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(3) 只見川紀行 
 野の佛の愛好者である若杉慧著「ダムと石佛」(毎日新聞社・昭和39年)は、只見川、黒又川、檜枝岐川と新潟県、福島県にまたがる奥只見ダム、田子倉ダムを回った紀行文である。石佛めぐりに出かけた旅がダムめぐりの結果になったという。

 奥只見、田子倉ダムを背景とした三島由紀夫の小説がある。その小説「沈める滝」(中央公論社・昭和30年)は、青年ダム設計技師城所昇と人妻顕子との愛の破局を描いているが、この紀行文のなかに「沈める滝」の描写を引用しながら、奥只見ダム、田子倉ダムを巡っている。

 一方、石佛愛好者である若杉慧は、ダム沿いの地蔵石佛や馬頭観音石塔にもふれており、宗教的な雰囲気をかもし出す。


「ダムと石佛」
 ダム工事担当者と若杉との次のような会話に興味を引かれた。
 「祓えたまえ、清めたまえをやるのですか?」
 「それは工事を始めるときにやります」
 「いまでも?」
 「いまでもやります。奥只見のときは新潟の位のある神主さんが見えました。それに定礎を打ち込むときは頭髪や爪を入れたり……」

 なぜ、定礎式には頭髪や爪を入れるのであろうか。あらゆるダムは様々なことがらを水没させて完成する。そこには、宗教的な儀式が必要となるのであろう。

 最後に、若杉慧は、「あなたがたは『華厳の滝』の言葉の源をご存じであろうか。あれは華厳経からきたもので『因位ノ万行ハ華ノ如シ』つまり森羅万象がそのあるべきすがたにおいてこの世を『華のように厳かざる』という意味である。ダムというダムが因位万斛の水を讃え、その時代時代において『華厳』の役割を果たしながら、はるかの世まで生き遺ることを祈る」と結んでいる。

 その他に、ダムの紀行については、冨田弘平著「ダム湖の見える旅」(ダイヤモンド社・昭和39年)の書もある。

(4) 湖水文化の散策
 風土工学の提唱者である竹林征三は、水辺(ウォーターフロント)を海洋に面する水辺、川の流れに面する水辺、湖沼に面する水辺の3つに分類し、島国であり河状係数のきわめて大きなわが国では古くより溜池やダムが造られてきたが、これらの人工の湖水のもつ文化的な価値にスポットを当て、ダム名やダム湖などの人工創作地名をもつダムの資産価値を高く評価しなければならないと主張する。

 竹林征三著「湖水文化史シリーズ第1巻 わが町の宝・湖水と花」(山海堂・平成8年)によれば、信州蓼科高原の近くの「白樺湖」、「女神湖」、「蓼科湖」という美しいイメージの湖名があるが、元々「池の平温水溜池」、「赤沼温水溜池」など農業用溜池でアースダムで造られたものである。それが現在、美しい湖沼名に変わり、農業用溜池の面影が消え、天然の湖沼のようでもあり、しかも名称によって一大観光ゾーンになった。このように湖水のネーミングは重要であり、ネーミングによる地域おこしは最大のチャンスであるという。さらに湖水の町の歌謡曲にも触れ、ダム湖のイベント、山形県長井市のアヤメサミットなど花と湖水による村おこしを論ずる。

 同著「湖水文化史シリーズ第2巻 湖畔の散歩道」(山海堂・平成8年)は、景勝地命名にかける心として相模湖八景や東条湖八景、文学の散歩道として佐藤春夫と「仙禄湖」、有馬生馬と「琅鶴湖」、乙女のめぐりあいの散歩道として子撫川ダムの女神像と歌碑や田沢湖の「辰子姫」などを描き出す。メルヘンの町づくりの小矢部・子撫川ダムにおける紺碧の像、水辺の像、人魚の像、泉陽の像、湖畔の像、永遠の像、朔望の像、清風の像、山峡の像(スリービーナス)、聖眸の像、生誕の像の12女神は瑞々しさあふれる清純な女性美を湖畔に飾っている。それは女神と同様に水の神を象徴しているようだ。

 著者は、相模八景など命名することは湖周の景観に付加価値を与え、また石碑に刻し残すということは末永く後世に間違いなく正確に命名の由来とそれへの熱い想いをつたえることになるからであると強調する。

