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ダムによらない治水手法の不在を考える

(財)日本ダム協会専務理事 横塚尚志
 

(これは、建設通信新聞(2010.1.20)からの転載です。)
 新政権発足で、国土交通省はダムに頼らない治水の検討を進めている。1997年に建設省(当時)河川局開発課長としてダム事業の中止にかかわった横塚尚志氏。八ッ場ダムは「その篩にかけられ残ったダム」だけに事業を続行するべきとする。
 最近、八ッ場ダム問題を契機として“ダムに頼らない治水”を目指す動きが生じており、これを検討するため国土交通省の中に「今後の治水のあり方に関する有識者会議」が設置された。この点に関して筆者も多少意見を述べてみたいと思うが、わが国の治水はその長い歴史的過程を無視して語ることはできないので、まず問題となっている利根川の治水史を検証することから始めたい。

■利根川治水の混迷救ったのはダム

 現在、利根川と荒川とは別の水系で、渡良瀬川や鬼怒川は利根川の支川という形になっているが、江戸時代に入る少し前までの利根川は荒川と同じ水系の河川で、現在の埼玉平野を流下して東京湾に注いでいた。

 逆に渡良瀬川や鬼怒川はまったく別の水系であった。この状況は近世初頭に徳川家康によって行われた利根川東遷事業によって大きく変貌する。即ち、栗橋付近の下総台地を開削して利根川を太平洋まで導くとともに、荒川を熊谷付近で締め切って現在の荒川筋に導いたのであるが、それではこれだけで利根川、荒川の治水問題が解決できたのかというと、そんな簡単なものではなかったのである。

 実際に当時の利根川治水の要となっていたものは中条堤である。今の妻沼付近に中条堤という横断堤を築き、その先で利根川を絞っておいて、妻沼側の利根川を無堤状態にしておいたから、利根川の洪水の大部分は妻沼に貯留されることになり、下流にまで大きな洪水が及ばなかったのである。

 この中条堤を研究した学者の説によると、山手線の内側よりわずかに狭い50km2ほどの地域に1億m3以上の貯留が可能だったという。荒川の方にもこれと同じような仕掛けがあった。浅草から三ノ輪にかけて日本堤という横断堤を築くと共に、隅田川の対岸に隅田堤を築いて千住より上流側を漏斗(ろうと)状に囲うことにより、荒川の洪水が江戸の地に及ぶのを防いでいたのである。

 この方式は明治治水によって崩壊する。明治政府の富国強兵策によってもはや千住より上流側を水没させることができなくなった荒川は、1300戸もの家屋を移転させた荒川放水路を1930年に完成させる。一方利根川の方は、10年の大洪水で中条堤が決壊したのを契機に妻沼騒動という大騒動が勃発し、とうとう中条堤システムを放棄せざるを得なくなってしまうのであるが、これが利根川治水混迷の時代の始まりであった。

 下流河道の大幅拡幅や渡良瀬遊水地以下の遊水地群、利根川放水路などさまざまな代替施設が計画されたが、47年のカスリン台風によって再び大災害が発生してしまったのである。下流側の手当はそれまでで手一杯であったから、とてもこのカスリン台風に対応することができず、49年の計画改定ではダムによる洪水調節が本格的に導入されることになったのである。

 このような状況は他の河川でもおおむね同様であって、木曽川では53年、淀川では54年、吉野川では63年、信濃川では74年と、相次いでダムによる洪水調節が導入されたのである。このようにダムによる洪水調節は戦後になって初めて本格的に導入された最新鋭の治水技術であって、これなくして今日の治水安全度の確保は不可能であったと考えられるのである。


■見つからない治水手法の“解”

 それでは、このような形で登場したダムに頼らないとした場合、一体何がダムの代わりをしてくれるのであろうか。前記の有識者会議が第1回会合で掲げた治水のメニューは、(1)河道の掘削(2)引堤(3)堤防のかさ上げ(4)放水路(5)遊水地整備(6)ダム整備(7)既存ダムの有効活用(8)貯留・浸透施設整備(9)森林保全(10)都市計画法、建築基準法上の措置(11)洪水予測(12)情報提供−−である。

