3.愛媛県の水害
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主なる水害を追ってみると、昭和18年7月の大水害では死者、行方不明者 134人、昭和20年枕崎台風死者、行方不明者 182人に及んだ。昭和31年、32年、33年、34年(伊勢湾台風)、35年、37年、39年と毎年のように水害に見舞われた。近年では昭和50年台風5号、昭和51年台風17号東予地区の被害、平成7年7月の梅雨前線豪雨による肱川流域(大洲市)の浸水家屋約 900戸にのぼった。平成16年8月台風15号集中豪雨で新居浜市、四国中央市で死者4人、床上浸水 470棟、床下浸水96棟などの被害を生じた。 昭和18年7月24日の大洪水の惨事について、国交省山鳥坂ダム工事事務所編・発行『肱川の治水』(平成17年)からそのまま引用する。
舟が電線上うかぶところもあれば、激流のために網を張って繰る者もあり、天井にもいられなくて屋根上にでて救を求める者もある。十数頭の乳牛の足かきおぼれるあれば、ゆらぐ急流中に運を天にまかして籠城して水位を見つめる者もあり……水位二五尺、肱川本支川くまなく氾濫決潰して山津波となり流域は泥海と化す 大洲盆地が見渡す限りの泥海であったという、死傷者 131人、流失家屋 554戸、全壊家屋396戸、田畑の流失と埋没が1627町、堤防決壊と破損59箇所などにおよんだ。この大水害を契機に、昭和19年内務省中国四国出張所肱川工事事務所(のちの大洲工事事務所)が開設され、肱川の本格的な改修が始まった。
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