コンクリートダム:1960年代から1970年代前半
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昭和34年(1959)フランスのコンクリートアーチ式マルパッセ(Malpasset)ダムが決壊し、濁流が数千人の命を飲み込んだ。この大事故は基礎岩盤の欠陥がダムの安全性に関わっていることを改めて知らせた。この頃、日本でも黒部川の黒部ダム(堤体高186メートル、完成39年、関西電力、映画「黒部の太陽」で知られる)、利根川支流の川俣ダム(堤体高117メートル、完成41年、旧建設省)、信濃川の奈川渡ダム(堤体高155メートル、完成44年、東京電力)などの大規模ダムが計画されていた。事態を重視した旧建設省土木研究所や(財)電力中央研究所では、岩盤について実験・研究を精力的に進め原位置岩盤の試験法を開発した。同時に土木研究所は基礎岩盤の力学的安定性を向上させる新アーチダム型式として放物線アーチダムを開発し矢作川の矢作ダム(堤体高100メートル、完成45年、旧建設省)に初導入した。
一方、重力式ダムでも基礎岩盤の安全性を確保するために堤体を増厚する設計法が開発されて、吉野川の早明浦(ルビさめうら)ダム(堤体高106メートル、52年完成、旧水資源開発公団)に採用された。これらの研究や技術開発によってダム設計技術の体系化が進み、32年に世界大ダム会議日本国内委員会で「ダム設計基準」が策定された。44年日本大ダム会議では「改定・ダム設計基準」が定められた。さらには51年には国が定める技術基準・「河川管理施設等構造令」が制定された。
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