全項目表
 
ダム番号:703
 
宮ヶ瀬ダム [神奈川県](みやがせ)


14/03
ダム写真

(撮影:copter)
026801 灰エース
046759 安部塁
014111 萩原雅紀
061129 日本ダム協会
D-shot contest 入賞作品   →ダム便覧トップ写真   →フォト・アーカイブス [ 提供者順 / 登録日順 ]
どんなダム
 
大規模な重力式コンクリートダム
___ 堤高156m。国内の重力式コンクリートダムとしては第2位。堤体積は206万立方メートル。これは国内の重力式コンクリートダム中最大。
最大級のRCD工法によるダム
___
大量のコンクリートを効率的経済的に施工するため、RCD工法(ローラでダムコンクリートをしめ固める工法)を駆使し施工。RCD工法を採用したダムとしても最大級。RCD工法はこれによってほぼ完成したとも言われる。
[写真]建設中の宮ヶ瀬ダム
天端側水路を採用
___
クレストに自然越流方式の非常用洪水吐があり、天端側水路形式を採用している。呑口15門、吐口3門。呑口から入った水は天端側水路で中央の吐口3門に集められ、そこから流下する。
[写真](撮影:安河内孝)
ダンプトラック搭載型インクライン
___
堤体コンクリート打設のために大規模なインクラインを設置。20トンダンダンプトラックを運べる能力があり、コンクリートの運搬や資機材の移動に威力を発揮した。工期短縮に貢献。その一部は完成後、見学客用に残されており、乗車券を買って誰でも乗れる。
[写真]現在は見学客用(撮影:柳二郎)
地下連続壁を構築
___ 鳥居原地区で、砂礫層の止水のため、コンクリートの地下連続壁を構築。深さ76m、壁厚1m、延長420mの大規模なもの。
多数の移転家屋
___
水没地の面積が広く、ダム建設に伴って多くの住民が移転を余儀なくされた。移転戸数は281戸におよぶ。代替地が造成され、湖に面した2カ所に合わせて52戸、その他の多くはダム下流の厚木市郊外の宮の里に移転。
[写真]水没地の航空写真
最大級の選択取水設備
___ 下流にきれいで適度な水温の水を流すよう選択取水設備を設置。取水量55立方m/sec、利用水深68m、取水塔全高92m。堤体支持形円形多段式ゲートの選択取水設備。最大級だという。
ビオトープの整備など環境保全に努める
___
丹沢山系での事業でもあり、自然環境に配慮。動植物の生息地の保全・復元を図るビオトープの整備を実施。沢の流れを復元したり、湿地を造成したりした結果、多様な植物が育ち、野生動物の足跡が見られるようになったという。
[写真]夜間ビオトープを訪れたキツネ
周辺整備が進む
___
「人と自然、都市と地域の交流・共存をめざす自然公園的機能をもった都市近郊リゾート地の形成」を基本理念として、自然を極力保全しながら周辺整備を実施。東京都心から約50km、横浜や川崎の市街地から約40kmという立地特性もあり、訪れる人が多い。 [写真]宮が瀬湖畔園地の大噴水とジャンボクリスマスツリー
ランドマークタワーが見える
___
横浜の中心部から約40kmの好立地。天端から下流を望むと、天気が良ければ遙か彼方にランドマークタワーが見わたせる。
[写真](撮影:琉)
盛りだくさんのイベント
___
ダム湖周辺はよく整備され、一年を通じて頻繁に各種イベントが開催されている。宮ヶ瀬ダム周辺振興財団のホームページにスケジュールが。
[写真]観光放流
橋の名には地元に自生する草木の名が
___ 橋の名には、山吹橋、山芋橋、ワラビ橋、タラノ芽橋など、地元に自生する草木の名が付けられている。
清川村、ダムの恩恵で不交付団体に
___ 宮ヶ瀬ダムの地元、清川村の15年度予算案によると、ダムからの固定資産税で「財政力に余裕がある」とみなされて不交付団体になることに。また、自力返済必要な村債もゼロに。
シリーズ ダム百選 投票から
第 1 回  『 もう1度行きたいダム 』
■ 堤体直下まで行けて、そこから見上げたときにダムの巨大さを実感できる。設備が整っている。 (31〜40歳 男)

第 2 回  『 紅葉がきれいなダム 』
■ 赤や黄色や緑が混ざってきれいですよ。道が1本道なので渋滞にはまったら大変だけどね。 (レオパパ)

第 5 回  『 放流のカッコいいダム 』
■ 宮ケ瀬ダムはいつでも放流が見れる巨大ダムです、いつか、神奈川へ行ったら、撮りにに行ってきます。 (11〜20歳 男)

第 7 回  『 イケメンダム 』
■ うーん、にっぽんいちの黒部ダムと迷ったのですが…
くろヨン様は「イケメン」というより「男前(おっとこまえ)」という方が似合う気がする。
なのでここは、クリスマスイルミネーションとかキラキラしたことやっちゃう都会派モテ系イケメン、ジャニーズちっくな宮ケ瀬ダムに一票! (DKようこ)


第 10 回  『 夏に遊べるダム 』
■ 巨大なダムが正面から見れます。公園や資料館が充実しており、迫力ある観光放流が見れます。 (21〜30歳 男)

第 18 回  『 ○○に感動したダム 』
■ 洪水調節する巨大ダムの姿を初めて自分の目で見る事ができました。
この後、洪水調節に興味を持ち、日本各地で人知れず災害と戦うダムの姿を知って益々ダムが好きになりました♪
また、過去の災害からダムが造られて、戦う宿命を持ったダムが沢山有ることを知って台風が来るつど気にするようになりました。洪水調節するダムの姿は感動します。 (3110r1)


