古賀 邦雄 水・河川・湖沼関係文献研究会
これは、財団法人公共用地補償機構編集、株式会社大成出版社発行の「用地ジャーナル」に掲載された記事の転載です。
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戦後、昭和20年枕崎台風、22年カスリ−ン台風、25年ジェ−ン台風、26年ル−ス台風と立て続けに台風が襲来し、各地域の河川に大きな被害を及ぼした。さらに、昭和28年、6月梅雨前線による北九州、7月豪雨による和歌山地方、9月台風13号による東海地方に、相次いで西日本一帯に被害を及ぼした。
昭和28年6月北九州の豪雨は、筑後川流域にも大水害を生じさせた。26ケ所の堤防が決壊し、死者 147人、田畑の冠水6万7000ha、流失家屋 4,400戸、損害額 450億円と大惨事となった。
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昭和32年建設省はこの大水害を防ぐために、筑後川水系治水基本計画を策定。この基本計画は洪水調節と河川改修からなるものである。基準地点長谷(大分県日田市)における基本高水流量を8500m3/sとして上流ダムで2500m3/sを調節し、河道配分流量を6000m3/sとするものである。このため、上流の筑後川左支川津江川に下筌ダム(大分県中津江村、熊本県小国町)、同大山川に松原ダム(大分県大山町、天瀬町)に着工し、昭和44年3月に下筌ダム、昭和45年に松原ダムがそれぞれ竣工した。
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完成当時の下筌ダム |
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昭和32年から昭和45年の13年間、この下筌ダムサイト地点に蜂の巣城の砦を築き、このダム建設に対し、公共事業の是非を問いつづけ、公権と私権に係わる法的論争に挑み、国家に結抗した山林地主室原知幸の闘争はあまりにも有名である。この闘争資金は山林の一部を売却することによって得られた。昭和30年代は用材林の価格は非常に高かった。
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「蜂の巣城」 |
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当初、室原知幸はダムには反対の立場ではなかった。むしろダム建設を受け入れることによって、小国町の町おこしの起爆剤として考えた、一時期があったともいわれているが、いまだかつてダム反対に転じた心境の変化については、明確にされていない。ただ言えることは、ダム建設による故郷の喪失と、さらには水没者達の現生活を守るための反対であったことは確かだ。しかしながら、日々の生活に追われる水没者達は、最終的には彼のもとから離れて行くこととなる。彼は去る者を一言も非難しなかったという。
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ともあれ、ダムを造らせまいとした「肥後もっこす」の室原知幸と、筑後川流域における人命と財産を守るために、ダムを絶対に造らねばならない建設省との確執と葛藤は、お互いにその信念に基づき火花を散らしながら、必然的に法的論争に向かわざるを得なかった。
「蜂の巣城紛争」について、主なる事件を追ってみた。
昭和33年4月 松原ダム調査事務所開設(野島虎治初代所長) 8月 小国町志屋地区志屋小学校で絶対反対決議 34年1月 九地建土地収用法の適用にふみきる。 4月 立木伐採開始 5月 蜂の巣城構築始まる 9月 九地建事業認定申請 35年1月 室原知幸事業認定の意見書15項目提出 2月 河川予定地制限令の適用区域告示 4月 事業認定告示 5月 室原知幸事業認定無効確認の行政訴訟を提訴 6月 熊本県知事試堀許可 九地建代執行水中乱闘事件 7月 室原知幸公務執行妨害で逮捕 38年9月 事業認定無効の確認訴訟をしりぞける(東京高裁に控訴) その後北里達之助ら室原知幸と袂を分ける 39年1月 小国町議会ダム条件賛成を決議 6月 九地建代執行 蜂の巣城落城 12月 事業認定無効確認請求訴訟休止満了。(室原知幸敗訴確定) 小国町関係者水没者補償基準決まる。 40年1月 蓬来地区集団移転地造成工事竣工 2月 松原下筌ダム工事事務所(第2代所長副島建赴任) 5月 下筌ダム本体工事着工 6月 第二次蜂の巣城代執行 41年3月 松原ダム本体工事着工 44年8月 下筌ダム本体工事完工 45年6月 室原知幸死去 9月 九地建遺族へ和解を申し入れ 10月 円満和解解決 47年1月 松原ダム試験湛水完了 3月 下筌ダム試験湛水完了
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この経過をみると、昭和35年5月室原知幸はダムにおける事業認定無効確認の行政訴訟を行った。 「松原・下筌ダム計画は、筑後川総合開発事業の一貫であると事業認定書にうたっているが、その総合開発計画に関する記述が欠如している」と。さらに、堆砂の問題、地質上の欠陥、水力発電効果と公益性等に対する疑念を持って提訴している。
このことは、公共事業の遂行にあたっては「法に叶い、理に叶い、情にかなわなければならない」という、補償の精神につながるものである。この補償の精神については、松下竜一の『砦に拠る』(筑摩書房・昭和52年)の小説から、読み取ることができる。
