■宮ケ瀬ダムの幕開けは神奈川県の計画が下敷き |
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建設省は昭和44年3月,相模川水系を県管理の二級河川から建設省管理の一級河川へと指定替えをした。そして同年9月,中津川に大ダム建設構想を打ち出し,10月には,予備調査を清川村,愛川町,津久井町の3町村に申し入れをし,これが宮ケ瀬ダムの幕開けであった。
しかし,神奈川県はこの約10年前の昭和35年に既に中津川の水利用を考えていたのである。県営の城山ダム(津久井湖)に中津川から毎秒7tの水を,導水トンネルで引き込みしようとするものだったが,住民の反対で計画倒れとなり,昭和43年さらに高度の水利用を図ろうと「中津川総合開発事業」をスタートさせたのである。昭和40年の東京サバクに続いて,神奈川県も異常渇水で苦慮していた年でもあった。建設省はこの県の計画を再検討するために持ち上がったものである。 後に,神奈川県が水役者に対して感謝協力金の支給をし,水源地域の活性化など思い切った施策を講じたのは,このような背景があったからと思っている。
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宮ヶ瀬ダムが建設された中津渓谷の石小屋付近 |
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