第 20 回  『 電車やバスで行けるダム 』
■ 小田急本厚木駅から神奈川中央交通バス「センター経由半原」行き「愛川大橋」下車(約60分)。バスを降りたら、バスの進行方向に向かって進み、最初の丁字路で左折。住宅街を抜け、山道を歩くと徒歩20分ほどで大きな大きな堤体が見えてきます。下流側から向かうので、途中にある石小屋ダムも是非ご覧になってください。
小田急一往復分と、神奈川中央交通バスの宮ヶ瀬ダムへ向かう路線が乗り放題の「宮ヶ瀬ダムハイキングパス」というものがあり、私はこれを使ってお得にダムまで行きました♪ (パピー)

■ 本厚木駅から愛川大橋、半原バス停よりそれぞれ徒歩20〜30分程度でつきます。 (ながら)

第 28 回  『 ○○が美味しいダム 』
■ オギノパンのあげぱん。今年の夏に、ダムの内部が見学できるとの事だったので宮ケ瀬ダムに息子を連れて行った。その時のダムの大きさに圧倒され、ダムカードをもらった事からダムが大好きになってしまった。自分でダム便覧等を調べては、帰りの遅い自分に週末連れて行ってほしいダムの名前が書かれた。手紙を書いて置いてあり、土曜日朝からたたき起こされます。ロックフィルだのバケットカーブだのローラーゲートだの、重力式コンクリートが好きだの、7歳の会話ではないくらい。そんな彼のおすすめは、浦山ダムのダムカレーも捨てがたいが、宮ケ瀬ダム近くのオギノパンの揚げパンだそうです。生まれて初めて見た巨大ダムの驚きの記憶と一緒に食べたあげぱんの記憶が鮮明に残っているのでしょう。 (しんご)
テーマページ ダム放流動画集
洪水吐き拾弐景 《第壱景》 宮ヶ瀬ダムの洪水吐き
宮ヶ瀬選画
ダムの総合運用 (宮ヶ瀬ダム・相模ダム・城山ダム・道志ダム)
第1回 D-shot contest 受賞作品
第2回 D-shot contest 受賞作品
第3回 D-shot contest 〜こんな写真も〜
ダム放流写真集
ダムインタビュー(20) 西田博さんに聞く 「一部分の経験しかない人が増えることで、ダム技術の継承が心配される」
ダムインタビュー(61) 田代民治さんに聞く 「考える要素がたくさんあるのがダム工事の魅力」
「理の塔、技の塔」 〜私説・戦後日本ダム建設の理論と実践〜 (8) 地元補償:「水特法」の精神
ダムの書誌あれこれ(5) 〜小説を読む〔上〕〜
ダムの書誌あれこれ(16) 〜神奈川県のダム(相模・城山・三保・宮ケ瀬)〜
文献にみる補償の精神【24】 「ここに悠久の大義に生きる」 (宮ヶ瀬ダム)
第21回 「水とのふれあいフォトコンテスト」 受賞作品
竣工式ってどんなもの〜宮ヶ瀬ダム
回想・ありし日の郷土(宮ヶ瀬ダム)
ダムインタビュー(1) 萩原雅紀さんに聞く 「宮ヶ瀬ダムのインパクトがすべての始まり」
補償交渉と生活再建 (宮ヶ瀬ダム)
ダムインタビュー(12) 中村靖治さんに聞く 「ダムづくりの基本は、""使いやすいダム""を設計するということです」
ダムインタビュー(26) 竹村公太郎さんに聞く 「未来を見通したインフラ整備が大事で、ダムの役目はまだまだ大きいですよ」
ダムインタビュー(5) 高田悦久さんに聞く 「ダム現場では行動することが一番大事だ」
水源地域の整備と活性化はどのように (宮ヶ瀬ダム)
このごろ ダム随想 〜 ダム建設の凍結
ダム随想 〜 宮ヶ瀬ダムと導水路
宮ヶ瀬ダムに行ってきた
写真コンテスト入賞作品展示会を本日から宮ヶ瀬ダムで開催
ダム随想 〜 ダムの型式選定
ダム工学会若手の会〜ダムを知るための若手技術者勉強会〜
「水のさと かながわ」WE LOVE DAM!!!ツアー
第2回 土木 a la mode「黒部ダムVS 宮ヶ瀬ダム」〜人を惹き付ける魅力はどこに?〜
「土木 a la mode 黒部ダム VS 宮ヶ瀬ダム」を見てきた
NEXCO中日本が圏央道見学バスツアー〜宮ヶ瀬ダムの観光放流も見学〜
左岸所在 神奈川県相模原市緑区青山  [Yahoo地図] [DamMaps] [お好みダムサーチ]
位置
北緯35度32分31秒,東経139度14分55秒   (→位置データの変遷
[近くのダム]  宮ヶ瀬副(1km)  城山(6km)  沼本(7km)  本沢(8km)  相模(9km)

