先日、宮ヶ瀬ダムに行ってきた。今日、ダム協会の写真コンテストの応募が締め切られるが、今年は第10回のコンテスト。この区切りの年に、入賞作品の展示会を宮ヶ瀬ダムでやりたいという話があって、その下見に行ったのだが、せっかくの機会なのでダムの見学もさせてもらった。で、その時に聞いた話をいくつか。伝聞が主なので、真偽のほどは確認してはいないが。
宮ヶ瀬ダムと言えば天端側水路 クレストに自然越流方式の非常用洪水吐があるが、これが天端側水路形式を採用している。呑口15門、吐口3門。呑口から入った水は天端のすぐ下を通る水路を通って中央の吐口3門に集められ、そこから流下する仕組み。非常用洪水吐を上流から見た姿と、下流から見た姿が大きく異なっている。 天端を歩いていると、何やら作業中。偶然にも、天端から水路に降りるマンホールのようなものを開けて、下の水路に人が降りている。おかげで、中をのぞくことができた。下をのぞくと、暗くて水路の床までは見えないが、降りるためのはしご状のものが見えた。高さが20mほどあるらしい。ここを降りるのは相当に大変。他には降り口はないという。 この時やっていた作業は、水路に入った流木を取り除くこと。貯水池の水位が自由越流式ゲートの越流頂の少し下まで来ていて、風があったりすると流木が水路に落ちることがあるとのこと。 これは以前聞いた話だが、宮ヶ瀬ダムのクレストゲートの構造は、もともとは天端側水路方式ではなかったが、堤趾導流壁が巨大になってしまうのを避けるため、天端側水路方式に変更したそうだ。景観上の配慮もあったのかもしれない。
建設の碑の裏には 堤体の脇に「建設の碑」が建っている。平成12年12月の竣工式の時に、当時の扇千景建設大臣がこの碑の除幕式を行った。碑の裏側を見ると、びっしりと人名が記されている。たぶん百数十名に上るのではないか。これは、建設に携わった人の名前だという。建設省の事務所にいた人や、実際に工事を行った建設会社の人。案内をしていただいた管理事務所の方の名も見られたし、竹村公太郎さん、中村靖治さんといった歴代所長の名も見られた。 この碑の建設費用は、寄付金でまかなわれたとのこと。碑に名前が刻まれた人は、寄付をした。案内をしていただいた方も、私も○円寄付しましたと。 他のダムでも、似たようなことがあるのだろうか。誰が造ったかはみんなにわかる形で記録にとどめるのがいいのではないだろうか。この方式は優れたものに思える。
この岩は人工?それとも自然? すぐ下流にある宮ヶ瀬副ダムに行ってみた。巨石の石小屋をイメージして造られたそうで、堤体表面は石積み模様。これは、既製の型枠を使ったものらしい。堤体のすぐわきに、自然の岩が露出しているが、堤体とのすりあわせの部分などを見ると、形がうまくできすぎているように見える。よくよく見ると、一部に目地?らしき筋がある。だが、自然の岩のようでもある。これは自然なのか人工なのか。もし人工なら、堤体の石積みよりもずっと自然に見えるが。
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