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『砦に拠る』 |
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室原知幸が志向する真の民主主義とはどのようなものがあったのか。 強制執行を目前にして日田市で開かれた講演会で、彼は次のように語り始めている。 「わたしの民主主義という解決は、情に叶い、理に叶い、法に叶い、こういう三本立てであります。で、建設省、いかに大きな屋台であると致しても情けを蹴り、理を蹴り、法までも押しまげて来るというならどんな強力な力を持っていようともこのじじいはその奔馬に向かって痩せ腕を左右に差し延べて待ったするのであります」(中略)昭和39年6月蜂の巣城落城後3日後にその心境を語っている。 「法にかない、理にかない、情にかなう、これが民主的なやり方でそれを破った建設省を歴史の審判が許すはずがない。いやしくも国家がやる事業は裁判が確定してやるべきだ。それがダム建設事業認定無効確認の訴えにせよ、収用裁決取消の訴えにせよ、裁判はまだ進行中で、なにひとつ片づいていないのに既成事実だけで押してきて、あとは金銭で片づければいいというのはあまりに官僚的で、だれが考えても筋が通らぬ」
と、批判している。 さらに、この「法」、「理」、「情」の理念について、櫻田譽は、
公共事業を行う者は関係住民に法の遵守を主張すると共に、自らも関係諸法制度を正確に認識し権限の行使、義務の履行を誤ってはならない。地質の悪いこの地域にダムを造ることは玖珠川水系にダムを考えず大山川水系のみに二つのダムを造るのは理にあわない。水没住民の生活再生に対する十分な配慮なしに工事を強行するのは情に反する。
と、関西大学下筌・松原ダム総合学術調査団編『公共事業と人間の尊重』(ぎょうせい・昭和58年)で、論じている。
昭和38年9月室原知幸の事業認定無効確認請求事件について、東京地方裁判所の判決は、
「多目的ダムの建設を目的とした事業認定でありながら基本計画の成案すらなく、土地収用法の事業認定を行った被告の処置は不当の識を免れないが、事業認定の効力が争われている本訴では基本計画の未定からくる本件事業計画中の発電効果の不確定等の不備はあるけれどもそれをもって土地収用法第20条各号の要件の具備を否定させるに至るものとはいい難く、本件事業認定に当然無効又は違法として取り消すほどのかしがあるとは解されない。 なお、原告等の違法として主張する地質上の諸問題、計画高水流量のとり方、ダムサイトの選定その他本件事業計画の技術的欠陥不合理性等についてはその多くは技術的、合理的見地から起業者の自由裁量に親しむ余地が多分に含まれており、当、不当の問題とはなっても裁量権の濫用と認める証拠のない本件では当然無効又は取り消すべきかしがあるものとは認められない。」
と結論づけ、事業認定の無効の訴えを退けた。
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『公共事業と人間の尊重』 |
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このように「法」については、国家事業の全面的停滞、他事業への影響を恐れて下筌ダム・松原ダムが特定多目的ダム法にいう多目的ダムであり、基本計画の作成のないままの事業認定については、理想的ではないものの宥怒しうる行政行為として正当化された。
また地質等に係わる「理」については、起業者の自由裁量といえども、技術者は、調査、設計、施工、管理にあたって、複雑な火山岩や砕屑岩に対するクラウチング、変朽安山岩による地滑り対応等の技術力により克服された。このことは技術者のダムづくりにかける使命感と責任感の情熱であった。これらの技術克服のプロセスにおいてもまた人間のドラマが生まれたことであろう。
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さらに、「情」については、室原知幸の問題がクロ−ズアップされたにもかかわらず、用地職員は補償業務にあたって血のにじむような努力がなされた。上津江村、中津江村、小国町、栄村(現天瀬町)、大山村(現大山町)の被補償者に対する一般補償、公共補償には、誠意をもって交渉されたことは論をまたないところである。とくに、代替地補償、少数残存者補償、総有林入会権補償の対応については、人にはいいつくせないほどの苦労があったと思われる。
昭和45年6月29日室原知幸は逝去、71歳であった。その後遺族との和解が成立し、補償は円満解決がなされた。彼が公権と私権の是非を世に問うた「法に叶い、理に叶い、情に叶う」という補償の精神は、その後のダム建設事業に多大な影響を及ぼすこととなった。
この蜂の巣城の事件を契機として特定多目的ダム法、土地収用法、河川法などの改正が行われ、さらに、ダム等の建設に著しく生活基盤が変化する水源地域には、生活環境、産業基盤を整備する水源地域対策特別措置法が昭和49年4月に施行された。
今年(平成16年)は、昭和28年6月の筑後川大水害から51年、昭和48年下筌ダム、松原ダムが管理開始から31年をそれぞれ迎えた。河川改修も進捗し、両ダムの完成後、筑後川流域には大きな水害はおこっていない。激しく攻防をくり返したダムであったが、今日、その面影は失せ、静かな湖面を映している。
下筌の ダム満々と 小春かな (大坪イツ子)
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