河川 相模川水系中津川
目的/型式 FNWP/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積 156m/375m/2000千m3
流域面積/湛水面積 213.9km2 ( 直接:101.4km2 間接:112.5km2 ) /460ha
総貯水容量/有効貯水容量 193000千m3/183000千m3
ダム事業者 関東地方建設局
本体施工者 鹿島建設・大林組・戸田建設
着手/竣工 1971/2000
ダム湖名 宮ヶ瀬湖 (みやがせこ)
ランダム情報 【水特法関係】宮ヶ瀬[法第9条指定ダム等]、水没総面積:490ha、水没戸数:300戸、水没農地面積:19ha、ダム等の指定年月日:S52.3.23、水源地域指定年月日:S55.3.1、整備計画の決定年月日:S55.3.25
【ダム湖百選】(財)ダム水源池環境整備センターのダム湖百選に選定される(H17.3.16公表)
【コンクリートダムの工法】RCD工法
【ダム工事年表】仮排水路(1984.3〜1988.2) 本体掘削(1989.10〜1991.4) 本体打設/盛土(1991.11〜1994.11)
【ダムカード配布情報】H28.10.1現在 (国交省資料より作成、情報が古いなどの場合がありますので、事前に現地管理所などに問い合わせるのが確実です) Ver1.1
○相模川水系広域ダム管理事務所 8:30〜17:15(土・日・祝日及び年末・年始は配布していません。※利用出来る駐車場は少し離れた場所にあるため、相模川水系広域ダム管理事務所HPにてご確認ください。)
○宮ヶ瀬ダム水とエネルギー館 4月〜11月:9:00〜17:0012月〜3月:10:00〜16:00(月曜日(祝日の場合はその翌日)および年末年始は配布していません。※利用出来る駐車場は相模川水系広域ダム管理事務所HPにてご確認ください。)
ダムカード画像コレクション
宮ヶ瀬ダム Ver.1.0 (2007.07)
宮ヶ瀬ダム Ver.1.0 (2007.09)
[協力:安部塁]
宮ヶ瀬ダム Ver.1.1 (2012.2)
宮ヶ瀬ダム Ver.1.1 (2013.1)
宮ヶ瀬ダム Ver.1.2 (2015.12)
宮ヶ瀬ダム完成15周年記念カード
内部リンク ダムギャラリー・第1展示室
リンク DAM Photographer・週末の出来事・・・
DAM Photographer・充実・・・
DAM-goodfellows・宮ケ瀬ダム
Dam's room・宮ヶ瀬ダム
damsite・ダムデータ
damsite・ダム写真集
Damstyle・宮ヶ瀬ダム
NAUTIS’s Site・宮ヶ瀬ダム
THE SIDE WAY・宮ヶ瀬ダム
ウィキペディア・宮ヶ瀬ダム
おぼえがき・宮ヶ瀬(みやがせ)ダム
ダム『京』・宮ケ瀬ダム写真集
ダム・発電のページ(神奈川県企業庁)
ダムニュース/宮ヶ瀬ダムが国際マイルストーン事業として表彰(ダム技術センター)
ダムペディア・0703-宮ヶ瀬ダム/みやがせだむ
ダムマニア・宮ケ瀬ダム
ダムマニヤ倶楽部・5年半ぶりに宮ヶ瀬ダムへ行ってきた
ダムマニヤ倶楽部・宮ヶ瀬ダム
ダム好きさん【宮ヶ瀬ダム】
ダム便覧保存館・水がめ便り・宮ケ瀬ダム
ダム浪漫−宮ヶ瀬ダム
ようこそ宮ヶ瀬湖ホームページへ((財)宮ヶ瀬ダム周辺振興財団)
宮ヶ瀬ダム(国土交通省関東地方整備局相模川水系広域ダム管理事務所)
週末はダムに居るかもね♪・宮ヶ瀬ダム
雀の社会科見学帖・宮ヶ瀬ダム見学 その1
参考資料
■宮ケ瀬ダムの水源地域整備計画と今後の課題:小池達男
【ダム日本 No.434(S55.12)】
■宮ケ瀬ダム建設事業と水源地域振興計画 関東地方建設局宮ケ瀬ダム工事事務所所長 荒井治
【第30回水源地問題実務講習会(S58.03.08)】
■宮ケ瀬ダム建設事業と水源地域振興計画:荒井治・田口晴敏
【ダム日本 No.466(S58.8)】
■宮ケ瀬ダムの水源地活性化計画について 関東地方建設局宮ケ瀬ダム工事事務所所長 竹村公太郎
【第35回水源地問題実務講習会(S63.03.09)】
■宮ヶ瀬ダムの水源地活性化計画:竹村公太郎
【ダム日本 No.525(S63.7)】
■神奈川県の水ガメ、宮ヶ瀬ダムが定礎
【ダム日本 No.566(H3.12)】
■宮ケ瀬ダムにおける地域振興について−イベントとむらづくり− 樺n域整備総合研究所首席研究員宮本博光
【第39回水源地問題実務講習会(H04.03.25)】
■宮ケ瀬ダムの建設と地下連続壁工法について 関東地方建設局宮ケ瀬ダム工事事務所建設監督官 須 田 義 男
【第31回ダム施工技術講習会(H04.07.20)】
■宮ケ瀬ダムの建設と地下連続壁工法について:須田義男
【ダム日本 No.578(H4.12)】
■自然にやさしい、そして人にやさしい ダムづくり −宮ケ瀬ダム− /足立敏之
【ダム日本 No.593(H6.3)】
■宮ケ瀬ダムの施工と景観設計 関東地方建設局宮ケ瀬ダム工事事務所 所長 足 立 敏 之
【第36回ダム施工技術講習会(H06.11.17)】
■宮ヶ瀬ダムが打設完了 −日本最大規模の重力式コンクリートダム−
【ダム日本 No.602(H6.12)】
■阪神大震災チャリティー出前コンサート −宮ケ瀬ダム工事現場に琴の音−
【ダム日本 No.608(H7.6)】
■【カラーグラビア】写真で見る宮ケ瀬ダム
【ダム日本 No.619(H8.5)】
■【カラーグラビア】写真で見る白川ダム/『宮ケ瀬ダム湖』が誕生/ 『森と湖に親しむ旬間』全国行事'98森と湖のフェスティバルin田沢湖開催
【ダム日本 No.646(H10.8)】
■『宮ヶ瀬ダム』晴れの竣工式
【ダム日本 No.675(H13.1)】
■【日本のダム】 環境保全;奥只見ダム・大鳥ダム・宮ヶ瀬ダム
【ダム日本 No.700(H15.2)】
■清川村の地域活性化について −宮ヶ瀬ダムとともに歩んで− 神奈川県清川村長 山口靜雄
【第50回水源地問題実務講習会(H15.03.27)】
関連書籍 ■建設省宮ヶ瀬ダム工事事務所 『宮ヶ瀬ダム移転者想い出写真集』 建設省宮ヶ瀬ダム工事事務所 1989
■小島すみ 『病める水系』 市民かわら版 1986
■久保敦子 『石小屋』 批評社 1988
諸元等データの変遷 【05最終→06当初】流域面積[213.9→101.4]
【06当初→06最終】流域面積[101.4→213.9]
【06最終→07当初】左岸所在地[津久井郡津久井町青山→相模原市津久井町青山] 河川名[中津川→小玉川] 竣工[2000→2001] 堤頂長[400→375] 堤体積[2060→2000] 流域面積[213.9→213.4]
【07当初→07最終】河川名[小玉川→中津川]
【10最終→11当初】左岸所在地[相模原市津久井町青山→相模原市緑区青山]
【11当初→11最終】竣工[2001→2000]
【12最終→13当初】本体施工者[鹿島・大林・戸田→鹿島建設・大林組・戸田建設]
【13当初→13最終】流域面積[213.4→213.9]

