全項目表
 
ダム番号:2802
 
大山ダム [大分県](おおやま)
 [旧名]赤石川ダム(あかしがわ)

10/09
ダム写真

(撮影:清水正則)
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どんなダム
 
町名に改名
___ 当初河川名により赤石川ダムであっが、赤石は上流の前津江村の水没地とは関係のないところの地名で、町の要望により町名により大山ダムに改名。
一村一品運動発祥の地
___
地元の大山町は一村一品運動発祥の地。昭和36年に始まった村おこし運動だ。当時「梅栗植えてハワイへ行こう」がキャッチフレーズだった。今もその伝統が引き継がれ、地域振興に熱意と実績がある。
[写真]高級梅干し
福岡市と交流
___ 下流受益地である福岡市との上下流交流に熱心で、2006年3月には、20回目の「水源地域上下流交流会」があった。福岡市には、大山町が「おおやま生活領事館」を設置している。
ダム湖は「烏宿湖」
___ ダム湖名を公募、79件、71種の応募の中から、平成25年1月8日開催の「大山ダム湖名命名・大山ダム水源地域ビジョンロゴマーク選定委員会」で烏宿湖(うしゅくこ)に決定。日田市在住の中嶋なるみさんによるもの。大山ダムのある地は烏宿山の一部で、その名を取った。この山は山頂に烏宿神社が祀られ、かつては修験道の霊場。中腹にある御池の水は、不治の病や農作物の病気などに効く「幻の水」として評判だった。
テーマページ 地域開発なくしてダムの建設はありえない! −地域再建と地域創造への挑戦− (大山ダム)
このごろ 暁をみる
左岸所在 大分県日田市大山町西大山地先  [Yahoo地図] [DamMaps] [お好みダムサーチ]
位置
北緯33度14分36秒,東経130度57分24秒   (→位置データの変遷
[近くのダム]  高瀬川(4km)  女子畑第二調整池(5km)  松原(再)(6km)  松原(元)(6km)  下筌(再)(10km)  下筌(元)(10km)

河川 筑後川水系赤石川
目的/型式 FNW/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積 94m/370m/580千m3
流域面積/湛水面積 33.6km2 ( 全て直接流域 ) /60ha
総貯水容量/有効貯水容量 19600千m3/18000千m3
ダム事業者 水資源機構ダム事業部
本体施工者 熊谷組
着手/竣工 1983/2012
ダム湖名 烏宿湖 (うしゅくこ)
ランダム情報 【水特法関係】大山、水没総面積:72ha、水没戸数:21戸、水没農地面積:11ha、ダム等の指定年月日:H3.2.5、水源地域指定年月日:H11.2.22、整備計画の決定年月日:H11.3.24
【コンクリートダムの工法】拡張レヤ工法
【ダムカード配布情報】H29.4.1現在 (国交省資料より作成、情報が古いなどの場合がありますので、事前に現地管理所などに問い合わせるのが確実です) Ver1.0
○大山ダム管理室 8:30〜17:00(土・日・祝日含む)管理所玄関のインターホンを押してください。休日は、巡視等で不在の場合があります。
ダムカード画像コレクション
大山ダム Ver.1.0 (2013.12)
大山ダム(建設中) Ver.1.0 (2007.11)
リンク THE SIDE WAY・大山ダム
ダムカード(水資源機構)・大山ダム
ダムニュース/大山ダム転流式仮排水トンネルウォーキングの開催(ダム技術センター)
ダムニュース/大山ダム本体工事起工式(ダム技術センター)
ダムニュース/大山ダム本体工事初打設(ダム技術センター)
ダム工事総括管理技術者会ホームページ・大山ダム
事業概要(福岡地区水道企業団)
大山ダム建設所(水資源機構大山ダム建設所)
参考資料
■大山町の村づくり 大分県・大山町町長 矢幡欣治
【第39回水源地問題実務講習会(H04.03.26)】
関連書籍 ■大分県大山町 『大山ダム記念誌 ふるさとの記憶』 水資源開発公団大山ダム建設所 1999
■水資源開発公団大山ダム建設所 『ふるさと・水ウォッチング作文集』 水資源開発公団大山ダム建設所 1993
■大分県大山町ダム対策室 『大山町におけるダム建設の歴史』 大分県大山町 1985
■水資源開発公団大山ダム調査所 『ふるさと水ウォッチング (平成3年度第15回水の週間作文集)』 水資源開発公団大山ダム調査所 1992
諸元等データの変遷 【05最終→06当初】左岸所在地[日田郡大山町大字西大山地先→日田市大山町西大山地先] 目的[FN→FNW] 竣工[2006→2012] 堤頂長[385→370] 堤体積[820→800]
【07最終→08当初】本体施工者[→熊谷組]
【12当初→12最終】堤高[99→94] 堤体積[800→580]

■ このごろ → このごろ目次
暁をみる

 
  進む世に吾も何かせむ
       この山峡に生れて60年暁をみる
                
三笘 善八郎

 これは、平成10年1月24日、大山ダムの補償基準の調印式のとき、当時大山町長であった三笘善八郎氏が、その席上で心境を託した歌である。

 大山町は、現在は合併して日田市の一部になっているが、『梅栗植えてハワイへ行こう』のキャッチフレーズで知られ、一村一品運動の原点ともなった町である。もともと、地域の振興を通じて自立を図ろうとする意欲の強い土地柄であったのではないか。そして、三笘氏は、その中心的存在として、ダムを活かした地域づくりに向けて、一貫して指導力を発揮してきた。

 補償基準の調印に至る道のりは平坦ではなかった。最後の難関は、当時3組織に分かれていた地権者組織の一本化だった。3組織一本化は難航を重ねたが、精力的な取り組みの結果、やっと調整の最終段階にこぎ着けたそのときに、三笘氏は、突然ガンの告知を受け、手術の急を告げられた。明日は入院という日の夜、早めに休んでいると、深夜の午前2時頃、突然の電話があった。一本化がついに合意されたとの知らせだった。

 手術は順調に終わり、術後17日で正月2日には退院。組織一本化が成り、いよいよ補償基準の具体的な交渉が進み、その年の暮れに至り大詰めを迎える。そして、なお残る懸案事項の交渉は、町長の三笘氏に全権が委任された。全地権者が、一人の例外もなく、印鑑証明付きで全権委任がなされた。三笘氏は、このことを「生涯忘れ得ぬ宝である」と語っている。

 そして年が明け1月24日、念願であった損失補償基準の調印式を迎えた。その日は珍しく大雪に見舞われ、立会人の平松知事が大分から来られるだろうかというスタッフの心配を後目に、水没者の表情は実に晴れ晴れとしていたという。調印式の席上で三笘氏がその心境を歌に託した。それがこの歌である。まさに「暁をみる」心境であったのだろう。

補償基準調印式で。左から2人目が三笘氏。

 以上は、(財)日本ダム協会主催の第56回水源地問題実務講習会(平成21年2月26日)における三笘善八郎氏の講演をもとにまとめたものである。
 今、大山ダムは本体工事中。下段から少しずつ堤体が姿を現しつつある。ダムはコンクリートの固まりだが、その背後には多くの人々の思いが潜んでいるのではないか。そんなことを思わせる講演であった。

(H21.3.4、Jny)

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