宝年間(701〜703)に讃岐の国守道守朝臣が金倉川沿いの谷地の湧き水をせき止めて造ったといわれており、地元満濃町のホームページなど各種の資料にこの趣旨の記述が見られます。満濃町では、2001年は満濃池の築堤から数えて1300年となるとして、2001年の4月からほぼ3年にわたって「満濃池築堤1300年祭」が開催されました。(→日本のダム:満濃池(再)


満濃池(撮影:ふかちゃん)


 以降も日本各地で多数の溜池が作られましたが、近代技術を使った本格的なダムと呼べるものは、明治になって西欧近代技術が導入されるようになってからのことです。まず衛生面の要請から水道用のダムが建設され、次いで産業振興の要請から発電用のダムが建設されるようになりました。


 日本初の水道用のダムは、長崎市の本河内高部ダムです。明治24年に完成した堤高18.6mのゾーン型アースダムでした。水道の計画・設計には、当時のイギリスの水道計画・ダム貯水池計画の技術が導入されており、その後の多くの年の水道計画の礎となりました。このダムは現在再開発が進められていますが、今後も引き続き水道用として使われる計画です。(→日本のダム:本河内高部(再)


本河内高部ダム


 日本最初のコンクリートダムも水道用のダムで、神戸市の布引五本松ダムです。布引五本松ダムは水道用の重力式コンクリートダムで、明治33年に完成しました。英国人ウィリアム・バルトンの指導、設計は大阪市から招へいされた技師・佐野藤次郎です。阪神・淡路大震災にも耐え、改修を経て現在でも神戸市の水源として使用されています。(→日本のダム:布引五本松(元)


布引五本松ダム(撮影:池ちゃん)


 日本最初の発電用コンクリートダムは、栃木県の黒部ダムだと言われています。大正元年竣工の石張りのコンクリートダムで、その後改修されていますが、現在も発電に使われています。(→日本のダム:黒部
 大野ダム(山梨県)は、大調整池を形成する発電用アースダムで、大正3年竣工、堤高37.3mは当時日本一高いアースダムでした。(→日本のダム:大野


黒部ダム(栃木県)(撮影:Dam master)


大野ダム(山梨県)(撮影:Dam master)



 大正の後期には、長距離送電ができるようになり、中部山岳地帯で大規模に水力開発を行って、それを大都市地域に送電することが可能となりました。このため、大正末期から大容量水力発電が活発となりました。代表は、大井ダムを有した大井発電所でした。大井ダムは木曽川本川を締め切る堤高53.4mの重力式コンクリートダムで、「日本初の高さ50mを超えるダム」ともいわれます。(→日本のダム:大井

 昭和5年に完成した小牧ダム(富山県)は、当時東洋一のダムと言われた堤高79mの重力式コンクリートダムで、今日のような機械化施工技術で建設された最初の重力式コンクリートダムとも言われます。(→日本のダム:小牧


大井ダム(撮影:ToNo)


小牧ダム(撮影:夜雀)


 戦後の復興期には、電力需要の増大に答えることが重要課題でした。また技術的に見れば、アーチ構造を利用して堤体積を大幅に少なくすることができるアーチダムが建設されるようになりました。

 日本で初めてのアーチダムは、三成ダム(島根県)です。三成ダムは、昭和29年3月竣工の発電用ダムです。堤高が36m、堤頂長109.7mと小規模ですが、アーチダムの先駆けとなりました。(→日本のダム:三成
 本格的なアーチダムとしては、上椎葉ダム(宮崎県)があげられます。難工事を克服して昭和31年に竣工した堤高110mの大規模アーチダムです。(→日本のダム:上椎葉


三成ダム(撮影:安河内孝)


上椎葉ダム(撮影:灰エース)


 戦後復興期に建設された大規模な発電用ダムとしては、黒部ダム(富山県、堤高日本一、アーチダム)、佐久間ダム(重力式コンクリートダム)、田子倉ダム(重力式コンクリートダム)、奥只見ダム(重力式コンクリートダム)などがあります。(→日本のダム:黒部)(→日本のダム:佐久間(元))(→日本のダム:田子倉)(→日本のダム:奥只見


黒部ダム(撮影:安河内孝)


佐久間ダム(撮影:さんちゃん)


田子倉ダム(撮影:Kei)


奥只見ダム(撮影:安河内孝)


 一方、戦後のセメント不足の時期に、ロックフィルダムが建設されるようになりました。
 日本で最初のロックフィルダムは着手時期で見れば石淵ダムで、竣工時期で見れば小渕防災溜池です。(→日本のダム:石淵(元))(→日本のダム:小渕防災溜池


石淵ダム(撮影:安河内孝)


小渕防災溜池(撮影:艦長!)