■ このごろ → このごろ目次
ダム随想 〜 宮ヶ瀬ダムと導水路

 
 宮ヶ瀬ダムは2億m3近い貯水容量があるのに、流域面積は100km2ちょっとしかない。それでは水が十分に溜まらないので、隣の道志川から分水する計画となっている。本来この水は相模川にある津久井湖に入るべき水であるから、必要なときには津久井湖に水を戻せる水路も設置してある。

 前者を道志導水路、後者を津久井導水路と呼んでいる。道志導水路は間違った命名で、本来は宮ケ瀬導水路か道志分水路とすべきものだ。導水は持っていく先の名前を、分水は分流する地点の名前を付けるのが一般的な約束だからだ。例えば福岡導水は筑後川から福岡市に水を持っていく施設であり、大河津分水は信濃川と放水路の分岐点の名前が付いている。

 赴任したときにそれに気付いて、名前を変更しようとしたのだが、すでに長年その名前で呼んでいて、補償の話などもそれで進めているということで、変更はかなわなかった。完成した時点で変えればいいと思っていたのだが、ついにそのまま通ってしまっている。

 これらの導水路により、相模、津久井、宮ケ瀬3ダムが総合運用されることになり、相模川の水利用率は約8割と、日本の川としては信じられないような利用率となっている。悪く言いたい人は河川収奪が進んでいるなどとのたまうだろうが、今も鮎釣りの盛んないい川である。


宮ヶ瀬ダム

 導水路は2本ともトンネルで、その掘削により、トンネルの上の山の木が枯れるのではないかと危惧されたが、いろいろと文献など調べると、150m以上の被りがあればあまり問題が生じていないようであるし、発破をかけて掘るのではなく、トンネルボーリングマシンでガリガリ掘って、すぐにライニングをするから心配は要らないと地元に説明した。

 本気でそう信じていて、自信をもって説明したのだが、実際の工事では湧水が多く、山の木も枯れて、補償するはめになったようだ。いわゆる緑のダムから水を汲み出すと木が枯れてしまうという当たり前の事実が、はからずも実証されたということでもある。

 このトンネルボーリングマシン、今では珍しくもなんともないが、わが国で最初に本式のトンネルボーリングマシンを使用したのは、多目的ダムの大川ダムを下池とし、大内ダムを上池とする、当時の電源開発株式会社の純揚水下郷発電所の工事であった。トンネルをたくさん掘っている道路や鉄道の工事でなく、たまにしか掘ることのないダム事業にからんだところから始まっているというのは、どことなく面白い。

 ダムというものは不都合が生じた時の影響が大きいから、基本的には非常に保守的な事業の進め方をする。経験を尊ぶのだ。一方で、新しい技術は積極的に取り入れる。ダム工事そのものは単発的で、しがらみが少なく、数年で終わってしまうせいだと思う。実際、道路や河川の事務所は永続的なものとして設置されるが、ダムの工事事務所は仮設でしかない。管理所になって初めて永続的なものとなる。

 そんなことで、ダム現場ではいろいろ新しいことが試みられている。RCDやらELCM、CSGなど門外漢にはわけのわからない工法が採用され、それなりに定着しているのもその表れなのだろう。

(これは、「月刊ダム日本」に掲載された記事の転載です。)

(H25.1.24、中村靖治)


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洪水吐き拾弐景
《第壱景》 宮ヶ瀬ダムの洪水吐き

解説:箱石 憲昭  写真:ダム日本編集部
 

このダムの上流面には,非常用洪水吐きとしての自由越流堤が幅広く並んでいるのが見える。下流に回るとダムの真ん中に3門だけとなる。上流の自由越流頂からの流れは,一旦天端に設置された水路に流れ込み,真ん中にまとまって堤体下流面を流れ下ることとなる。高さ156mのこのダムの両岸斜面は急勾配で,堤趾導流方式の採用は困難であり,天端側水路方式が採用されている。宮ヶ瀬ダムは,この方式が採用されている数少ないダムの一つである。

高位常用洪水吐きには,堤体内の放流管を水平に配置し,堤体下流寄りに設置された高圧スライドゲートの下流に曲管を配置して,放流水脈を強制的に堤体下流面に沿わせる整流曲管付放流管が採用されている。全面レヤー工法であるRCD工法の工程への影響をできるだけ少なくするべく土木研究所で開発された形式である。

低位常用洪水吐きには,我が国最大の設計水深115mを誇る高圧ラジアルゲートが据付けられている。

1990年代に, 「21世紀への贈りもの」として工事の最盛期を迎えていた宮ヶ瀬ダムに勤務する機会を得た。毎年開催されていたウォーク大会で,多くの方々とともに歩いたあの場所は,今は静かな湖底となっている。日々高くなっていく堤体を見上げたあの場所では,多くの方々が高位常用洪水吐きからの観光放流を見上げ,その迫力に歓声をあげている。


(これは、「月刊ダム日本」からの転載です。)
(平成26年10月作成)



