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夜の電気で、昼、快適に!

                     東京電力(株)顧問 いばらき大使
                               仲 津 真 治
人類が電気を灯りとして使うようになって、百三十年ほどになりますが、夜は暗く、昼は明るいのですから、当然、電気を使うのは夜の方が断然多かった分けです。実際、私が子供の頃、親から、「昔は昼、電気を付けていると怒られた。」という話を聞きました。戦前のことです。また、「電球は切れたら、それを証拠に持って行って、それと交換で、初めて代わりの電球が購入できた」とも聞きました。今生きている世代では、この時代を体験している人は少なくなったようですが、語りつがれるべき体験でしょう。世界的に有名になった日本語の「もったいない」の精神が生きていますね。

電気需要の昼夜逆転

ところが、経済社会が発展するにつれ、電気の需要が伸び、これに応えて電力の供給が増大して参りますと、様相がすっかり変わって参りました。そして、遂に、この国では、昭和39年(1964)頃、ちょうど東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された頃でしたが、電気を使う量が昼夜逆転したと申します。昼の電気使用量が夜を上回るようになったのです。

その主たる原因は、冷房の普及でした。オフィスや工場で執務や作業の快適さを保つため、クーラーがどんどん使われるようになりました。冷房は暖房よりも電気を食います。かくして、電気は昼の方が多く使われるようになったのです。近年は、冷暖房を一緒にしたエアコンが一般化し、家庭でも常用されるようになってきて、電気使用量の昼夜の比率は、2対1まで拡大しています。

でも電気は貯めておくことは出来ませんから、需要のピークに合わせて供給しないと、停電が起き、大変困ったことになります。今日の発達した社会と経済では、停電による混乱は、極めて深刻なものとなり、外国では実証されているところです。

そこで、最大のピークの需要にも応えられるよう、発電する分けです。良く知られているように、真夏の極めて暑い日に甲子園の高校野球が開かれている時が、最大のピークを迎えるようです。しかし、このようなピークに合わせて、電力の設備を揃えると、ピーク時以外、とりわけ、夜間に使用されない設備がたくさん出て、はなはだ不経済なこと、つまり、大きな無駄が生じます。そこで、考え出されたのが、今回の主テーマである揚水発電所です。

揚水発電所

私は河川に縁のある仕事をしていた御縁で、「ようすい発電所」と言えば、その漢字が思い浮かびますが、ためしに、最近、家族に聞いてみました。すると、「用水」でしょうと言う答えが返ってきました。これが普通の反応でしょうね。でも、この場合は、用水でなく、揚水なのです。

揚水発電とは、夜の余力有る電気を使って、水を高いところに揚げておき、昼の需要が大きくなるときに、その水を低いところへ落とし、発電すると言う仕組みです。従って、そのままでは貯蔵できないが、高所の水という形に変えて、電気を蓄えておく仕組みと言ってもよいでしょう。なかなか、良く考えられた方法です。

この場合、水が有って、かつ高所と低所に、それぞれ、その水を蓄えられるスペースが必要なので、河川にダムが作られるのです。いろんな言い方がありますが、ここでは、上部調整池と下部調整池と言う呼び方をしましょう。この間を水が行ったり来たりします。そして、この間の落差を利用した地点に、発電所がつくられます。

このとき、水を揚げるのに必要な電気と、水を落として発電して得られる電気の比率は、最近聞いた数値ですが、1.18対1とのことでした。水力発電は極めて効率が良いことがこれで分かりますが、ただ、それでも若干の電気のロスが生じています。しかし、ピークに合わせた電力設備をつくり、ピーク時以外はそれを遊ばせてしまうより、ずっと無駄が少ないのです。

