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2 徳山村の帰属案

 消滅する徳山村の帰属をどのように考えたらよいか、いくつかの案があった。当時十分に吟味されたものではないが、その帰結を述べておこう。

ア 国の直轄地

 旧徳山村の区域を市町村に属させないまま国が直接に統治する方法である。国の必要によって村が消滅するのだから、その区域の行政は国が直接に責任を負うことができないかという考え方であり、編入先の行政負担の問題を回避することができる。
 だが、大きく二つの障害がある。第一は、「地方自治の本旨」に反するのではないかという疑義、第二は、地方自治体の事務を国が執行することの是非である。
 まず、日本国憲法は、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」(第92条)と規定し、地方自治の本旨を前提にしている。そして地方自治の本旨とは、(@)地域のことは、地方公共団体が自主性・自立性をもって、自らの判断と責任の下に地域の実情に沿った行政を行っていくこと(団体自治)、(A)住民自らが自らの地域のことを考え、自らの手で治めていくこと(住民自治)であるとされる。国の直轄地の存在は、この規定に照らして憲法違反ではないかということだ。
 旧徳山村は無住地ではあっても地域の実態は残るのであり、その地域が地方公共団体に属さないとすれば、そこでは団体自治や住民自治を実施することが不可能となる。また憲法上、地方公共団体に属さないままで自治の本旨を実現することは予定されていないとも考えられる。自治の本旨は、地方公共団体を組織し、運営することなくしては実現しないという考え方である(注4)。
 もっとも、立法によってこの問題を回避する方法がないではない。市町村に属さないまま自治を保障するしくみを創設するのである。たとえば、特別区(東京23区)は、首都という地域の特殊性に即した行政体制を実現するため、市町村に属さない自治組織とされている(地方自治法第281条)。だが、旧徳山村について人口がゼロの極めて特別な自治体を組織する法益はなきに等しい。
もう一つの問題は、法令によって地方公共団体が処理すべきとされている事務を、国が直接に処理することの是非である。自治の本旨を実現するうえで重要なのは、地方自治に対する国の関与を制限することである。地方自治法は、国の関与に関して「必要な最小限度のものとするとともに、普通地方公共団体の自主性及び自立性に配慮しなければならない」としている(同法第245条の3第1項)。 さらに、国が地方公共団体に代わってその事務を処理することを厳しく制限し、法令違反や事務処理の怠慢の際にその是正のために行う場合に限定している。
 このような諸規定に照らせば、自治体の事務を直接国が処理することは、行政原則の大きな例外を認めることとなる。たとえば、旧徳山村の土地に関して、土地利用規制、課税、旧市町村道の管理、森林行政等々の事務を国が直接に処理することにどれだけの合理性や必然性があるのだろうか。
 結局、立法措置が必要であるがその合理性、緊急性に乏しいこと、また、立法措置そのものが地方自治の本旨に反しないか等々の法制的な議論があり、それに耐え得るかどうか疑問であることなどから、旧徳山村を国の直轄地とする案は消え去ったのである。

イ 無住地のまま旧市町村が存続

 住民がゼロであっても市町村を存続できないかという考えがあり得る。その例は、北方領土(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)である。北方領土は終戦時には7村が置かれ、一万七千人あまりが常住していた。終戦後は日本が実効的に統治する地域ではなくなり、公式な常住人口はゼロである。(現在、多数のロシア人等が居住している事実を忘れてはならない。)だが、法制上、旧村はいまなお存続しているとされている。
 さて、この地域の行政事務はどのように処理されているのであろうか。まず、根室市に編入された歯舞群島以外の地域は、形式的には旧6村に属したままとされるが、日本国籍の住民は皆無であるから、議会をはじめとした行政組織は存在しない。実効支配が及んでいないから、行政事務として必要なのは戸籍事務(住民基本台帳の管理に関連する事務を含む)のみである。そこで、これらの事務を隣接地域の市又は町の長のうちから指名された者が管掌・管理するという特別の立法措置がとられている(北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律)。
 一方、旧6村の事務を管掌・管理することとなる隣接地域については、地域振興のための計画が作成され、それに基づく事業に対して国の助成等が措置されるなど、隣接地域の置かれた立場への配慮が図られている。
実態としては、北方領土への訪問は、旧住民であっても、内閣府・外務省の管理のもと、旅券・査証を伴わない特別の方法によらなければならないとされている。つまり、北方領土は現実には国の管理のもとにはなく、従って、旧住民の居住や産業活動は不可能でもあり、市町村を構成し、団体を自治的に運営するための基盤を失っている。いわば形式的に市町村が存続するのみであって、地方自治の本旨等々を議論する意味は無い。
 法制的には、自治機能が一時的に停止していると考えてよい。実際、北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律では、その附則で、「この法律は、北方地域が返還された日の属する年度の三月三十一日に、その効力を失う。」とされている。領土返還とともに旧村の行政能力が復活するということであろう。
 いずれにせよこの例は、実効的な支配が不可能な、しかし形式的には領土として統治する必要があるという特別な地域に関する取り扱いの例であり、徳山村の帰属を考えるうえで参考とはならない。