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竣工式ってどんなもの〜宮ヶ瀬ダム

 宮ヶ瀬ダムの竣工式は、平成12年12月2日、約1400名の関係者が参加して現地で挙行された。式典の前後を含め、竣工式とはどのようなものか、その様子を紹介する。

■ダム建設記念碑除幕式

 竣工式に先立ち、ダムサイト左岸天端広場において、宮ヶ瀬ダム建設記念碑除幕式が行われ、扇建設大臣と地元幼稚園児、地権者代表が除幕を行った。


地元幼稚園児達と記念碑の除幕式を行う扇建設相
■竣工式典

 その後、場所を堤体上に移し、竣工式典が挙行された。
 式典では、奥野晴彦建設省関東地方建設局長の主催者挨拶の後、扇建設大臣の挨拶、宮田信一工事事務所長による工事報告、関係各自治体の長による祝辞があった。
 その後、テープカットと記念放水を行い事業の完成を祝った。

開会の挨拶を行う奥野関東地方建設局長

挨拶をする扇建設大臣
記念テープカット

記念放水

■竣工記念交流の集い

 また、引き続き会場をダムサイト右岸の特設会場に移して宮ヶ瀬ダム建設事業竣工記念交流の集いがひらかれ、関係者が長年の思いを語り合った。
挨拶する竹村公太郎建設省河川局長

記念交流の集いでの鏡割り

■上下流交流文化祭

 一方、宮ヶ瀬湖畔園地・けやき広場では、上下流交流文化祭が開かれ、様々なアトラクションや出店に、大勢の親子連れなどが訪れた。

水源地・感謝のつどい2000フェスタin宮ヶ瀬湖

熱気球のデモンストレーション
地場産品の販売(鮎の塩焼き)

紅葉に彩られた宮ヶ瀬湖

《メ  モ》

 宮ヶ瀬ダムは相模川水系中津川に建設された多目的ダムで、堤高156m、堤頂長約400m、堤体積約200万m3の重力式コンクリートダム

 総貯水容量約2億m3は、箱根・芦ノ湖に匹敵。その役割としては,洪水調節のほか、横浜市や川崎市などの水道用水として新たに1日最大130万m3を供給するとともに、流水の正常な機能の維持と増進を図る。また、本ダム及び副ダムにおいて最大出力それぞれ24,200KW、1,200KW の発電を行う。

 事業は、昭和44年に建設省がダム計画を発表。昭和53年、宮ヶ瀬ダム基本計画が決定・公示。
 平成3年本体コンクリート打設を開始し、平成6年、打設を完了。平成10年6月にはダム湖が満水となり(宮ヶ瀬湖の誕生)、第53回国体カヌー競技が開催された。
(平成16年10月作成)



■ テーマページ(抄) → テーマページ目次

回想・ありし日の郷土(宮ヶ瀬ダム)

 これは、建設省関東地方建設局宮ヶ瀬ダム工事事務所「宮ヶ瀬とともに 忘れえぬ郷土とダム建設に生きた人々の記録」(平成12年12月)をもとに、再構成して作成したものです。ご承諾をいただいて、写真はすべて同書から転載しました。宮ヶ瀬ダムの建設で水没した地域の姿が描かれています。
《ふるさとの川》

◇清流 
中津川・しみずの瀬

中津川・鷺ヶ淵
◇橋が架かる 
巨石(猿とび)ごしに見る石小屋橋

宮ヶ瀬橋と路線バス
◇真冬は銀世界 


冬の宮ヶ瀬。静かな銀世界が豊かな自然を物語る。
《ありし日の集落》

水没前の落合地区(昭和57年)。

水没前の宮ヶ瀬地区(昭和57年)。

 ・・・→ 全文はこちら
(平成16年2月作成)



■ テーマページ(抄) → テーマページ目次

ダムインタビュー(1)
萩原雅紀さんに聞く
「宮ヶ瀬ダムのインパクトがすべての始まり」

きっかけは宮ヶ瀬ダム

中野:萩原さんが、そもそもダムを見に行くようになったきっかけは何だったのですか。

萩原:きっかけは、宮ヶ瀬ダムですね。当時まだ建設中で、ちょうど本体が完成した頃のことです。友達とドライブしていて、どこに行こうかとなって、このあたりにダムを造っていると聞いて、造っているのはおもしろそうだからと行ってみたんです。

ところが、工事中のため本体までたどり着くことも出来ず、見ることもなくその日は帰って来んです。それから、なにか気になって、調べようとしても、当時はダムの情報なんてまるで入って来ませんでした。また、そんなところでダムを造っていることも知らなかったんです。その後も、何回も見に行きました。2ヶ月に1回ぐらい。工事が終わるまで、本体はまったく見られませんでした。ある日突然工事が終わっていて、そのとき初めて本体を見てびっくりしました。完成した後は、遊歩道が整備されて駐車場が出来て…あそこの川沿いの道を歩いていくと、突然100mぐらいのダムがドーンと現れます。あれを実際に見て、ダムというものはすごいと思ったんです。


宮ヶ瀬ダム(撮影:萩原雅紀)
中野:宮ヶ瀬ダムは真下から見られるようになっていて、そこから見ると本当に威圧感があって、迫力がすごいですね。

萩原:ええ、下から見ると本当にインパクトがあります。それで、他にどんなダムがあるかと、インターネットを見たんですがなかなか見つかりません。でも、ガスタンクの写真ばかり集めたサイトがありました。また、川の水門ばかり写真を集めたサイトもあり、それらを見て面白いと感じたんです。でも、ダム本体を写真に撮って載せている人がいるかと探しましたがありませんでした。地図に載っているダムを検索してみても、写真はなかったのです。ごくたまにあっても、本体からダム湖を写した風景写真みたいものばかり。自分は本体を見たかったのに、それはなかったんです。それで自分で写真を撮り始めました。デジカメを買って、ダムを回り始めたんです。