その後、経済性の観点から、投入労働力が少なく機械化の度合いの高い施工方法が求められるようになり、大規模ロックフィルダムが建設されるようになりました。初期の頃の代表的な大規模ロックフィルダムとしては、御母衣ダム(岐阜県)があります。堤高131mの発電用大規模ロックフィルダムで、機械化施工を駆使して建設されました。(→日本のダム:御母衣


御母衣ダム(撮影:Dam master)


 1950年に国土総合開発法が、さらに1957年に特定多目的ダム法が制定され、戦後復興期から高度成長期にかけて、治水対策、電力増強、食糧増産を目指して、田瀬ダム、五十里ダム、永瀬ダム、横山ダム、天ヶ瀬ダム(京都府)、矢木沢ダム、下筌ダム、松原ダムなど、多くの多目的ダムが建設されました。(→日本のダム:田瀬)(→日本のダム:五十里)(→日本のダム:永瀬)(→日本のダム:横山(元))(→日本のダム:天ヶ瀬(元))(→日本のダム:矢木沢)(→日本のダム:下筌(元))(→日本のダム:松原(元)


田瀬ダム(撮影:Kei)


五十里ダム(撮影:Dam master)


永瀬ダム(撮影:さんちゃん)


横山ダム(撮影:さんちゃん)



天ヶ瀬ダム(撮影:安部塁)


矢木沢ダム(撮影:安河内孝)


下筌ダム


松原ダム


 高度経済成長期にも、大規模電力ダムは引き続き建設されました。高瀬ダム、手取川ダムなどです。(→日本のダム:高瀬)(→日本のダム:手取川


高瀬ダム(撮影:安河内孝)


手取川ダム(撮影:加藤敦)


タワークレーン (たわーくれーん)
 ジブクレーンの一種で、タワーを立てて、その頂部に腕(ジブ)がつく構造のクレーンです。
 ダム建設現場では、主にコンクリートダムコンクリートなどを運搬する設備の一つとしてタワークレーンが用いられます。
 走行式と固定式があり、走行式のものは、ダムに平行に敷いたレール上を動くことにより、広いエリアをカバーできます。
 固定式タワークレーンのうち、堤体ができあがるに従ってタワーを継ぎ足して、その高さを高くすることができるタイプのものをクライミングクレーンといいます。
 タワ−クレーンには、ジブが起伏するタイプとジブが水平に固定されていてそのジブの下に取り付けたレール上を吊り具が移動するタイプとがあります。前者は主に日本で普及しており、後者は外国のダム建設現場でよく用いられます。
(→知識を深める:建設機械コレクション(2)〜吊して運ぶ


14.5t−梶毛ダム


13.5t−苫田ダム


淡水赤潮 (たんすいあかしお)
水の華

湛水面積 (たんすいめんせき)
 ダムの貯水池にサーチャージ水位まで水が貯まったとき、その水面の面積をいいます。

湛水養生 (たんすいようじょう)
養生

断層 (だんそう)
 地下の地層や岩盤に力が加わって割れ、割れた面に沿ってずれ動いて食い違いが生じた状態をいいます。
 断層が動く現象を断層運動と呼び、地震の主原因であると考えられています。
 断層は、岩盤が割れてずれ動いたものですから、周辺の岩盤は大きな力で破砕され、岩石の破片の間に隙間が多い状態となっており、これを断層破砕帯と呼びます。岩石破片の隙間には大量の水を含み、地下水の通り道ともなります。掘削中のトンネルが断層破砕帯に当たると大量の水が噴出して工事が著しく妨げられます。