 このうち(1)から(5)は、それまでに使えるものはすべて使ったのにそれでも間に合わなくなったからダムによる洪水調節が導入されることになったのは、前記の利根川の治水史で見たとおりである。そうすると(8)以降の中にこの答えがあることになるが、(8)の貯留・浸透設備は昭和50年代以降の総合治水対策の折、流域の保水・遊水機能を保全するために始められたもので、本来治水安全度を向上させるための施策ではない。

 (9)の森林保全は学術会議などで十分検討された上で、大洪水には効果がないと言われている。確かに森林を保全することは大切であるが、わが国の森林はすでに十分整備されていて、これ以上抜本的に改善する余地は少ない。それでも洪水が起きるから問題なのである。

 (10)以降のいわゆるソフトの対策は特に人的被害の軽減に寄与することは確かであるが、だからといって施設整備に取って代われるようなものではない。むしろ治水施設の整備と相まってその運用効果を高めるのに役に立つものと考えるべきであろう。どうもまだ少しメニューが足りないようである。

 そこで最近巷(ちまた)で言われ始めたものに“氾濫(はんらん)の許容”とか“流域貯留”というものがある。大洪水の場合には一部あふれてもやむを得ない、遊水地などで何とかしようというものであるが、実はこの方法は江戸時代までは普通に行われてきた方法である。果たして土地利用が格段に高度化した今日、本当に可能なのだろうか。

 この方法が真の治水対策と成り得るためには、何をすればどういう効果が得られるのかを具体的に示す必要があるが、これまでの議論を見ていると、残念ながら単なるアイデアとか定性的な議論にとどまっているように見受けられる。

 この点を解明するため筆者は数年前より、氾濫現象に影響を与えるさまざまな因子を自由に操作してその影響や効果を検証できる水理モデルを構築し、利根川などにおいて具体的な検討を行っているが、残念ながら埼玉平野の場合、いったん氾濫水に入り込まれるとその処理はなかなか厄介なようである。

 その理由の一つは、利根川や江戸川などの外周河川が人工河川で埼玉平野より10m程も高い所を流れているため、カスリン台風時のように毎秒6000m3程と推定されるような大きな氾濫が生じると、容易に排水できないからである。二線堤などを用いて被害の減少を図る場合、中条堤や会の川自然堤防などを復活すれば今日でも有効に機能するが、浸水深さは5−6mにも達するから普通の意味での土地利用は成り立たないであろう。もう少し下流、例えば国道16号線や武蔵野線のラインで洪水を阻止しようとすると、そこを流下している中川からあふれ出してしまって有効に阻止できないなどといった現象が発生する。実際に検討してみると、そう簡単にはいかないのだ。

 もともと埼玉平野などの氾濫原は本来川の領分である。そこに人間活動が大きく入り込んで今日の国民生活が成り立っているから、治水対策を行おうという場合、八方丸く収まるというわけにはいかない。どのような治水対策であれ、必ず何らかの犠牲を伴うのだ。

 それを誰がどう負担するのか、地域の合意形成が特に重要とされるゆえんであって、すでに合意形成が成立している治水対策を好きとか嫌いとかいうレベルで破棄するなど愚の骨頂である。そんなのんきな話ではないのだ。しかも現在の計画が完成すればそれで終わりという話でもない。

 安全度といっても、たかだか200年に一度の確率程度である。これを上回る超過洪水リスクは常に存在しているし、地球温暖化によってカスリン台風を上回る台風に襲われる危険性は多分にある。その時こそ、氾濫の許容とか流域貯留などの氾濫原対策は、しっかりとした個別、具体的検討を基礎として取り上げられるべきではないだろうか。

(2010年2月作成)
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