中野:ダムを回って写真を撮るようになって、何かテーマを決めていらっしゃるんですか。

萩原:最初は、ダムにもいろんな型があるとか、知識もありませんでしたからもっぱら地図でルートを決めて、ダムと書いてあれば回るということをしていましたね。国交省のダムがあるとか、電力のダムがあるとか、ため池もあるとか、管理者や用途が違うとかそんなことも知りませんでしたから。

中野:ダムには一人で行くんですか。DVDに「ダムからのメッセージ」とありますが、行ってみてどんなことを感じられるんですか。

萩原:一人で行くことが多いです。その方が、のめり込めるからです。いろんなダムを回っていると、だんだんと、ダムによってデザインが違うとか、洪水吐も違うとか、いろいろ違うというのがわかってきて、それがおもしろかったです。

中野:ダムによっては、立ち入り禁止のダムもありますね。例えば予約を取ったりされるんですか。

萩原:だいだいどこのダムでも道は通じているので行くことはできますが、僕の場合、ダム本体の下流側のすぐ下に行きたいんです。そこは、だいたい立ち入り禁止が多いので写真を撮るのには苦労しますね。でもホームページのネタづくりとしては、立ち入り禁止じゃないところから、こういう風に見えるというのを紹介するのが目的なので、あまり予約をして見せて下さいというようなこと事は最初はしていなかったんですね。今普通に行って見られる情報、写真を撮って提供するスタンスなので見られないところはしょうがないかと思います。

 ・・・→ 全文はこちら
(平成20年1月作成)



■ テーマページ(抄) → テーマページ目次

補償交渉と生活再建
(宮ヶ瀬ダム)

 このページは、神奈川県清川村の山口静雄村長の講演、「清川村の地域活性化について−宮ケ瀬ダムとともに歩んで−」(平成15年3月27日、第50回水源地問題実務講習会)を元に作成したものです。
 山口村長は、JAあつぎ企画管理課長、清川村に出向して宮ヶ瀬ダム対策連絡協議会事務局、JA宮の里支店長、宮ヶ瀬ダム移転者生活相談員、清川村議会議員、そして現職の清川村長などを歴任し、この間一貫して宮ヶ瀬ダムの建設とその後の地域振興に深く携わってこられました。
1969年9月 ダム建設計画発表
1971年4月 調査事務所開設
1974年4月 宮ケ瀬ダムエ事事務所と名称変更
1978年12月 宮ケ瀬ダム基本計画決定(公示)
1981年8月 水没地一般損失補償基準調印
1984年3月 仮排水トンネルエ事着手
1987年11月 本体建設工事に着手
1991年10月 本体コンクリート打設開始
1994年11月 本体コンクリート打設完了
1995年10月 試験湛水開始
1998年10月 試験湛水完了
1999年4月 本体および津久井導水路による一部運用開始
2000年12月 宮ケ瀬ダム建設事業竣工


■損失補償基準妥結前に生活再建措置

 一筆調査も無事終わり,生活再建対策の中で,最も重要な移転代替地について,意向調査をしたところ集団移転を前提とした近隣市街地への希望が七割に達した。
 幸いに,厚木市に住宅公団が住宅団地造成を目的に所有していた約36haの土地があり,要望したところ,うち15haの了解が得られ,約200区画の造成計画が示された。
 続いて,湖周辺にも住宅用地,商業地合わせて50区画の移転地が提示された。造成計画も承認がされ,移転地の造成が始まった。
 
 代替地の配分は,住民側の要望によって自らの組織で個別の位置(抽選会)も確定させ,移転墓地は,将来霊園として水役者以外にも分譲出来るように660区画が造成された。

 このように生活再建の根幹となる代替地工事等を損失補償基準の協議以前に先行して着手したことは,水没者は安堵すると共に,起業者も損失補償基準妥結後は個人契約も順調に進み,集団移転がなされ宮ケ瀬ダム本体工事の早期着手と工期短縮なども図られた次第である。


集団移転代替地(写真の中央部分)は補償基準妥結前に造成された
 農地,商業用地などの代替地確保にあたって,先行取得資金が必要であり,その資金の融資と利子補給を神奈川県が行うように要望したところ「水没者の代替地取得資金利子補給制度」と「水没者の自立再建資金無利子貸付制度」も補償基準協議前に,設定された。

■損失補償基準の交渉と妥結

 損失補償の基本となる土地地目の認定と等級格差付けは,難しい課題であった。
 公簿と現況の異なるものは,利用目的によること,公平と均衡化を図るため,認定は組織を通じて行うことなどが合意されるなど,地元の考え方が了承されて,約三ケ月間で比較的スムースに決定した。
 54年12月建設省から補償基準の提示を受けて以来,連日連夜150回におよぶ補償交渉を重ねたが,交渉の都度議事録や確詔書を取り交わし,後戻りしないようにするなど効率的に進めた。
 補償交渉と併行して,補償項目ごとの細部にわたって,税法上の取り扱いを東京国税局と協議し,後日のために文書で確認もし,これらの交渉の経過や結果は全会員に説明会を行い,交渉委員が信頼を得て進展し,56年8月28日に宮ケ瀬ダムの建設を大きく前進させる「損失補償基準]の妥結調印式が行われたのである。

 最大の難関である補償基準の妥結調印が出来たのは,建設省の歴代工事事務所長以下担当者が水役者の感情を理解し,「誠意が人を動かす」という諺の如く,献身的に対応をされたことが解決の潜在的要素となったことは言うまでもないが,既に故人となられた歴代村長三氏をはじめ議会議員や対職員,関係機関の職員の昼夜を分かたぬ調整・努力があったことも忘れてはならない。
 さらに、神奈川県知事が宮ケ瀬住民の集会に赴き,神奈川県民のためダム建設容認を強く訴えたこと,そして神奈川県として感謝・協力金の支給,融資利子補給措置,相談所の設置など生活再建施策が,住民の最終的決断に大きく貢献したことである。