 断層に関連したいくつかの言葉の意味を以下に記します。

・震源断層
 地震を発生させた地下の断層を震源断層といいます。

・地震断層
 地震時に地表にずれをもたらした断層のこと。通常は震源断層の上端です。地表地震断層とも呼ばれます。

・活断層
 最近の地質時代に繰り返し活動し、将来も活動して大地震を起こすことが予測される断層のことです。最近の地質時代については、従来は第四紀(約200万年前以降)とするのが一般的でしたが、最近では第四紀後期(数10万年前以降)、あるいはさらに短い地質時代(5万年前以降、1万年前以降など)とすることも多くなっています。

断層破砕帯 (だんそうはさいたい)
断層

タンパ (たんぱ)
 本来は、突き棒、あるいは、突き固める人の意味ですが、土を締め固るための機械をこう呼びます。
 棒状の機械で、原動機の力によって底板を振動させ、これによって土を締め固めます。通常は手でささえて使う小型の機械ですが、自走車両に平板振動機を装備したタイプのものもあります。
また、空気圧によって土を締め固める手でささえて使うタイプのものもあり、エアタンパと呼ばれ、ダムの建設現場で見かけます。


小田股ダム




エアタンパ−金峰ダム


忠別ダム


灰塚ダム


タンピングローラ (たんぴんぐろーら)
 ロックフィルダムアースダムの土質材料を締固める目的で用いられる特殊なローラ。ドラムに8cm×22cm、高さ19cmの突起が無数に取り付けられており、ローラの重量をその突起を介して土に伝えることにより効果的に土を締固めることができます。
 タンピングローラは、粘性の高い材料に効果が高く、また踏み跡がでこぼこになるために次の層を撒き出す前に掻き起こす必要が無いといった特徴も持っています。
(→知識を深める:建設機械コレクション(3)〜締固める



コアの転圧−小田股ダム


徳山ダム(撮影:Dam master)


徳山ダム


徳山ダム


ダンプトラック (だんぷとらっく)
 荷台の代わりに強固な容器を取り付けたトラック。容器を油圧装置で傾けることができ、積み荷を重力によって容易に滑り降ろすことができます。最も広く利用されている運搬用機械で、骨材コンクリートなどの運搬に使用されます。
 公道上を走れるものとそうでないものがあり、区別するときには公道上を走れるものを普通ダンプトラック、そうでないものを重ダンプトラックと呼びます。ダンプトラックの大きさは最大積載量をトンで表し、普通ダンプトラックは最大11t積みまであり、重ダンプトラックは20tから190tを超えるものまであります。
 コンクリートダムでは10t〜25tクラスが、ロックフィルダムでは25t〜90tクラスのダンプトラックが用いられます。
(→知識を深める:建設機械コレクション(1)〜載せて運ぶ



普通ダンプトラック−灰塚ダム


普通ダンプトラック−益田川ダム



重ダンプトラック−南相木ダム


重ダンプトラック(90t)−徳山ダム(撮影:Dam master)


重ダンプトラック(90t)−徳山ダム(撮影:さんちゃん)


弾力的管理 (だんりょくてきかんり)
 ダムの特別な管理方法で、洪水調節機能のあるダムについて、洪水調節に支障を生じない範囲で、洪水調節容量の一部に貯水し、これを適切に放流することによってダム下流の河川環境の保全・改善を図るものです。放流方法としては、フラッシュ放流という方法があります。
 国土交通省では、平成9年度から11年度に直轄の7ダムで試行を実施し、平成12年度に弾力的管理試験を14ダムで開始し、17年度には24ダムで試験を実施しています。

地域に開かれたダム (ちいきにひらかれただむ)
 地域の創意工夫を活かすとともに、ダムを一層開放し、ダムが地元にとってより密着した施設となるよう、ダムの利活用を推進し、より地域の活性化を図ろうとする制度で、国土交通省が推進しています。平成4年からはじまり、平成13年度末で、全国42ダムが「地域に開かれたダム」に指定されました。

地球温暖化 (ちきゅうおんだんか)
 温室効果気体の人為的な排出により、大気中の温室効果気体が増加し、温室効果が強まることによって地球の平均気温が上昇することです。近年、地球温暖化が進行しているとされます。