日本初の揚水発電は季節間でした

ところで、揚水発電の歴史を、職場で教えてもらいますと、この国で最初の揚水発電所は、野尻湖(長野県)と池尻川との間でつくられたのことです。それは、関川水系の既設発電所の水がたっぷりある豊水期に、余った電力を使って関川本流の水を野尻湖に揚げ、冬の渇水期に発電するというもので、昼夜間でなく、夏冬間で行われたものです。昭和9年につくられ、現東北電力の管内に在ります。それは、往時、先進諸国を視察した折り、ドイツのルール川沿いで見たハーゲン揚水発電所の方式にヒントを得たと申します。

神流川の揚水発電所

大きくなってきた昼夜間の電気需要の差に対処するため、揚水式の発電所が、近年、各地につくられるようになりました。東京電力の管内でも、もとよりそうです。その中で、このほど、神流川に建設中の揚水発電所を見学に行ってまいりました。厳冬期にはいりつつありますが、現地に入れました。

さて、神流川は、「かんながわ」と読み、利根川の一支川で、埼玉県に近い群馬県の南西部を流れ、最上流部は上野村と言い、昭和60年の日航機の事故で有名になった御巣鷹山が在るところです。あの事故で亡くなった方が、私の知人におりますので、この機会に、その慰霊の園を訪れ、御冥福をお祈りして参りました。

この発電所の凄いところが幾つかありますが、まず、下部の調整池を、群馬県側の利根川水系の神流川につくる一方、落差を得る上部の調整池を、上信のくに境を越えた長野県側の信濃川水系の千曲川の上流の南相木川(みなみあいきがわ)に設けていることです。県境を越えて、水系の異なる箇所に二つのダムをつくり、水を往復させるとは、大変なアイデアで、それだけ、調節池の適地の確保に智恵を絞ったと言うことでしょう。両ダムとも用地は山林のみで、水没家屋が無かったと言うことでも、凄い適地と申せましょう。

両調整池の大きさは大体似ていますが、特に有効貯水量は1,267万立方メートルと、ぴったり同じです。当然のことですが、最大、これだけの水が昼夜往復するわけです。

でも、県境を越えての水の移動は、容易なことではありません。水争いは根が深く、古来絶えないものです。このケースでは、南相木ダムの調整池にたまる水は全部群馬県側から、やってきます。この調整池に自然に流れ込む水は、その周囲できれいに受け止められ、水路を通ってダムの下流に流れて行くようになっていて、群馬県側での発電には混じりません。発電水利権の対象となる水は、あくまで、群馬県側、利根川水系のものなのです。

南相木ダム

上野ダム
白銀の山々に囲まれたダム

他方、神流川に出来た下部調整池は、発電に必要な水が貯まったら、それ以上の水が流れ込まないように、水廻し水路をつくって、ダムの下流に落ちていくようになっています。環境への配慮始め、実にきめの細かい対応が行われています。
ダム建設でつくられた道や良くなった道を通りながら、この下部の「上野ダム」に行きました。着いた夜に、寒波が一段と厳しくなり、盛んに雪を降らしたようでした。翌日、辺り一面の雪景は美しく、凍てつくようなダムの最上部での寒さを忘れる程でした。既に満々と水が貯まり、白銀の山々に囲まれ、きらきらと水面が輝いていました。

一方、当初の予定では、長野県側の上部調整池(南相木ダム)にも行くことになっていましたが、降雪ゆえ、それは叶わないことになりました。

山中地下の巨大な発電所

他方、二つの調整池の間の、真ん中よりやや下流よりに、発電所がつくられつつあります。有効落差653メートもある所に、十五階建てのビルが入りそうな巨大な空洞が掘られ、そこに、水力発電所が段々と出来ていきます。位置は、御巣鷹山の真下より少し北になりますか、その地下です。外界と違い、気温18度の温かい空間でした。

