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1.庄川のすがた

・庄川の流れ

 岐阜から国道 156号線沿いに、上流に向かって長良川を約90kmさかのぼると、大日ケ岳(標高1705m)から流れだし、庄川と長良川の分水嶺となる郡上市高鷲町蛭ケ野峠(標高875m)にたどり着く。この峠を下ると庄川の上流域岐阜県荘川村(現・高山市)である。もう一つの庄川の源流は烏帽子岳(標高1625m)に発し、荘川村、飛騨高原を流れ、尾上郷川、大白川などを合わせ、御母衣ダムに入り、さらに、 156号線を下り、世界遺産合掌造りの集落白川郷(白川村)を流れ、富山県上平村五箇山に至る。五箇山は赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の五つの谷間の総称で、庄川峡で知られる断崖絶壁の景勝地をなしている。

 さらに庄川は平村を過ぎ、祖山ダムを流れ右岸から利賀川を合わせ、小牧ダムに入り、このダムから3km程下ると、農業用水を配水する庄川合口ダムに達し、さらに庄川町より下流は西を流れる小矢部川に向かって、穀倉地帯の栃波平野を占める扇状地に出て、高岡市を中心とする下流一帯の工業地帯と新湊市の間を流れ富山湾に注ぐ、流路延長 133km、流域面積1180km2である。

 庄川流域の山地面積は93%を占める。流域は北陸特有の豪雪地帯で年間降水量は、上流山間部で約3300mm、下流平野部で2300mmで、最も多雨地帯は白山の東麓地域となっている。

・庄川の用水開発

 庄川の用水は古くから開発されており、明暦元年(1655)の用水利用は坪野口、岩屋口、六ケ村口、野尻口、中村口、若林口、新又口、千保口西筋、千保口末筋、中日川筋11村に及んでいる。さらに寛文三年(1663)庄川東側の芹谷野用水開削により、24村が成立した。

 近世の庄川の利用は、上流飛騨・五箇山からの材木の川下げであり、流木は高岡や加賀城下へ運送され、まさしく、庄川は川の道であった。また水力発電の好適地として開発され、昭和初期から上流の御母衣ダムから下流の庄川合口ダムまで、現在その数は17基に及ぶ。大正末期から電力会社による祖山ダム、小牧ダムの建設を巡って、川下げを行う木材会社との争いとなり、後述する「庄川流木事件」がおこった。


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