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終戦後の建設業界と建設業法

 戦後の大型ダム建設の主力となる建設業界の「夜明け」から話を始める。ダム建設の戦後史を支えたのは、「現場代理人」とも呼ばれる民間企業すなわち建設業界であることは紛れもない事実である。建設業は、戦前は商工省(経済産業省前身)化学局、しかも無機課が所管していた。(拙書『大地の鼓動を聞く―建設省50年の軌跡―』(鹿島出版会)から一部引用する)。

 今日から見ると不思議に思えるが、建設業がセメントを大量に使用するからとの理由だった。当時は建設業を保護・監督する法律すらなかった。敗戦後の建設業界は、戦災復興の掛け声に便乗して施工能力、資本力、社会的信用の欠ける業者が先を競うように生まれた。職探しをする男たちは余るほどいても、資金・資材が不足するという劣悪な条件下で、ダンピング受注、手抜き工事、一括下請けなどの反社会的行為が半ば公然と行われた。敗戦国の貧しく暗い世相を反映したものだった。

 国土復興の推進役となる建設業界の信用失墜につながる一連の行為は、政府や業界関係者に対して建設業界に適用する体系的な法律の制定を急がなければならないとの判断に傾かせた。この要求は建設省設置運動と連動して大きな政治的うねりとなった。その結果、主務官庁は商工省から戦災復興院に移され、その後建設院から建設省に引き継がれ、国土交通省となった。建設業法は建設省発足の翌昭和24年5月24日に制定された。

 同法は、建設業者の登録制(47年から許可制)を初めて採用し、請負契約が適正に行われるように契約内容の原則を明示し、同時に悪質業者の取締規定を設けたことに特徴があった。業界に対する規制と健全な発展の促進が新法律の基底に一体となって存在している。同法制定は、業界の社会的位置づけを確固たるものにし、戦後復興の一翼をになう業界の「夜明け」を告げるものであった。

 ここでダム建設とも関係の深い上下水道整備について、政府部内の対立を記しておきたい。空襲にさらされた都会での漏水のひどい上下水道の早期復旧と整備は、国民の暮らしに直結するだけに緊急課題だった。水道行政は担当する官庁をめぐって戦前から内務省(後に建設省を経て国土交通省)と厚生省(現厚生労働省)との間で、激しい確執が続いた。水質保全を前面に打ち出す厚生省に対して、建設技術の優先をたてにとり上下水道一元化を迫る建設省。

 建設省は、23年の大震災直後の福井市が下水道事業を計画通り完成させたことを高く評価して、上下水道の行政一元化をあらためて強力に主張した。「上下水道を確実に、早く、無駄な経費を費やすことなく整備を進めるためには建設省に一元化しなければならない」。両省の「綱引き」の結果は一元化には程遠い「政治決着」となり、建設省内に大きな不満を残すことになった。上水道は厚生省所管のままとなった。昭和32年のことである。


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