上部ダムの取水口から大きな導水路が掘られ、途中から傾斜の大きな水圧鉄管に変わりますが、発電開始となれば、水はそこを一挙に流下し、水車を回します。そして、放水路を通って下部の調整池に貯まっていきます。 ここで、一台47万キロワットの発電機が全部出来上がれば六台が揃うこととなり、最大出力は282万キロワット(47万×6台)に達します。まずは、1号機が据え付けられており、2号機も機材や装置が運び込まれていますが、今後、順次、需要動向を見て、取り掛かっていくことになるようです。

それにしても、この発電所の大きさに驚かされます。「石原裕次郎と三船敏郎」で紹介したように、黒四の発電能力は最大25万8千キロワットとのことですから、通常の水力と揚水式の違いはあれ、神流川は、発電機一台で、黒四の二倍近くある分けです。圧倒されますね。以前と異なり、火力も水力も、巨大な電力供給を可能とする時代になっている分けで、それだけ、経済や社会が大きくなり、電気の需要があると言うことなのでしょう。

揚水式のみそ

さて、水が流下することによる発電が行われ、昼間の大きな電気需要を満たすとして、夜の揚水の方はどうするのでしょう。ここが、揚水発電所の「みそ」で、同じ発電機が今度はモーターに早変わり、下部の調整池に貯まった水を、放水路、水圧鉄管、導水路の順に逆送し、揚げて、上部調整池に戻し、翌日の発電に備えます。揚水は流下よりは、やはり時間がかかり、通例、7時間の発電に対し、11時間の揚水ということでした。

発電のときは、フレミングの右手の法則が働いて、磁場に水車の回転が入って電気が起き、揚水の時は、フレミングの左手の法則が働いて、磁場に電気を流すと、水車が逆回転してモーターとなり、水を逆送させて行くのです。実に、うまく出来ていますね。揚水に、発電とは別の装置が必要となると、甚だしく効率が悪くなり、経済的に成り立たないかもしれません。自然が、実にうまく出来ていて、人間が、それを巧みに活かしていると言うことなのでしょう。

ちなみに、発電が終わった後の水は、放水路を通って、下部調整池に行くのですが、この放水路は少し昇っていくようになっています。水車を通った水の勢いで、昇りが可能なのですが、揚水の時は、この昇りが下りに変わるわけです。これは結果として、その分、揚水が円滑に行われやすいことになりますが、このようにする、本当の理由は、専門的になるようですが、揚水のときに地下の発電所の水車の性能を確保するため、一定の深さによる水圧がかかる必要があるからとのことです。でないと、高速で回る水車に、圧力の変化で水自体が気化して気泡が発生し、これが水車を痛め、効率を落とし、維持費用の増加を招くと言うのです。これを防ぐため、発電所の水車は下部調整池よりも低くつくられ、水の圧力がかかるようになっていると言うわけです。

水圧鉄管は48度の傾斜

発電機に一気に水が落ち、水車を回すため、水圧鉄管はきつい傾斜をもってつくられますが、神流川の場合は、諸種の条件を勘案して48度となったそうです。間もなく次の工事が始まるようで、その48度の傾斜で、トンネルを掘っていく所に案内されたとき、その傾きの強烈さには、度肝を抜かれました。既に一度使った最新鋭のトンネルボーリングマシーン(TMB)を一旦外へ取り出して、再使用するとのことです。一機40億円もするTMBは、工夫して二回使うことにより、経済性を発揮できると言うのです。そして、そのTMBは、これから、堀上がっていくトンネルの入り口に、48度の傾斜で既に据え付けられていました。

ちなみに、二つのダム、一つの発電所、導水路、水圧鉄管、放水路などを本体とし、諸水路、関連道路、環境対策など諸々の事業から成る、この大プロジェクトは、全体で五千億円の巨費を要し、これまでで三千七百億円を投資したと申します。それは、大ダム一つ:一千億円と言った時代より、はるかに大きな金額の投資を要するようになったと言うことでしょう。また、経済や社会を円滑に動かしていくためには、そうした投資が必要であると言うことも、良く認識されて然るべきと思います。

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(平成18年1月作成)
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