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◇ 5. 河川事業は海をどう変えたか

 本来、河川は上流から水を流すだけでなく、同時に木の葉や土砂などを含めた様々な物質をも流す。そしてミネラルを含んだ豊富な水は川や海や様々な生物の住処やエサとなり、その食物連鎖によって生命が育まれてきた。一方川の力によって流出した土砂は白砂の海岸をつくり、その水は汽水域で豊かな漁業資源をもたらしてきた。このことは森と川と海は水系が一体であるという考え方である。だが、ダム築造による水開発が進み、水の物質循環が薄れ、川の荒廃を招いてきた。

 その荒廃の実態を描き出した書として森薫樹著「ドキュメント・ダム開発−新大井川紀行」(三一書房・昭和58年)、静岡地理教育研究会編「よみがえれ大井川−その変貌と住民」(古今書院・平成元年)、森薫樹・永井大介著「天竜川流域にみる日本のダム開発」(三一書房・昭和61年)が挙げられる。
 一貫して、川と海は水系が一体であるという考え方から海洋学者宇野木早苗著「河川事業は海をどう変えたか」(生物研究社・平成17年)は、全国の河川事業について詳細に調査し、海の環境を悪化させたその事業を論じ、その対策を考える。


「ドキュメント・ダム開発−新大井川紀行」

「河川事業は海をどう変えたか」
 具体的な事業についてはアスワンハイダムを始めとして、設楽ダム、大島ダム、長良川河口堰、諫早湾の長大河口堰、黒部川出し平ダムの堆砂、球磨川のダム建設後の八代海などをあげ海域への悪影響を追求している。その悪影響は、八代海の漁師の証言により次のようにまとめられている。

(1) 消えていく藻場と干潟
 昔は球磨川から運ばれてくる水によって、どこまでも歩いていける砂干潟と藻場(アマモが主体)が広がっていた。荒瀬ダム(昭和30年竣工)が建設されたころから、すべての生き物の産卵場、保育場となっていた藻場と砂干潟が消えていき、最近ではぬかるんで泥化してきた。定置網(水深7〜8mのところ)を張ろうとしても、ヘドロが2m以上堆積しているため、錨が効かなくなって張れない。
(2) 姿を消したり、少なくなった魚介類
 八代海はかつてはアサリもハマグリも砂の中に重なるようにいて、ウノカイ(オオノガイ)など子供でも1時間もあればバケツいっぱい採ることができる豊かな海であった。とくに、稚魚期に藻場、干潟、河口域を利用する魚類、エビ、カニ類、貝類の減少、アマモ、サヨリ、アオスギ、コウカイ、ウノカイ、アカガイなど姿を消した。今ではアサリ、エビ、ガザミ、ヒラメなどの魚類は放流に頼っている。
(3) ダムの放水の影響
 洪水時には、ダムからの放水は1日程度の短期間で止まることが多いが、みお筋が変わり、河口付近の干潟の形状が変化する。ヘドロはみお筋に溜まり、干潟ではメタンガスの発生もある。ダムからの放水後泥を被るために漁場環境が悪化して貝類や藻類が多量に死に、また急激に真水が腐ってきて生け簀の魚が死ぬこともある。天気がよければ、ダムの放水の3日後くらいから赤潮が発生する。最近では赤潮の発生の範囲が広がり、発生期間は3月から9月ころまでと以前より長くなった。
(4) 漁師の現状
 現在、不知火海沿岸では8 300名の漁師が漁で生計をたてているが、昔に比べると3分の1に減少している。そしてほとんどの者が将来の漁業に対し不安を抱き、漁師の数は年を追うごとに減り続けている。

 なぜ、このように河川事業が海への悪影響について考慮しなかったのであろうか。そのことについて、宇野木氏は次のように分析している。

(1) 海への影響の把握が困難
 @海域における河川事業の影響の現れ方は、河川内に比べて一般に緩やかで目立たず、長い時間を要し、気がついたときは取り返しがつかない状態になっていることが多い。
 A周辺地域に人口が多くて、活発な社会と産業の活動が行われている内湾では、これらの活動が海域に与える影響と、河川事業のみの影響を分離して明確に指摘することが困難である。
 B河川事業の影響がおよぶ範囲が広大で、期間も長期にわたるので、河川内に比べて海域の観測や調査が容易でない。
 Cわが国の河川行政のシステムは川と海の管轄は、これまで別であって、統一した管理と調査が行われてこなかったので、必要なデータが著しく不足している。
(2) これまでの河川行政と海
 河川行政は河川法に沿って実施されており、平成9年に河川法は改正され、河川環境に対する配慮はかなり明確化された。しかし、河川事業が海洋環境に与える影響についての理解は海岸を除いて依然欠如している。
 河川法の主旨に沿ってダム工事を行うために「ダム事業における環境評価の考え方」が出されたが、これはダムが環境に与える評価であって、対象は川の流域になっており、それが注ぐ海域は対象となっていない。

 宇野木氏は、これからも多くの海の恵みを享受せねばならないためには、河川事業と海のとの関連について、次のように提案する。

(1) 川と海を一体とした発想と管理
 これまでは川は川、海は海と考え、それぞれの立場からだけで、連続する水の流れを勝手に断ち切って処理を行い、海域の環境の悪化や漁業の衰退を招いた。これからは川と海を一体とした発想と管理が必要である。幸いに新たに設置された国土交通省は川と海をともに扱うことができるので、農水省、環境省などの関係省庁と連絡を密にして、この問題を真剣に考えてほしい。
(2) 子孫のための事業の見直し
 美しく豊かな川と海を子孫に残すことは、現在に生きる私たちの責任であり、義務である。本当に必要な河川事業は、住民の理解を得ながら実施しなければならない。
(3) 海を含めた信頼度の高い環境評価
 河川事業に対する環境影響評価の場合、従来は海を含めて評価したものは皆無といえる。これからの河川事業の評価は必ず海を含めて行い、それは最近の研究成果を十分に取り入れた信頼できるものが必要である。例えば密度成層、密度流、水質、底質、地形変化など明瞭に示すことが必要である。
(4) 利益と損失の明確な評価
 事業が与える利益は並べ立てられても、それがもたらす損失がきちんと評価される例はほとんどない。利益と損失をできる限り明確に評価し、影響はあるが、その損失は得られる利益に比べると小さいとして、費用を負担する国民や関係者に事業の必要性を理解してもらう必要がある。そのため投資効率も(利益−損失)÷(費用)で判断すべきである。
(5) 住民参加の事業計画
 住民が公共事業の決定に参加することは、直接民主主義の実現手段として重要な意義をもっている。河川事業は空間的にも、時間的にも影響を与えることが大きく、禍根を残さないためには事業計画の決定には住民参加の必要がある。決定にするに当たっては、複数の代替案に基づいてそれぞれの案の必要性、環境への影響、利点、欠点、実現性、投資効率など十分に検討する必要がある。
(6) 研究の推進
 河川事業が海に与える影響の研究や調査は遅れている。そのため影響の実態とその過程を明らかにする研究が緊急に望まれる。例えば、ダム湖や河口堰湖に蓄積されているヘドロ状堆積物についてのその質と量と挙動が明確になること、河川事業の河口における砂の流出量に与える影響が把握できること、洪水時やダム放水時における河口付近の水、砂の動きとそれによる地形、底質、漁業環境などの変化が理解できることなどの調査研究が必要である。


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