損失補償基準の妥結調印式
■水源地域整備と生活再建施策

 ダム完成後の湖周辺を初め,関係地域の整備については,52年3月水特法によるダム指定がされ,55年3月,清川村全域と津久井町および愛川町の一部が地域指定された。

 地域振興計画の事業は,地元住民,団体から要望が提出され,町村・県・国とで協議がされ,事業内容の説明もあった。水特法の対象とならないものは,関連整備事業として計画が承認され,これらの整備事業は55年3月28日決定公示された。
 清川村に関わる事業は、村道の新設・改良,簡易水道の設置,小中学校の整備など、17事業185億円であった。

■移転者の生活再建は出来たのか

 57年後半から水役者の移転が始まり,平成元年にはダム堤体工事に着手,7年から試験湛水が始まり,10年6月には満水となった「宮ケ瀬湖」で「誕生式」が行われたのである。

 ところで,宮ケ瀬ダムの建設に協力し,先祖伝来の地から移転を余儀なくされた274世帯1,104入の生活再建は,どのようになったか最も懸念されることである。
 私は,損失補償基準妥結を機に事務局を離れたが,水没者の集団移転地である「宮の里」のJAあつぎ支店長として,水役者の相談業務を続け,税務精算申告の指導や,補償金の運用と生活再建施策の一環として,近接する青山学院大学などの学生寮の建立,入居斡旋指導などをして,将来にわたって収入の得られる対策と指導をした。

 平成8年12月,移転者に対して生活再建実態調査が行われ,この調査で移転後の居住地の感想を「良くなった」と評価している者が84%になっており,安堵しているところである。

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(H15.5作成)



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ダムインタビュー(12)
中村靖治さんに聞く
「ダムづくりの基本は、"使いやすいダム"を設計するということです」

補償交渉の大詰めの時期の宮ケ瀬ダム工事事務所長

中野: その後、宮ケ瀬ダム工事事務所長になられていますが。

中村: 宮ヶ瀬ダムに赴任したときは、補償交渉の大詰めの時期でした。



このダムには3町村が関係していましたが、水没地の主体は清川村の宮ヶ瀬地区、ここに約250所帯いました。ダム敷きが愛川町で、川に沿って6軒の料理屋旅館がありました。津久井町は山林のみの水没でした。

愛川町はダム直下に約700所帯の集落があり、ここは戦後繊維産業で栄えた所です。ダム敷きの6軒を除いて、この町は補償の対象にはならず、集落直上流に高さ155mの巨大構造物ができることになるのですから、何のメリットもないどころか、不安材料のみを抱えることになるということで、町を挙げて絶対反対で、話し合いに応じていませんでした。用地課長が手土産を持って尋ねても、手土産を投げつけられて追い出されるという状況でした。
大切なことは、相手の心の痛みを分かること

中野: 用地交渉では、大変なご苦労があったんですね。

中村: 実はそう大変とは思いませんでした。宮ヶ瀬ダムに赴任したとき、水没者のところに挨拶に行って、皆はすぐ犠牲者というけれども、私に対してはその言葉は使わないで貰いたいと。犠牲者を作るつもりはないからと言いました。とにかくどうやったら生活再建できるか、良くなれるかということを一緒に考えていきたいから、一人も犠牲者をつくる気はないから、皆さんと一緒にやっていきましょうと挨拶しました。それは概ねうまくいったようで、補償基準が妥結した時、犠牲者の声を求めて番組づくりをしようとしていたテレビが、番組を作れませんでしたから。

大切なことは、相手の心の痛みを分かること、自分の痛みとして受け止めて、それに対して何をしてあげれるかを一緒に考えていくということで、信頼を得ることでしょう。信頼関係ができればそれで成功ですね。

中野: 成功例としての「宮ケ瀬ダム」は有名ですね。都市圏からも近く観光施設も整っていて、地域と一体化している感じがします。


宮ヶ瀬ダム(撮影:山口勲)
中村: あれだけの規模の施設は、今ではできないんじゃないかと言われてますが、僕はかけるべきお金はかけろと言っているんですよ。かかったお金は、ダムが役に立てばそれは何百年分の1に過ぎないんだから。つまらないところでケチってはいけないですね。

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(平成21年1月作成)



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ダムインタビュー(26)
竹村公太郎さんに聞く
「未来を見通したインフラ整備が大事で、ダムの役目はまだまだ大きいですよ」

竹村公太郎さん(財団法人リバーフロント整備センター理事長)は、かつて旧建設省の河川局長時代に、新聞に掲載された記事に公開質問状を出し、その後のやりとりをインターネット上で全文公開、真実を公開の場で明らかにしようという果敢な行動は、当時の人々に大きなインパクトを与えました。

また、幅広い知見と活動はよく知られるところであり、最近では著書も多数、その議論はインフラから歴史、文明にも及びんでいます。

その竹村さんに、ダム造りの経験、マスコミとのやりとり、日本を支えるインフラのあり方など多方面の話題について、わかりやすくお話しをしていただきました。

(インタビュー・編集・文:中野・北川、写真:廣池)




 
 
ダムが出来たら、出来るだけ多くの人に見てもらいたい

中野: では、宮ヶ瀬に行かれたのは、その後なんですね。

竹村: そうです、その次の現場が宮ヶ瀬ダムです。所長を拝命しました。だから、私はダム現場を三つやったことになります。ほかは中部地建の河川部長で長良川河口堰でした。だから河川の大型構造物しかやっていない。ある意味ではダムという大型構造物に偏った人生を送ってきた人間です。こんなに偏った人間は今ではいないと思いますよ。(笑)

宮ヶ瀬ダムに行った時期は、ダム本体の設計を行い、本体発注を行う頃です。そこで本体設計と工事の仮設備を全部作成させてもらいました。この時期は大変面白かった。なぜかというと、本体設計と仮設備を作成することによって、将来、宮ヶ瀬ダムが完成した暁に、一般の人々をどうやって宮ヶ瀬ダム堤体の中に入れて遊ばせられるか、ということを仕掛けていたのです。