ウ 県の直轄地 
 岐阜県が直接に統治する案である。これについては、地方自治法は、市町村(又は特別区)のみを基礎的な自治組織としていること、また、都道府県に属するのみで団体自治や住民自治を全うすることが可能かどうかという憲法上の疑義もあることから、国の直轄地案と類似した議論がある。さらには、徳山ダムの建設により受益するのは岐阜県だけではないから、特別の措置を講じるにしても、岐阜県のみが特別の負担を負うことの妥当性についても吟味が必要である。
 国の直轄地と同様の法制的な難点を伴うだけでなく、現実的な困難を伴う案であり、実現性に乏しいと言わざるを得ない。


ありし日の上開田地区
エ 岐阜市等への帰属

 徳山村の広域的な生活圏は、岐阜市又は大垣市を中心とした経済圏に属する。岐阜市は人口約40万人、大垣市は人口約15万人であり、徳山村に最も近い市である。また、住民へのアンケート調査等によると、岐阜市を中心とした広域的なエリアへの移転希望者が多い。
 そこで、広域的な経済圏域の中心都市である岐阜市(又は大垣市)への合併が議論となった。
 この案には、地方自治の本旨に照らした疑義等々の法制的な障害は無い。現実の妥当性のみが問題である。
さて、岐阜市も大垣市も、徳山村に隣接していない。道路交通をみると、岐阜市へは4乃至5町村、大垣市へは4町村を通過しないと連絡できない。そのような遠隔地に対して果たして十分な行政サービスを提供することができるか、また、極端な飛び地の合併は行政効率の観点から合理的と言えるのか、さらには、岐阜市又は大垣市が合併を受け入れる意思があるかどうか、いずれも疑問である。行政負担の観点からは、岐阜市は事業による受益を伴わず、大垣市は受益地ではあるが受益する市町村は県外を含めて数多い。単に公共団体として規模が大きいということだけをもってしては、行政負担を引き受ける妥当性に乏しいであろう。
 将来の広域行政化を見とおして先行的に合併するという考えも無いではないが、当時、岐阜市や大垣市を中心とした広域合併の機運はまったくなかった。また、北九州市、いわき市など広域行政化が進められた事例をみても、将来を見越した一部地域の先行的な合併という考え方は取られていない。
 もっとも、飛び地が生じることについては、全国には飛び地を持つ市町村は多いから、それをもって不適当とは言い難い。特に、三重県と奈良県の県境にある和歌山県熊野川町の飛び地は、県境を越えた飛び地として有名である。だが、熊野川町の飛び地を含めて、そのほとんどは歴史的なつながりを重んじた結果であり、しかも距離的に一体的な行政を確保できる範囲のものである。飛び地の存在は、それぞれ地域的な一体性や生活圏に照らして十分な合理性を帯びているのが通例で、徳山村と岐阜市(又は大垣市)のような関係にある飛び地は皆無である。
 ただし、飛び地は歴史的、政治的な経緯を孕んだ地理的な現象であり、団体自治、住民自治の結果であるかどうかについては十分な吟味を要することに注意しなければならない(注5)。蛇足であるが付言しておく。
このように、岐阜市(又は大垣市)との合併は、現実的な障害が多く、(私の知る限り)岐阜市や大垣市の意見を聴くこともなく、アイデアという以上の進展はなかった。


(注4) 国土が総て明確に市町村に属しているわけではない。領海内の海面下の土地は国の領土であるが、その市町村への帰属は不明である。だが、地方自治法では、公有水面に係る市町村の境界の変更や確定に関して規定があり(同法第九条の三及び第九条の四)、水面下の土地についても潜在的には地方自治の対象であるという立法意思が推察される。また、新たな土地を生じたときには、その土地が属する地方公共団体が速やかに確定されるべきとされており、実効的に支配される土地は例外なく市町村に属する原則が貫かれている。

(注5) たとえば、和歌山県北山村は、全村が和歌山県の飛び地である。北山村は、当時の交通手段が河川交通であり、その住民の大部分が筏師で材木の輸送等を通じて新宮と地域的に強固な関係にあったことから、廃藩置県に際して新宮市と同じ県に属することを希望したからだとされる。一方、熊野川町の飛び地を含めて、廃藩置県当時の和歌山県と渡会県(現三重県の一部)との県境確定については紛争があったという記録も残っている。市町村の境界確定には、地縁、血縁のつながり、経済的な関係、交通条件や政治情況など、多面的で複雑な要素が影響するのは、現在進行中の広域市町村合併においても同様である。


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