治水安全度 (ちすいあんぜんど)
安全度

地中連続壁 (ちちゅうれんぞくへき)
 地中に連続した溝状の穴を掘削し、この中に鉄筋コンクリートなどを打設して連続した壁を築造すること。ダムでは、基礎地盤などの遮水のために通常グラウチングが用いられますが、条件によっては地中連続壁を築造することがあります。
 ダム建設現場で用いられる地中連続壁の工法には大きく分けて、直径60cm程度のコンクリート杭を並べる柱列杭工法と幅64cm程度横3m〜7.5mの壁を構築していく水平多軸工法があります。前者は地質が固かったり転石が多い時に用いられます。後者は砂質の層や転石が比較的少ない場合に用いられます。水平多軸工法は柱列杭工法に比べて継ぎ目が圧倒的に少ないので止水性に優れる特徴も持っています。(→日本のダム:地中連続壁

着岩部 (ちゃくがんぶ)
岩着部

中空重力式コンクリートダム (ちゅうくうじゅうりょくしきだむ)
ダムの種類

超過洪水 (ちょうかこうずい)
 河川の堤防やダムなどは想定された洪水を前提に計画されますが、その想定を超える洪水をいいます。
 想定を超えた洪水でもその程度が小さければ、堤防は持ちこたえ、ダムでは洪水調節効果が継続することも期待できます。しかし、大きく想定を超えたときは、堤防から水があふれたり、堤防が破壊したりし、ダムの洪水調節効果が発揮できなくなったりします。

跳水 (ちょうすい)
 急斜面からの流速の速い流れ(射流)が障害物や抵抗によって流速の遅い流れ(常流)になるとき、その境界面で渦を伴って水深の増加する現象をいいます。

直接流域 (ちょくせつりゅういき)
間接流域

貯砂ダム (ちょしゃだむ)
 ダムの堆砂を軽減するため、ダム上流に設けた上流からの土砂を貯留するためのダムのことをいいます。堆砂対策として建設されることがあります。(→日本のダム:堆砂・排砂)(→知識を深める:貯砂ダムが完成(下久保ダム)


湯田貯砂ダム−湯田ダム(撮影:Kei)


ツインヘッダ (ついんへっだ)
 油圧ショベルのアタッチメントとして、アームの先端に取り付ける切削器。油圧駆動の水平軸回転ドラムカッター。岩面切削などに使われます。(→知識を深める:建設機械コレクション(7)〜砕く・削る

通廊 (つうろう)
監査廊

付替道路 (つけかえどうろ)
→付け替え道路

付替道路 (つけかえどうろ)
 ダム建設に伴って、道路が水没することがありますが、その道路が国道、都道府県道のように水没地域を越えて利用される道路の場合は、新しくそれに替わる道路が建設されます。これを付替道路と呼びます。貯水池の岸を通ることがよくあり、山間部のダムではトンネルや橋も多く見られます。付替道路は公共補償の一環として建設されるのが一般的です。


付替道路の開通式−灰塚ダム


堤外地 (ていがいち)
堤内地、堤外地

堤高 (ていこう)
 基礎地盤から堤頂までの高さのことで、ダムの高さを示します。ダムによっては地下に隠れている堤体部分が相当あって、外からながめた見かけ上の高さよりも堤高がだいぶ大きいこともあります。

堤趾導流壁 (ていしどうりゅうへき)
導流壁

低水管理 (ていすいかんり)
 渇水時においても必要な河川水の利用ができるよう、河川水を管理すること。河川の流量の長期的な予測、流量の観測、利水者の取水量の監視などを行います。

低水流量 (ていすいりゅうりょう)
 1年のうち275日はこの流量を下回らない流量。河川の流況を示すための指標の一つです。

低層曝気装置 (ていそうばっきそうち)
曝気

堤体 (ていたい)
 ダムまたは堤防の本体。

堤体導流壁 (ていたいどうりゅうへき)
導流壁

堤頂長 (ていちょうちょう)
 ダムの堤頂の長さです。フィルダムの場合、洪水吐コンクリートの部分は堤頂長に含めません。

堤内地、堤外地 (ていないち、ていがいち)
 堤防によって洪水氾濫から守られている住居や農地のある側を「堤内地」、堤防に挟まれて水が流れている側を「堤外地」と呼びます。昔、日本の低平地では、輪中堤によって洪水という外敵から守られているという感覚があったため、自分の住んでいるところを堤防の内側と考えていたといわれています。

デッドウォーター (でっどうぉーたー)
死水

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