中野: 今は、すごくたくさんの観光客が宮ヶ瀬ダムに行っていますね。

竹村: そうでしょう。今は一般市民は当たり前のようにダムに入っています。でも当時、本省でそのようなことを言ったら、ふざけるんじゃない、ダムの中に一般人をぞろぞろ入れるなんてとんでもない、と怒られたでしょう。もしダムが爆破されたらどうするんだなんて、そういう心配も出てくるから。私は職員には絶対に本省には黙っていろと厳命していました。これは単なる調査用の大きめのダムギャラリーだと。この宮ヶ瀬ダムが完成する頃には、世の中が変わっていて、一般の見学者をダムに入れても良い状況になっているはずだ、と確信していました。それは見事に当たりましたね。

中野: 竹村さんは、「日本文明の謎を解く」という著書の中で先を見つめるインフラというのを書かれていて、土木というのは今よりも先、何年後どうなるというのを見越して造るのが大切だとおっしゃってますね。


宮ヶ瀬ダムのインクライン(撮影:安部塁)

竹村: 宮ヶ瀬ダムの右岸下流面の観光用インクラインって知っていますか?実は、仮設備の時期から狙っていたのです。

本体コンクリート打設でダンプを下に降ろす時、コンクリートを積んだダンプをそのままインクラインに乗せて、打設面までおろしてしまおうと考えた。そして、そのインクラインのケーブルはやじろべえ式にする。玉川ダムではケーブルはぐるぐると巻き取る方式でした。それを宮ヶ瀬ダムでは、やじろべえ式にしてしまおうと思い付いたのです。エレベータと同じように荷の上げ下ろしは、やじろべえの一方にカウンターウエイトを乗っけて、最小限の力で上げ下げ出来るようにする。そして、そのカウンターウエイトの線路は、将来、宮ヶ瀬ダム完成後の観光用インクラインにしようと狙ったのです。将来の観光用インクラインの基礎を造っておいたのです。いまでは、お客さんがワイワイ言いながらインクラインに乗っているでしょ。
中野: 将来を見据えて、きちんとした土台造り、設計をしなければいけないと…。多少お金がかかったのですか?

竹村: あの時代はそういう事が許された時代でした。でもそれは決して高い工事をやったのではなく、実は非常に安く、経済的な事をねらった結果そうなったのです。ダム屋の私は、宮ヶ瀬ダムが完成したら、水源地がお客さんでいっぱいになるようにと、それはもう執念でいろんな方法を考え抜きました。

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(平成22年7月作成)



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ダムインタビュー(5)
高田悦久さんに聞く
「ダム現場では行動することが一番大事だ」

宮ヶ瀬ダムは、最初から最後まで

高田: 宮ヶ瀬は最初から最後までいました。あのダムは、技術開発など新しいことをたくさんやっています。あれぐらいやったら、みんなが見に来てくれるのは当然だと思います。本当にたくさんの来場者があります。大都市から近いこともありますが、格好のデート・スポットにもなっています。
 宮ヶ瀬で、本体打設前に上を見ると遙か彼方の高いところまでコンクートを打たなければならないんですね。あそこまで、あんな高いところまで、コンクリ−トを打つのかと、本当にできるのかという感じでした。それでもちゃんとできた。ものすごくどっしりとしていて、あの高さでね。堤体下流の右岸側に入れるようになっていますが、よく考えてそうしたようです。だからあれだけ人が来てくれるんだと思います。


宮ヶ瀬ダム(撮影:Dam master)
中野: 宮ヶ瀬はずいぶん長くおられたのですね。

高田: 10年いました。その間に人もだいぶ入れ替わりましたが、鹿島は変わりませんでした。経験を積ませる意味もあるのだろうが、若い人はよく変わる。こちらとしては、部下がよく変わるので困りましたね。ここは学校じゃないと言ったこともあります。

中野: 現場に10年いると、つきあいとか、人のつながりとかができますね。

高田: そうです。当時の人とは今もつきあっています。みんなそうです。あのころは役所の人も一緒になって、技術開発など新しいものに積極的に挑戦したり、いいものを造ろうという意識が強い人が多かったと思います。

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(平成20年8月作成)



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水源地域の整備と活性化はどのように
(宮ヶ瀬ダム)

 このページは、神奈川県清川村の山口静夫村長の講演、「清川村の地域活性化について−宮ケ瀬ダムとともに歩んで−」(平成15年3月27日、第50回水源地問題実務講習会)を元に作成したものです。
■財政上の効果も大きい

 宮ケ瀬ダムの建設により、観光客が増加し、地域が大きく発展している。地域振興を通じて、村の財政も改善するが、それに加えてダムの建設により「国有資産等所在市町村交付金」も受けることが出来るようになった。15年度で約8億円。これは、村税収入が約5億円であることを考えると、莫大な額。清川村の財政事情も揺るぎないものになりつつある。それを村民のために活用し、70歳以上外来医療費全額負担、高校生の授業料負担などを行った。
 新しく誕生した「宮ケ瀬湖」という観光資源を21世紀の中で、今まで以上に広く県内外の人々に利用してもらうためにも、近隣市町との広域的な観光ネットワーク化も今後推進していきたい。宮ケ瀬ダム完成を契機に、今まで以上に森林づくりや水質保全にさらなる努力を重ね、都市住民との交流を深めつつ水源地域の役割をしっかりと担って行きたいと考えている。


平成14年8月から定期的に観光放流を実施。神奈川県内では初めてで、全国的にも珍しい。毎秒30立方メートルの放流により高低差100mの人工滝が出現。毎週水曜と毎月第2日曜。年末年始は除く。1回目は午前11時、2回目は午後2時(12月〜3月は午後1時)。
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(H15.5作成)


→ ダム便覧の説明
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