 同著「湖水の文化史シリーズ第3巻 湖畔に刻まれた歴史」(山海堂・平成8年)では、ダム築造の心を今に伝える湖水の守り神として、満濃池の弘法大師をはじめ、烏山頭ダムの八田與一、賎母ダム、大井ダム、笠置ダムの築造に尽力した「日本の電力王」福沢桃介、丸山ダム、佐久間ダム、井川ダムなどの建設者「日本のダム王」神部満之助などの塑像を歩き、湖水文化を追求する。さらにダム工事における儀式、ダム築造と祭り、ダム築造犠牲者の慰霊塔、ダム築造の労働歌、踊り、歌舞伎の調査をし、湖水に展開する文化史を捉えている。

 著者は、土木施設そのものは、ずばり有形の資産価値をもつものである。これに対して、ダム築造物に後世に伝えたいものを、儀式や祭りや踊りなどの方法で残しているものは無形の土木資産と称する。これらの無形土木資産には有形な土木施設そのものの機能や効能等の価値以上に極めて高い価値があり、それらを後世へ伝えねばならないという。

「湖水の文化シリーズ」
 同著「湖水の文化シリーズ第4巻 湖水誕生と文化」(山海堂・平成9年)では、紛らわしい湖水名、同じ名の湖水、河川と地方を語り継ぐ湖水名を追いながら、湖水誕生の歴史を論ずる。銀山湖は奥只見ダムと生野ダム、同時に小野湖は厚東川ダムと綾南ダムに命名されている。月山湖の名は月山ダムにあらず寒河江ダムであり、日南湖の名は日南ダムにあらず有明ダムとなっており紛らわしい。

 湖水名のつけ方は @河川名と地方を語り継ぐ漁川ダム・えにわ湖 A地域の誇りとする景勝地を頂く一庫ダム・知明湖、南川ダム・七ツ森湖 B地域の誇りを語り継ぐ天ヶ瀬ダム・鳳凰湖、大門ダム・清里湖 Cランドスケープデザインとしての山佐ダム・山美湖、湯田ダム・錦愁湖 D湖水誕生の歴史を語り継ぐ下筌ダム・蜂の巣湖などを挙げている。

 著者は、「湖水は『つくるものでなく』、『誕生するもの』なのである。湖水は大自然の営みににより、生まれてくるものである。湖水の命名は、いわば生あるものへの命名であり、水面への魂、思いの移入なのである。湖水命名はそれに対するネーミングデザインなのであり、命名とは深き神の意図に対する対応ということである……湖水命名は土木技術の中で最大の文化の結実でなければならない」と言い切る。

 同著「湖水の文化シリーズ第5巻 地図に刻まれた湖水の堤」(山海堂・平成9年)の内容は、ダムと名前、ダム名の由来、紛らわしいダム名、ダム名の改名、風土工学としての土木施設の命名からなっている。
 全国のダムから次のような数え歌ができ面白い。各々3基のダムを挙げてみた。
一つとせ 一の坂ダム・一庫ダム・一ツ瀬ダム
二つとせ 二川ダム・双川ダム・二瀬ダム
三つとせ 三川ダム・三春ダム・三田川ダム
四つとせ 四時ダム・四川ダム・四万川ダム
五つとせ 五木ダム・五位ダム・五本松ダム
六つとせ 六角川河口堰・双六ダム・六ケ村ダム
七つとせ 七色ダム・七倉ダム・七北田ダム
八つとせ 八戸ダム・八田原ダム・八塔寺ダム
九つとせ 九頭竜ダム・九谷ダム・九尾ダム
十つとせ 十勝ダム・十王ダム・十曽ダム

 次にダム建設経緯に伴う改名を追ってみた。春日ダムから横竹ダムへ、金山ダムから神室ダムへ、城山ダムから奥野ダムへ、烏山ダムから綱木川ダムへ、樽俣ダムから須田貝ダムへ、八木山川ダムから力丸ダムへ、大滝根ダムから三春ダムへ、宮良ダムから真栄里ダムへ、酒匂ダムから三保ダムへ、那珂川ダムから南畑ダムへ、上荒地ダムから五木ダムへ、下土師ダムから土師ダムへ。

 ダムが誕生すると、新たに地図は書き替えられる。その地図には必ずや秘められた歴史が潜んでいるようだ。ダム湖を訪ねればそこに文化的、歴史的な価値も見いだすことになるだろう。


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